騎士の反乱
薄暗い室内。
リナの眠るベッドの傍らで、騎士はそっとその手を取り、熱を孕んだ視線を落としていた。
「リナお嬢様……」
敬愛と情愛が入り混じった吐息とともに、白く細い手の甲へ、祈るように静かな口付けを落とす。
「――何をしている、貴様」
背後から、凍土の底から響くような冷え切った声が落ちた。
ルシアンだ。
騎士は振り返りもせず、手も離さず、静かに答える。
「お嬢様の騎士として、目覚めをお待ちしていただけです」
「はっ。俺が気付かないとでも思っていたか?
貴様のその醜い情欲の波長が、部屋の空気を汚しているんだよ」
騎士の瞳が鋭く細まる。
ゆっくりと立ち上がり、初めてルシアンと正面から向き合った。
その目には、忠誠という名を借りた、隠しきれぬ狂信が宿っている。
「お嬢様が仰ったのです。『私の騎士』だと。……自分の命も、肉体も、心も、すべてはお嬢様のもの。婚約者である貴方であっても、私とお嬢様の絆を裂くことはできない」
空気が爆ぜる寸前まで張り詰める。
魔術師の冷徹な殺気と、騎士の剥き出しの闘志。
視線が交錯するたびに火花が散り、部屋の調度品が軋む。
その時だった。
「……う……るさい……」
蚊の鳴くような、か細い声。
「リナ!」
「リナお嬢様!!」
先程までの殺気が嘘のように消え、二人が同時に身を乗り出す。
薄く目を開けたリナは、頭痛に顔をしかめ、二人を心底煩わしそうに睨みつけた。
「今すぐ……出ていって……。頭、割れそうだから……静かにして……」
沈黙。
そして――
一国を動かしかねない魔術師と、精鋭の騎士は、揃って部屋から追い出された。
◇
その日の深夜。
昼間の家族会議を盗み聞きしていた騎士は、絶望と憤怒に震えていた。
「魂の固定」――そんな呪いのような結びつきで、お嬢様を縛るなど間違っている。
それは愛ではない。
ただの呪縛だ。
(お嬢様は、自分がお守りする。ルシアン様からも、死の運命からも)
迷いはなかった。
騎士は静かに実行へ移す。
眠るリナを毛布ごと抱き上げ、闇に紛れて洋館を脱出する。
あらかじめ手配していた馬車へと運び込み、高原を駆け抜けた。
ガタゴト、と車輪が石を弾く音が夜気を震わせる。
「ん……頭、超痛い……」
朦朧とした意識の中、リナは喉の渇きと鈍い痛みに耐えていた。
だが、身体を包む揺り籠のような振動が心地よく、瞼は鉛のように重い。
(……でも、めっちゃ眠い……。もうちょっとだけ寝よ……)
自分が今、騎士に連れ去られているとも知らず。
夢の中では、花咲く森でくまさんと出会う軽快な音楽が、どこまでも呑気に流れ続けていた。
その頃、洋館では――
もぬけの殻となったベッドを前に。
ルシアンの咆哮にも似た詠唱が、高原の夜を真っ黒に染め上げようとしていた。




