人生設計の危機
ガタゴトという規則的な振動が止まり、
代わりに聞こえてきたのは、パチパチと爆ぜる薪の音だった。
「……ん、……喉、かわいた……」
重い瞼をこじ開けると、そこは見覚えのない古びた丸太小屋の中だった。
壁には狩猟道具が並び、暖炉の火が赤々と室内を照らしている。
豪奢な洋館の寝室とは正反対の、野性味あふれる空間。
「お目覚めになられましたか、リナお嬢様」
すぐ傍で、あの騎士が跪いていた。
いつも身に纏っていた煌びやかな甲冑はなく、旅慣れた革の軽装姿だ。
その瞳は暗い室内で異様なほど熱を帯び、潤んで見える。
「ここ……どこ? ルシアンは? お父様たちは?」
「ご安心ください。あのようにあなたを『呪い』で縛り付けようとする者たちから、私が遠くへお連れしました」
騎士は私の手を両手で包み込むように握った。
その力は、以前ぬかるみで支えてくれた時よりもずっと強く、逃げ場を封じるような重さがある。
「お嬢様……いえ、リナ。あなたは、ご自分が何を引き寄せているのかお気付きではない。ルシアン様も旦那様も、あなたを『稀少な資源』のように管理し、閉じ込めようとしています。ですが、私は違う」
騎士が、私の指先にそっと唇を寄せた。
「私は、あなたが誰であっても構わない。記憶を失う前のあなたではなく、今、私の前で戸惑っている『あなた』を愛しています。たとえ世界中を敵に回しても、この深い森の奥で、私だけがあなたを護り、愛し抜きましょう」
え。ちょっと待って。
「ええと……つまり、これって『誘拐』……?」
「いいえ、『救出』です。ここでは誰もあなたを調べたり、薬を飲ませたりしません。
ただ、私の腕の中で安らかに過ごしていただくだけです」
騎士の笑顔は、相変わらず爽やかで美しい。
けれど、その背後の扉には太い閂が下ろされ、窓もしっかりと閉められている。
外の光を拒絶するかのように。
ルシアンの「被験者生活」から脱出したと思ったら、今度は物理的に“詰んだ”狩り小屋。
直感的に、こっちの方が生物としてヤバい気がする。
「リナ。さあ、私だけを見てください。あなたの騎士は、ここにいます」
騎士の顔がゆっくりと近づいてくる。熱い吐息が触れそうな距離で、私は必死に声を絞り出した。
「あの……あのね……私、すごく体調が良くないの。喉も砂漠みたいに乾いていて……お腹も空いて死にそうなのよ」
至近距離で、騎士の動きが止まる。
(くっ……こんな古典的な回避方法で通じる!?)
冷や汗を流す私に対し、騎士はにっこりと慈愛に満ちた笑みを浮かべて頷いた。
「承知いたしました。今しばらくお待ちください」
いけた! いけたよ!
彼が離れた隙に、私は頭をフル回転させる。
どうやら護衛騎士くんは、私を「守るため」に逃避行という名の略奪を実行したらしい。
「呪い」って何?
そして、空腹でスルーしかけていた数分前の騎士の愛の告白を、今さら思い出す。
(えー!? 愛してるって言った!?)
盛大に頭を抱える。
戻ってきた騎士が準備してくれた、質素ながら温かい朝食と飲み物。喉に流し込む。
生き返る……! 脳に糖分が回ってきた!
ここからどうにか彼を説得して、穏便に両親のもとへ返してもらえないだろうか。
せめて山奥に二人きりは、生存戦略上かなりマズい。
「私ね、あなたとこの小屋で生活するのは……ちょっと無理かなって思ってるのよね」
思い切って切り出すと、騎士の顔が悲劇のヒーローのように歪んだ。
「……っ! 申し訳ございません……そうですよね。
お嬢様のようなお方が、このような貧相な場所で
『初夜』を迎えたいはずがありませんよね……」
へ?
今、なんて言った?
「しょ、初夜……?」
「すぐにでも、より相応しい場所を整えます。それまでは、この不自由をお許しください」
冷や汗が背中を伝う。
私は今、被験者としての危機の次に、人生設計の危機の真っただ中にいることを、ようやく理解した。
やばいよ!やばいよー!!
誰かー!
魔術師ー!
ストーカー婚約者!!
た す け て 。




