買い出しは隣国の街で
ルシアン視点
愛しい妻の唇に、名残惜しく口付けをする。
「……行ってくる」
「行ってらっしゃい」
扉が閉まり、俺は認識阻害と防御結界の魔導具を起動した。
リナの規格外の魔力が限界まで込められたこの魔導具は、国宝級と呼ばれてもおかしくない代物だ。
だが、俺が今身に着けたこれより遥かに高性能の認識阻害と防御結界が張られている場所がある。もちろん、俺たちの我が家だ。愛しい妻を、この狂った世界から切り離すように、『魔の森』の奥深くへ隠している。
さらに念には念を入れて、家の周囲の森には幻惑と魔毒を仕込んである。
チャリ。
俺が持っている『我が家の鍵』がないと、あの家に辿り着くことは絶対に叶わない。それこそ、伝説の勇者か、俺たちを上回る実力者でもない限り。
「リナが知ったら、呆れそうだな」
少しだけ口角を上げ、俺は森を歩き出した。
馬車が通れる道を作ったのは、もう数ヶ月前になるか……。
リナを乗せた馬車で魔の森まで走り入れるように切り開いた道も、今はもう腰の高さより上まで草木が茂っている。
「この道が二度と使われないように、もう一度、木を倒して塞いでおくか……」
魔術を展開し、意図的に木々をなぎ倒していく。
その音に反応したのか、遠くで凶悪な魔物たちの気配がした。
よし、移動するか。
俺は魔力を纏い、木々の上を飛び駆ける。
(魔の森の入り口に簡易転送陣を置いてもいいな……。俺たちの魔力以外が触れたら、どこかへ飛ぶようにしておけば十分罠になる)
そんなことを考えながら、俺の思考はすぐに一つの場所へと戻っていく。
リナは今頃、何をしているだろうか。
「……もう帰りたい」
恋しい。今すぐリナの側へ戻りたい。
まだ家を出て数時間しか経っていないのに。
初日に魔導具で連絡など入れてしまえば、その声を聞いた瞬間にすぐさま帰りたくなってしまうから、ここは我慢だ。
ギリッ。
これもすべて、王国のヤツらのせいだ。
やがて、隣国の砦街が見えてきた。
街道へ出る直前、俺は魔の森で干からびていた愚か者から失敬した『冒険者タグ』を首にかけた。
「……次!」
「お疲れ様です」
「……次!」
面倒な足止めもなく、俺はそのまま街へ入った。
先ずは、冒険者ギルドだ。
「素材の買取を頼む」
「かしこまりました」
魔の森で得た希少な素材や魔石をカウンターに出す。
「タグの口座へ入金されますか?」
「……すべて現金で頼む」
次は、宿屋だ。
「おう! あんたか! 今回は何泊だ?」
「1泊で頼む」
「飯は?」
「つけてくれ。……あと、明日、持ち帰り用に炙り肉を頼む」
「土産用だな。わかった」
手続きをしていると、宿屋の娘が顔を出した。
「あ! いらっしゃいませ! お部屋へご案内しますっ」
顔を赤らめる娘を見て、親父が釘を刺してくる。
「……おい、娘に手は出すなよ?」
「妻以外に興味は無い」
「即答で振られたな! はっはっは!」
「……っ! ち、ちがうし!」
娘に案内された部屋へ荷を下ろす。
この部屋にあるのは簡素なベッドだけ。室温調整の魔導具も、魔術照明も、快適なシャワールームもない。ごく普通の安宿だ。
リナが望む魔導具を創り続け、あの快適さに慣れてしまったせいだろう。我が家とは比べ物にならないこの部屋に、自然と溜め息が出た。
コンコン。
「お湯は要りますか?」
宿屋の娘が声をかけてきた。
「……桶だけを借りたい」
「わかりました!」
桶を受け取り、魔術を展開して水を生み出し、熱を加えて湯を張る。
手早く身体を拭き終えて着替えると、汚れた湯は魔術で蒸発させた。空になった桶を宿屋へ返すついでに、1階の酒場で夕食をとる。
「今日はボア肉のパイ包みとスープよ!」
「大盛りで頼む」
「はいよー!」
女将から受け取った食事を口に運びながら、俺は周囲の音に耳を澄ませた。
『……聞いたか』
『ああ、急に値を吊り上げたらしいぞ』
『やっぱり見付からないらしいな』
『……王族が……だとか』
『奴隷が……』
様々な客たちの会話の断片を、慎重に頭の中で繋ぎ合わせていく。
「お待たせしました」
娘がエールを運んできたタイミングで、俺は探りを入れた。
「魔導具には興味があったんだが。急にどうしたんだ?」
「ああ! 隣国(俺たちの祖国)で安価に売られ始めた魔導具が、急に値上がりしだしたそうですよ」
(……リナが消えたせいで、安価な魔導具へ魔力を込める手段が細ったんだろうな)
俺が内心で推測していると、娘がヒソヒソ声で顔を寄せてきた。
「……噂では、魔力を込めていた『お姫様』が逃げてしまったそうです」
「ほう?」
「来る日も来る日も、魔導具に魔力を込めるお仕事に嫌気がさしたんでしょうね」
「たしかに。俺でも逃げるな、それは」
「……だから今、逃げたお姫様の代わりとして、魔力量が多い人達を国中で募集しているそうですよ」
『おーい! こっちにエール頼む!』
「はーい!」
娘はそう言って離れていった。
リナの代わりになるように、罪なき人々から魔力を搾取し始めたのか……。
あの研究所へ入ったら、二度と出られないと知らずに。
部屋に戻り、固いベッドへ横になる。
リナがいない。
恋しい。抱き締めたい。
はやく帰りたい。
俺が作った魔導具は鳴らない。
「……俺だけが恋しく思っているみたいじゃないか」
自嘲気味な溜め息が漏れる。
リナの足首に付けてある魔導具からは、安定したリナの気配と脈拍が感じられる。
リナは無事だ。大丈夫。
明日は買い出しを終えたら、すぐに帰ろう。
逢いたい。
今すぐ逢いたい。
「……もう、死にそうだ」




