毒を以て毒を制す気で混ぜたら危険。
「……いいわよ。踏んであげる」
その一言がアトリエに落ちた瞬間、空気が凍りついた――わけではない。
どろりとした、息もできないほど濃密な「圧」が、室内いっぱいに満ちた。
背後から、低く、湿った吐息のような声が届く。
「リナ。……今、なんて言った?」
ルシアンだ。
振り返らなくてもわかる。
彼の放つ魔力が、見えない鎖みたいに私の手足へ絡みつき、その場に縫い止めていた。
けれど、止まらない。
膝をつき、恍惚とした表情で「救済」を待つ新護衛騎士を、私は冷たく見下ろした。
「条件があるわ。私があなたを踏むのは、あなたが私の『忠実な盾』になった時だけよ。ルシアンの過干渉も、お父様たちの異常な執着も、全部あなたが遮断しなさい。私の許可なく、誰一人として私に触れさせないこと」
騎士の喉が、歓喜に震えた。
まるで神託でも下ったみたいな顔で、彼は深く頭を垂れる。
「仰せのままに……!
今日この時から、私はリナ様を汚そうとする、
俺以外のすべての『愛』を断つ壁となりましょう」
……ん?
一瞬、何か聞こえた気がした。
でも、たぶん気のせいよね。
うん、気のせい。
今は深く考えないでおこう。
「愛を断つ壁」って、なんて心強い響きかしら。
「よし。――契約成立ね」
私は心の中で、思いきりガッツポーズを決めた。
これでいい。
狂人には狂人をぶつける。
変態には変態の理屈がある。
この騎士を盾にすれば、
これまでみたいな危機も避けられるし、
ルシアンのあの過保護すぎる干渉も、少しは和らぐはず――。
「……ふふ。あははは……っ!」
唐突に、背後で笑い声が弾けた。
それは、いつもの余裕たっぷりなルシアンの笑いじゃない。
何かが壊れて、決壊して、泥流みたいに溢れ出したような、危うい響きだった。
ゆっくりと、ルシアンが歩み寄ってくる。
そこにいた男は、もう理性で立っているようには見えなかった。
暗い沼の底から、私だけをじっと見上げているみたいな目をしている。
その紫の瞳が、やけに爛々と光っていて
――ひどく、怖かった。
「リナ……。君は本当に、俺を試すのが上手だね」
「他の男を頼ってまで、俺から逃げたいのかい?」
甘い声音だった。
だからこそ、余計に怖い。
砂糖菓子みたいな声で呪いを吐くの、やめてほしい。
本当に心臓に悪い。
「……そんなに俺を、本気にさせたいんだね」
「な、何を……っ」
言い終わる前に、ルシアンの手が私の肩を掴んだ。
びくり、と体が跳ねる。
指先に込められた力は痛いほど強いのに、その熱だけは妙に生々しい。
大好きで、頼りにしてきた相手なのに、今はただ近すぎて怖い。
――情報量が多すぎる。
「いいよ」
耳元で囁くみたいな低い声。
「その騎士も、この屋敷も、君を狙う羽虫はすべて俺が飲み込んであげる」
ぞくり、と首筋に冷たいものが走る。
いや、飲み込まなくていい。
そこは普通に追い払ってほしい。
どうして全部、表現が重いの。
ルシアンの紫の瞳が、昏い悦びに濡れて私を射抜いていた。
宝石みたいなのに、見つめられている気がしない。
捕まえられている。
「……リナ。俺の腕の中以外に、君の居場所なんて残さないから」
失敗した。
盛大に失敗した。
毒を以て毒を制して、
少しだけ彼を「制御」したかっただけなのに。
私がやったのは、毒をぶつけて相殺することじゃない。
毒と毒を混ぜて、もっとヤバい何かを錬成しただけだった。
最悪だ。
大好きなはずのルシアンの中で、眠っていた最凶の怪物を、
自分の手で揺り起こしてしまったのである。
しかもたぶん、ものすごく機嫌よく。
脱字を修正しましたm(_ _)m




