俺の婚約者はよく誘拐される。
もぬけの殻になったベッドを視界に入れた瞬間、俺の理性は文字通り蒸発した。
制御を失った魔力が咆哮を上げる。
洋館そのものを、時空ごと消滅させる寸前――。
「……落ち着け、ルシアン!」
義父の鋭い手刀が首筋に打ち込まれ、俺の意識は暗転した。
◇
揺れる思考をポーションの力で無理やり引き戻し、俺は即座に洋館を後にした。
くそっ。
位置情報が特定できる魔導具は、まだ作成の途中だった。
位置特定だけなら、瞬時に作ってリナの腕に嵌めていただろう。
だが、それでは足りない。
位置情報の他に、多層展開バリア、心拍測定、魂の安定化回路、緊急治癒術式、通信機能、ついでに健康管理のための歩数計……。
付けても付けても、彼女を守るには足りない気がした。
完璧を求めすぎて、完成が遅れたのが仇となった。
「くそっ……!」
二度目の毒を吐く。
一刻も早く、リナをこの手に取り戻さなければならない。
脳裏をよぎるのは、あの護衛騎士の顔だ。
リナに触れ、リナを見つめ、あろうことか親しげに語りかけていた不届き者。
『私の騎士』
リナの口からその言葉が零れた瞬間、俺はあいつを闇に屠ることを決めていた。
夜が明けた。
万が一……。
もし、あいつにリナが汚されていたら……。
どす黒い感情が渦を巻き、俺の精神を深い淵へと沈めていく。
四方に散った部隊から報告が入るが、追跡は難航していた。
さすがは義父が選び抜いた護衛騎士だ。
馬車を使いながらも、巧妙に偽の痕跡を残し、追跡を翻弄している。
潜伏術を極めた優秀な騎士ほど、敵に回すと厄介なものはない。
正午。
斜め前方の空に、不自然に旋回する鳥の大群が見えた。
リナだ。
あんな奇跡じみた現象を引き起こせるのは、この世界でリナしかいない。
俺は全魔力を展開し、弾丸のように現地へ向かった。
開けた場所に出た瞬間、そこには羽毛の雪の中に舞い降りた天使がいた。
「……ルシアン……!」
彼女を連れ去った男が、あろうことか彼女に手を伸ばそうとしている。
「動くな。一歩でも動けば、その心の臓を氷の棘で貫く」
……(中略)
無事に救出したリナは、俺に向かって満面の笑みを浮かべた。
「来てくれてありがとう!」
「大好きだよ!」
ああ!!
俺もだ、リナ!!
ようやく、ようやく俺の愛が届いたんだな!?
俺は歓喜に震え、彼女が飛び込んでくるのを待つために大きく両手を広げた。
だが、リナは最高に愛らしく、そして極上の笑顔をもう一度だけプレゼントして――颯爽と義父の馬に跨った。
……そこは、俺の腕に飛び込んでくる場面じゃないのか?
◇
その夜、俺は執念で例の魔導具を造り続けていた。
文字通り徹夜だ。
だが、それでもまだ「完璧」には至らない。
俺がリナのために血を吐く思いで魔導具を錬成している間に、またしてもリナは管理人に寝室への侵入を許していた。
大事には至らなかったとはいえ、報告を聞いた時は心臓が凍りつくかと思った。
急ぎ王都へ帰還する準備を整えていた、その最中だ。
ふと目を離した隙に、またリナの姿が消えた。
待て……嘘だろう?
「……リナ様が、御者により連れ去られました」
影の報告が届いた瞬間、俺の足元の地面が音もなく凍りついた。
は?
御者?
馬車を操るだけの、あの羽虫が――リナを?
「急ぎ捕らえろ! 踏みつぶせ!」
俺はリナの乗る馬車を追った。
無理やり抉じ開けたドアの向こうから、リナがまっすぐ俺の腕の中へ飛び込んできた。
「ルシアン〜〜!!」
「ぐはっ……!」
飛び込んできて欲しいとは願っていたが、まさかここまでの勢いとは。
だが――腕の中にふわりと香るリナの匂い。
柔らかく、温かな身体。
……ああ。
これだ。
これが最高だ。
もう絶対に。
二度と。
死んでも離さない。
ふと、捕らえられた御者を見たリナが青い顔で言った。
「る、ルシアン……。御者さん死んじゃうから。そろそろ踏むの、止めてあげて……?」
「……リナを俺から奪おうとする羽虫は、早めに駆除しておいた方が安心だろう?」
リナは優しすぎる。
だから、こういう下劣な奴らが付け入るんだ。
「ルシアン……怖い……」
……俺が、怖い?
この俺が、怖いと言うのか?
世界で一番リナを想い、守ろうとしている、この俺を?
衝撃で肩がビクッと跳ねた。
「…………やめろ。生かしておけ」
「はっ! かろうじて、まだ息はしております!」
その後、俺はリナを自分の馬車へ乗せた。
「……もっと感謝しろよ」
「ありがとう!」
「……俺の腕の中がいちばん安全だろ?」
「今のところは……?」
なんだよ、その含みのある言い方は。
俺はさらに力を込めて、彼女を抱きしめた。
リナは呆れたような顔をしていたが、その身体はほんの少し震えていた。
ほら、見てろ。
俺のことを愛しすぎて、喜びで震えているじゃないか。
……やはり。
リナには、俺しかいないんだ。




