それってつまり秒読みじゃないか!
快適だった。
恐ろしいほど、快適な監禁生活だった。
朝、昼、晩。
私が少しお腹が空いたな、と思う絶妙なタイミングで、湯気の立つ美味しい食事が運ばれてくる。
部屋の温度は常に適温。
ベッドは信じられないくらいふかふか。
何より素晴らしいのは、誰にも邪魔されずに大好きな小説が読めることだ。
深夜に扉の隙間からこちらを凝視するお父様の視線もない。
隙あらば何かを採取しようとするお母様もいない。
そして、廊下を歩くたびに変態ドM騎士を踏みつける必要もない。
誘拐される危険もない。
……あれ?
本当にここ、天国では?
私は長椅子の片隅で本を開きながら、ぽかぽかした心地よさに浸っていた。
ふと、視線を横へ滑らせる。
すぐ隣には、同じように本を開いて腰掛けているルシアンがいた。
絹糸みたいにさらさらと流れる髪が、窓から差し込む淡い光を受けて、きらきらと光っている。
長い睫毛。
すっと通った鼻筋。
こうして黙って本を読んでいる横顔は、悔しいくらいに絵になる。
じっと盗み見ていると、不意にルシアンが本から顔を上げた。
ぱちり、と紫の瞳がかち合う。
彼は私の視線に気づくと、にこり、と
とても優しく綺麗な弧を描いて微笑んだ。
どきっ、とした。
心臓が、変な音を立てる。
いやいや、顔がいいのは昔から知っているけれど。
この至れり尽くせりな環境のせいで、私の警戒心が完全にバグを起こし始めている。
「どうした?」
誤魔化すように、私はふと思い浮かんだ疑問を口にした。
「……そういえば、私の魔力? 魂の安定って、いつ頃完了するのかな?」
この部屋に閉じ込められている理由。
私が魅了をかけられたせいで乱れた魔力を安定させるためだと、ルシアンは言っていた。
それが終われば、きっとこの重たいアンクレットも外れるはずだ。
けれど。
ルシアンは少しだけ目を伏せ、静かに答えた。
「……このままでは、完全には安定しない」
「えっ? どういうこと?」
ルシアンが本を閉じ、ゆっくりと私の隣へ身を寄せてくる。
距離が近い。
彼から漂う、清潔で少しだけ甘い香りが鼻先をくすぐった。
ルシアンは私の耳元へ唇を寄せる。
ひどく内緒話をするみたいな、艶を帯びた低い声で囁いた。
「リナと身体を重ねたら、術が完成する」
「……〜〜〜っ!!!」
ばっ、と。
私は弾かれたみたいに長椅子から飛び退いた。
左足首のアンクレットが、ちゃり、と鳴る。
それどころじゃない。
顔が一気に沸騰した。
身体を重ねるって。
完成するって。
それ、つまり、そういうことじゃないか!
「くくっ……」
私が顔を真っ赤にして口をぱくぱくさせていると、ルシアンが肩を揺らして笑った。
「……大丈夫だ。まだ手は出さない」
『まだ』って何!?
いや、秒読みじゃないか!
そ、そ、そ、それは意識しちゃう。
いくら快適でも、ふかふかのベッドが一つしかないこの部屋で「まだ」なんて言われたら、夜も眠れなくなる。
「……ダメだからね!? 結婚式まではっ!」
私は両手をばっと前に突き出し、ルシアンへ向かって全力の静止ポーズを取った。
すると、ルシアンはきょとんと目を丸くした。
瞬きを二、三回。
私が「結婚」という言葉を口にした事実を、ゆっくり噛み砕くみたいに。
そして次の瞬間。
彼は、今まで見たこともないくらい無防備な、満面の笑顔を咲かせた。
「ああ。わかってる。愛してるよ、リナ」
ひゃー!
そのあまりにも真っ直ぐな声と表情に、
胸の奥がぎゅん、と鳴った。
怖いとか。
重いとか。
そういうのを全部通り越して。
今さらながら、
私、婚約者にめちゃくちゃ大切にされてるのでは?
という実感が、波みたいに押し寄せてきた。
顔が熱い。
恥ずかしい。
心臓がうるさい。
私はたまらず、両手で自分の顔を覆った。
……あれ?
その時、違和感に気づいた。
顔が熱い。
それはわかる。
恥ずかしさでのぼせている自覚もある。
でも、違う。
手が冷たい。
いや、違う、そうじゃない。
身体の奥から、じわじわと異常な熱が湧き上がってきている。
息が、妙に熱い。
視界がぐらりと揺れた。
足元から床が消えたみたいな感覚。
「る、しあ……」
上手く声が出ない。
私がよろめいた、その瞬間。
ルシアンの顔から、さっきまでの満面の笑みが一瞬で消え去った。
「リナ!?」
ばさり、と本が床に落ちる音がした。
崩れ落ちる私の身体を、ルシアンの腕が強く、必死に抱き留める。
熱い。
私の身体が、異常な熱を発している。
ただの照れ隠しの熱なんかじゃない。
アンクレットで繋がれた魂の術の負荷か。
それとも、魅了の余波か。
「リナ、しっかりしろ……! くそっ、熱が……!」
私を抱きかかえるルシアンの声が、ひどく焦燥に満ちて震えているのを聞きながら。
私の意識は、高熱の波に呑み込まれて、完全に途切れた。




