騎士とてぇーたいむ。
丸太小屋の窓はすべて固く閉ざされ、昼だというのに室内は薄暗い。
暖炉の火だけが赤く揺れ、壁に掛けられた狩猟道具の影が、獣の牙のように伸び縮みしている。
「救出」という名の誘拐。
このままここに閉じ込められていたら、いつ「初夜(仮)」という名のゴールテープを切られるか分かったものではない。
私は、暖炉を静かに見つめている彼へ、精一杯の営業用スマイルを向けた。
「あの……私、空気がこもった場所って、あまり得意じゃなくて。高原の風を感じながら、紅茶でも飲めたら嬉しいなって」
一瞬、騎士の目が大きく見開かれる。
「――ええ、もちろんです。リナ様の願いとあらば、喜んで」
その声音は、舞踏会でダンスを申し込まれたかのような晴れやかさだ。
彼は軽やかに扉を開け、私を外へとエスコートする。
外気が頬に触れた瞬間、肺の奥まで冷たい高原の風が流れ込み、私は内心で小さくガッツポーズを決めた。
森の開けた場所。
木漏れ日が金色の粒となって降り注ぎ、草の上には柔らかな光の斑が揺れている。
彼が淹れてくれた紅茶は意外にも香り高く、湯気が淡く空へ溶けていく。クッキーは素朴な甘さで、サクリと軽い音を立てた。
目の前では騎士が滔々と語っている。
「あなたをどれほどお慕いしているか」
「ルシアン様の愛がいかに歪んでいるか」
「この森で二人きりの未来がどれほど尊いか」
……重い。
クッキーが喉を通らないほど重い。
足元では、私の魂に惹かれたらしいリスやウサギ、さらには鹿までが集まり、まるでお伽話のワンシーンのような光景が広がっている。
「少し失礼します。夕食の準備を」
彼は爽やかに立ち上がると、数分後には向こう側で鹿と猪を鮮やかに仕留めて戻ってきた。
……食材確保の手際が良すぎる。頼もしさと恐怖が同時に押し寄せる。
私は紅茶をもう一口飲み、肩に止まった小鳥へクッキーの欠片を差し出した。
「ねぇ、鳥さんたち……。もしできたら、一斉に羽ばたいて空を舞う姿、見せてくれないかなー……なんて」
ぽつりと呟く。
もし鳥たちが一斉に騒げば、この場所は目立つはずだ。
混乱に紛れて逃げられるかもしれない。
(まあ、リスの時に失敗してるし、どうせ無理よね)
半ば願掛け、半ば諦め。
その瞬間。
「ピィィィィィイイイイイ!!!」
「ピィ! ピィピィピィー!!」
一羽の絶叫を皮切りに、森全体が爆ぜた。
何百、何千という鳥たちが一斉に空へ舞い上がり、高原の青空が鮮やかな影に覆われる。
「えっ……ちょ、通じた!? 通じたけど!!」
次の瞬間。
その大群が一直線に、私へ急降下。
バッサーーーー!!!
「うわぁっ!? 羽! 羽が口に入る!!」
視界は羽毛で真っ白。
私は完全に「鳥の巣」状態だ。
私の願いを「全力で踊れ」と受け取ったらしい鳥たちは、猛烈な勢いで旋回を始める。
「リナ様!? 何事ですか、これは!!」
獲物を抱えたまま、騎士が血相を変えて駆け寄る。
阿鼻叫喚の羽毛パーティー。
だが、その混乱の極地で。
周囲の空気が、甲高い音を立てて震えた。
キィィィィン……
鳥たちの狂騒が嘘のように、世界から音が消え去った。
次の瞬間。
バキバキバキッ!
乾いた破裂音が森を裂く。
すぐ近くの樹木が、幹の内側から真っ白に染まり、氷の彫刻と化したまま砕け散った。
空気が、痛い。
息を吸った刹那、肺の奥がひりつく。
さっきまで暴れていた鳥たちが、空中でぴたりと止まる。
羽ばたきの音が消える。
……静かすぎる。
一拍。
次の瞬間、群れは本能に弾かれたように四方へ散った。
抜け落ちた羽毛が、雪のように降る。
その向こう。
立ち込める白い霧の奥に、人影。
氷の粒が、足元でかすかに軋む。
昏い紫の瞳が、まっすぐこちらを射抜いていた。
「――やはり、君の周りには“害虫”だけでなく“外敵”も寄り付くようだね。お陰で座標の特定が容易だったよ」
低い。
静か。
怒鳴っていないのに、鼓膜が震える。
森が、息を止める。
「……ルシアン……!」
喉に引っかかった羽のせいで、声がうまく出ない。
それでも、手が勝手に伸びる。
うざい。
重い。
執念深くて、怖い。
それなのに。
今は。
今だけは。
この世の誰よりも自分を追い詰めるはずのこの人が、
世界でいちばん安全な場所に見えた。




