愛しい婚約者が俺を指名した。
「俺たちは相思相愛です! 婚約破棄は絶対にしない!!」
「……ルシアン」
父の執務室で俺が声を荒らげた時だった。
コンコン。
「……入れ」
「失礼いたします。当主様、魔術研究所より書簡が届いております」
「……その手紙を俺に渡せ!!」
俺が手を伸ばすより早く、執事は冷たく告げた。
「なりません。ご当主様宛でございます」
っ!
俺はギリッと奥歯を噛み締めた。
手紙を無言で開封した父は、目を通すと深く、重いため息を吐いた。
「……ふむ」
「父上! リナに何かあったのですか!?」
俺のリナに何かあったら、たとえ王国が相手だろうとただじゃおかない。
父はじっと俺を見据え、口を開いた。
「……リナ嬢は、お前を指名した」
「……俺を?」
「……初夜の相手として、だ」
初夜の相手に……俺を?
一瞬、頭の中が真っ白になった。
父が苦々しく問いかける。
「……どうする?」
「リナを取り返す」
即答した俺に、父は再び深いため息を吐いた。
「こうなるだろうとは思っていたが……。ルシアン、お前を我が家から除籍する」
「……恩に着ます!!」
勘当という形をとることで、俺の行動が家に波及するのを防ぐつもりなのだ。
「指名日の当日には、お前は我が家とは無縁の身。どこへなりと行け」
「はい!!」
「……死ぬなよ」
立ち上がった父は、不器用な手つきで俺の肩を引き寄せ、力強く抱きしめた。
「母親と兄には、手紙でも残しておいてくれよ」
「……はい。母上と兄上には、生きながらえた際にはまた手紙を出します」
「そこは父にもだろう?」
「……父上。助けてくれますか?」
俺の問いに、父は呆れたように笑った。
「可愛い息子の願いだ……。仕方ないな」
その後、魔術研究所に潜り込ませている間諜から、研究所の間取りや当日の警備態勢など、事細かな情報が父から与えられた。
怒りと焦燥。王国の闇がこれほど深いとは。
知ってしまった以上、もう後戻りはできない。
俺もリナも、死と隣り合わせの場所まで来てしまっていた。
「……父上は、リナの状況をここまでご存知だったのですね?」
俺が冷ややかな声で問うと、父はフンと鼻を鳴らし、不敵に笑った。
「当たり前だろう?」
それもそうだろう。目の前にいるのは当主であり、王宮魔術師団長なのだから。
***
それから数日、俺は逸る気持ちを抑えながら周到に準備を進めた。
戦闘は全力で避ける必要がある。
もしリナが鎖に繋がれていたら、あの醜悪な観衆の目の前で、リナを抱いて『結果』を見せつける羽目になる。
嫌だ。
そんなもの、絶対に嫌だ。
リナの美しい肢体を、誰にも見せたくない。
そして、当日。
魔術研究所にて、俺は一糸まとわぬ姿で隅々まで念入りに検査された。
「はい、大丈夫ですね」
裸の俺にペラペラのガウンを押し付けながら、研究員がにやにやと笑う。
「リナ嬢の相手が出来るなんて羨ましいです。あんな極上の魔力を持った女が、どんなふうに乱れ、狂うのか楽しみでなりませんよ」
俺は殺気を押し殺し、無言で周囲を見渡して構造を頭に叩き込んだ。
「では、流れをお伝えしますね! まずは雰囲気作りから頑張ってください。部屋にある飲み物や食べ物を与えて、安心させてくださいね」
拳を握り締めたまま、俺は黙って次の言葉を待った。
「……ということです。あと、こちらを服用ください」
「これは?」
「男性側が『確実』でなければなりませんからね」
……リナ。
こんな吐き気のする場所で、俺たちはお互いに向き合うしかないのか。
やがて、目的の部屋へと辿り着く。
「では、ここからです! 俺も急いで向こうの席に向かわなくちゃ! よく見えるように抱いてくださいね!!」
走り去る研究員。
俺はドアの前で深呼吸をひとつ、ふたつ、みっつ。
カチャ。
「……リナ。久しぶり」
ドアを開けた先。
あの日ぶりに目にしたリナの美しさに、俺の胸が激しく高鳴る。
「ルシアン……!」
一目散に駆け出し、俺の胸へ飛び込んできた愛しい婚約者。
鎖は……ないな。
ただ、リナの身体からは、妙に甘い香りが放たれている。
逃げ切れるかは分からない。
だが、万が一逃げきれなかったら……その時は、一緒に天に召されよう。
ヒョイッ。
「舌を噛まないように、しっかりしがみついていてくれ」
俺はリナを背負い、魔力を纏って全速力で廊下を駆け抜けた。
タタタタタッ!
背中にぴたりと張り付く、リナの柔らかい体温。
その熱を感じた瞬間、胸の奥から狂おしいほどの想いが込み上げた。
外への扉を抜ける。
ビービービーッ!!!
研究所全体に警報機が鳴り響く中、俺は計画通り裏手に停まっていた荷馬車の屋根へと跳躍し、トスッと音を殺して飛び乗った。
リナに指示を出し、伏せさせた彼女の上から覆いかぶさり、完全に隠すように抱きしめる。
馬車が動き出し、研究所の門を抜けていく。
俺の腕の中に、リナがいる。
甘い。狂いそうなくらい、いい匂いがする。
……身体が熱い。
研究所で無理やり飲まされたものが、ここで効き始めてきた。
(……耐えろ)
はぁはぁ……クソッ。
ほんの少しだけ。
衝動を抑えきれず、俺はリナの首筋に顔を埋めた。
カプリ。
「……っ」
リナの身体がびくっと反応し、震えている。
頭では必死で止まるように叫んでいるのに、身体がリナを求めてしまう。
声を殺して震えながら耐えるリナが、どうしようもなく愛おしい。
(……もうこのまま、ここで繋がってしまってもいいんじゃないか?)
白濁しそうになる意識の中、彼女の華奢な肩口に牙を立てようとしたその時。不意に、父の言葉が脳内に響いた。
『リナ嬢は、お前から逃げたかったんじゃないか?』
ギリッと奥歯を噛み締める。
そんなはずがない。
リナは俺を指名した。
俺たちは相思相愛だと確認しなければ……。
「……リナ。俺の妻になって?」
俺たちの気持ちは一緒だろ?
「……この状況で?」
ツッコミを入れながら俺を見上げたリナの瞳は、熱に浮かされたように潤んでいた。
(待て……リナのこの反応はなんだ?)
その瞬間、俺の頭の中で最悪のピースがカチリと組み合わさった。
『まずは雰囲気作りから頑張ってください。部屋にある飲み物や食べ物を与えて――』
あの下衆な研究員の言葉。
そして今、リナから放たれている、むせ返るほど甘い香り。
まさか……あの部屋で、出されたものを不用意に飲み食いしたのか?
またか。
警戒心というものがないのか。
不用心にも程があるだろう!?
誰にも手を出されず、無事だったことに安堵した。
だが、それ以上に強い呆れと怒りが込み上げた。
熱で狂いそうな思考の中、俺は感情を完全にシャットアウトし――無表情のまま、俺の腕の中で熱に浮かされる無防備な婚約者を、ただ静かに見下ろした。
ルシアン視点




