婚約者が逃げた。
――しあわせな時間をぶち壊したのは、俺の父親だった。
重なり合う結界が次々と突破され、父が現れた。
しかもあろうことか、俺のこの純粋な想いを
「リナの魔力にあてられた偽物だ」と断じた。
「……この想いは、偽物ではない!」
俺は必死にリナを抱きしめた。
この腕の中にいる体温だけが、俺の真実だ。
「リナ! 信じてくれ! 俺はリナを愛してる。本当だ、魔力のせいなんかじゃないんだ!」
狼狽えるリナは、俺を押し返そうとしながら、震える声で言った。
「……で、でもルシアン。普通じゃないし……」
その時、リナがちらりと自分の足首へ視線を落とした。
そこにはめられた俺からの贈り物が、
チャリ、と愛らしい音を立てて鳴る。
(……ああ、なんてことだ。彼女はこんな時でも、俺が贈った魔導具へ目を向けてくれている!)
確信した。
リナは、俺と相思相愛だ。
俺たちを引き裂こうとする世界の方が、狂っている。
だが、父は冷酷に言い放った。
「まずはリナ嬢をこのままにしてはおけない」
「ダメだ!! リナは今、不安定なんだ! 俺が、俺だけがリナを守る!!」
「ルシアン。分かっているんだろう?」
「……嫌だ」
「……このままでは、国が滅ぶぞ」
父の言葉どおり、伯爵邸の周囲には小動物から鳥類、果ては凶悪な魔物まで、リナの魔力に引き寄せられて集まってきていた。
異常発生した魔物。
討伐隊の結成。
厄災の元凶。
父が並べる言葉の羅列に、俺の背筋が凍りつく。
(このままでは、リナが――俺の宝物が、殺されてしまう)
魂を俺と繋げば、彼女をこの世界に繋ぎ止めることができる。
禁術だろうがなんだろうが、構うものか。
そう反論する俺を、父は氷のような目で見据えた。
「ふん。魂を固定したところで、彼女から漏れ出る魔力が抑えられるとも思えんな。……それに、お前。ろくでもない方法を取る気だろう。禁術だな?」
図星を突かれ、俺の肩が大きく跳ねた。
「ち、ち、ち、ちが……っ」
嘘を吐こうとしたが、父の圧倒的な魔圧の前に言葉が詰まる。
「リナ嬢。私は、大切な息子を罪人にするわけにはいかない。わかってくれるな?」
「それは、もちろんです。私は禁術への同意も、賛成もした覚えはありませんから」
死なせない。
死なせてたまるか。
たとえこの命と引き換えにしても――。
必死に言葉を紡ごうとする俺を置き去りにして、リナは静かに微笑んだ。
「……恐いです。でも、最後にしあわせな時間を過ごすことができたので」
(……待ってくれ。最後なんて言うな。まだ何も、君に返せていないのに!)
「リナ! 何を言ってるんだ!」
血相を変えて彼女に手を伸ばそうとした、その瞬間だった。
トンッ。
首筋に、迷いのない衝撃が走った。
「……り……な……」
なぜだ。
俺が、リナを……守る、と……決めたのに……。
薄れゆく意識の淵で、リナが俺に優しく微笑みかけていた。
「今までありがとう、ルシアン」
待ってくれ、リナ。
行かないでくれ。
俺を、信じて――。
***
次に目を覚ました時、世界からリナの姿は消えていた。
彼女はすでに『王宮魔術研究所』へと連行されていた。
「保護」だと父は言ったが、そんなのは詭弁だ。
今頃彼女は、あの冷たい場所で怯えているに違いない。
一刻も早く、リナを救い出さなければならない。
殺気立つ俺のもとへ、父が現れた。
「ルシアン。王都へ迫る魔物の討伐隊へ参加しろ」
「……は? 俺は今すぐ、リナを迎えに行く!」
「このままでは、厄災の元凶としてリナ嬢は処刑されるぞ。彼女の有用性を証明し、時間を稼ぐのが先だ」
その言葉だけを信じて、俺は狂ったように戦場へ身を投じた。
来る日も来る日も、王都へ迫る魔物を屠り続けた。
小休憩のたびに、彼女に贈った魔導具との繋がりを確認する。
(心拍、正常。歩数、平均値……。よし、リナは生きている)
それが、半年以上続いた。
何十回目かの朝日が昇った頃。
王都を脅かしていた魔物の気配が消え、偽りの平和が訪れた。
だが、それと同時に異変が起きた。
魔導具を通じて伝わってくるリナの魔力量が、一気に激減したのだ。
「……魔力を、抽出されている……?」
俺の握りしめた拳から、ポタリと血が滴り落ちる。
街の至る所で、安価な魔導具が流行りだした。
それに触れた瞬間、吐き気がした。
馴染み深い、愛しいリナの魔力が、雑多な道具の中に閉じ込められ、他人に使われている。
バンッ! と父の執務室の扉を蹴り開けた。
「父上! リナは魔力を抜き取られ、瀕死になっているのではないですか!? 今すぐ助けに行かせてください!」
「何を言っている。リナ嬢は積極的に協力しているそうだぞ。健やかで、研究員にも人気があると聞いている」
「そんな、まさか!」
リナが自分から協力するはずがない。
……いや、あのお人好しのことだ。上手い言葉で丸め込まれたのかもしれない。
「リナ嬢はもう、国にとってなくてはならない存在として位置づいた。災厄の元凶として処刑される道を逃れ、大切に保護されている。何が不満だ?」
「……リナは、俺の婚約者だ!」
「婚約は、破棄される」
父の冷酷な宣告が、俺の胸に突き刺さる。
「国としては、その特性を継ぐ魔力炉を欲しがるだろう。……誰を相手に選ぶかまでは、俺にもわからんがな」
俺の頭の中で、何かが音を立てて切れた。
「……リナを、搾取され続けるモルモットとして使い潰す気か!」
「殺気を父に飛ばすな。……あのままでは、リナ嬢の命も、お前も危なかったのだ。これが最善だったんだよ、ルシアン」
最善。
理屈では理解できても、心がそれを拒絶する。
「それに」
父が、勝ち誇ったような、あるいは憐れむような目を向けた。
「リナ嬢も、お前から逃げたかったのかもしれないしな。あの子は、驚くほどあっさりしていたぞ」
「は……?」
「解放された瞬間の、あの晴れやかな顔を見せてやりたかったよ」
逃げた?
リナが、俺から?
「……リナとは、相思相愛です」
絞り出すような俺の声は、虚しく静寂に消えた。
――そんなはずはない。
確かめなければ。
この手で、もう一度。
ルシアン視点




