不意打ちの熱。
「……美味しい」
思わず声が漏れた。
焼き魚の塩加減も、焼き加減も、悔しいくらいに完璧だ。
ルシアンは「骨に気をつけてね」と甲斐甲斐しく身をほぐし、私の皿へ次々と盛りつけてくれている。
盗聴疑惑はひとまず脇に置くとして、本当に優しい。
優しすぎる。
私はひとつ深呼吸をして、フォークにふっくらした白身を乗せた。
「……ルシアン」
「ん? なに?」
「はい、あーん」
私がフォークを差し出すと、ルシアンはきょとんと目を丸くした。
それから、まるで警戒心というものを忘れたみたいに、無防備に口を開ける。
ぱくり。
「すごく美味しかったから。ルシアンにも早く食べてほしくて」
私が微笑むと、ルシアンの動きがぴたりと止まった。
そして次の瞬間、がしっと自分の左胸を掴み、そのままテーブルへ突っ伏した。
「……っ! 息が……」
えっ。
息が!?
大丈夫!?
「だ、大丈夫……!?」
慌てて身を乗り出すと、ルシアンは胸を押さえたまま、ひどく真剣な、それでいて熱に浮かされたような目で私を見上げた。
「……好きだ!」
あ、うん。
大丈夫だな。
完全に元気だわ。
私は静かに自分の席へ座り直し、お茶を一口飲んだ。
「……それで? さっき作ってた魔導具、ちょっと見せてくれない?」
びくっ。
ルシアンが、さっと不自然に顔を逸らす。
「……すごく不思議なんだけど。この完璧なタイミングで出てきた、焼き魚」
ルシアンの肩がぴくっと跳ねた。
「……焼き魚」
さらにぴくっと跳ねる。
「お、俺が今日、たまたま焼き魚が食べたい気分だっただけだ」
なぜそこで、そんな苦しい言い訳をするかなぁ。
「嘘は信用を失うよ?」
私がじと目で睨みつけると、ルシアンは観念したように視線を落とし、ぼそりと呟いた。
「……万が一のためだ」
認めたな。
万が一に備えて、風呂場の近くに集音器っぽいものを仕込む男。
お巡りさん、この人です。
この婚約者です。
……いや待てよ。
婚約者なら、そこはセーフなのか?
いや、どう考えてもアウトでは?
そんな脳内問答を転がしながらも、追及する気力は魚の美味しさに負けた。
結局、その後に出てきたデザートまでしっかり平らげてしまった。
お腹いっぱいで、ふうと息を吐く。
それにしても、少し暑い。
お風呂でうとうとして長湯したせいか、身体がずっと火照ったままだ。
「のぼせちゃったかな……」
ふらりと頭を揺らした私を見て、ルシアンがはっと顔色を変えた。
「……リナ。熱がある。そろそろ身体を休めた方がいい」
言うが早いか、ルシアンは私をすっと抱き上げた。
またしても、お姫様抱っこである。
「ちょ、待っ――」
抗議する間もなく、彼はベッドまで一直線だった。
ふかふかのシーツへ私をそっと寝かせ、布団を首元まできっちり掛ける。
その手際の良さが、なんだか妙に慣れていて怖い。
そして彼は、ベッドサイドから一冊の分厚い本を取り出した。
「……昔々あるところに、勇者の末裔が住む村で」
私は目を瞬かせた。
……私は子どもかっ!!!
勢いよくツッコみたかった。
けれど、待てよ。
勇者の末裔の話?
……あっ。
普通に面白そう。
わくわく。
完璧な寝かしつけ――絵本朗読つき――の果て。
熱が少しずつ引いていくような、心地よい気怠さの中で。
「……確認してもいいかな?」
うん、と頷くより先に、私の手はもうルシアンの大きな手に包み込まれていた。
「優しくしてね?」
言った瞬間、あ、言い方を間違えた、と思った。
熱のせいか、完全に単語の選択を誤った気がする。
案の定、ルシアンの端正な顔がぽっと朱に染まる。
彼の魔力が、私の体内をゆっくりと、文字どおり撫でるように優しく確かめていく。
けれど、奥のほうで何かが引っかかるような感覚があった。
「……っ、痛い」
私が小さく呻くと、ルシアンはまるで自分が傷つけられたみたいに悲痛な顔を歪めた。
ぎり、と。
奥歯を噛み締める音が、静かな部屋に小さく響く。
「……あのクソ魔術師め。……もっと苦しませて殺せばよかったな」
極めて物騒な発言が聞こえた気がする。
でも、ここで反応したら色々とまずい気がしたので、私はそっと耳を塞ぐふりをした。
それで、結局。
私の身体はどうなっているのだろう。
私はごくりと息を呑み、余命宣告みたいなものを待った。
「…………」
「…………」
……見つめあ〜うと〜
素直に〜
おしゃべり〜
でき〜な〜い〜♪
脳内で某名曲のイントロが流れ出すくらい、私たちは無言で見つめ合っていた。
――いや、長いわっ!!!
しびれを切らして、私は口を開く。
「……どうなの? 明日には私、天に召されちゃう感じ?」
途端に、ルシアンは見る見るうちに涙目になった。
「そんな簡単に天に召される気でいてはだめだろう!!
リナは俺に酷すぎる!! そもそもお前の魂は……」
そこから、ぶつぶつと過保護全開のお説教が始まってしまった。
……絶対にはぐらかしている。
はあ、と小さくため息をつき、私は呆れ半分でその説教を聞き流した。
術を完成させ、魂を繋いで、混ざり合う運命共同体になれば。
こんなふうに、ぽっくり天に召される心配なんてなくなる。
それは私もルシアンも分かっていることだ。
けれど、彼は決して無理やり私を抱こうとはしない。
あんなに愛が重くて。
行動が怖くて。
控えめに言って、かなり色々やばい奴なのに。
それでも私を扱う手つきだけは、壊れものみたいに優しい。
「……リナ。俺はリナを愛してる」
「不意打ち!? 急にっ、そんなっ」
真剣すぎる眼差しとともに、
美しすぎる顔がスローモーションのように近づいてくる。
きゃー!!
きゃあー!!!
脳内で警報と歓声が入り混じる中。
ちゅっ。
触れるだけの、羽みたいに軽いリップ音が響いた。
ぱっと顔を真っ赤にして視線を逸らすルシアン。
両手で顔を覆って、そのままベッドへ沈み込む私。
……甘酸っぱい。
今すぐこのベッドから転げ落ちて、床をゴロゴロ転がり回ってもいいですかね?
あんなに狂気まみれの束縛を仕掛けてくるくせに、
純情かっ!!




