成長
いよいよ修学旅行の日が訪れた。目的地へと向かう大型バスの車内では、生徒たちが思い思いに騒いで過ごしていた。大勢での旅行という特殊な経験に浮ついて、気持ちは昂り車内は騒然としていた。
進の隣に座ってる悪郎は、そんな大騒ぎの車内でも優雅に寝息を立てている。俺をくだらない余興に巻き込むなよ、そんな考えが態度からにじみ出ていた。くだらない余興とは、車内で行われるレクリエーションのことだ。
カラオケにクラスメイトたちが盛り上がる様を見ていた進も、悪郎と同じように自分にお鉢が回ってこないようにと願いながら身をかがめていた。いっそのこと悪郎のように寝てしまえたらいいのにと思ったが、異様な盛り上がりを見せる集団内でそんな自由なことはできないし、そもそもうるさくて眠れやしなかった。
紗奈は文化祭で見事な歌声を披露したためか、周りからせがまれて何度かマイクを握って歌っていた。当時の特訓によって鍛え上げられた歌声は素晴らしいもので、大勢が見ているステージ上という状況ではないバスの車内では、程よく肩の力も抜けていて実力以上のパフォーマンスが出せていた。
「紗奈の歌声はいつ聞いても中々のものだ。鍛えてやった俺も鼻が高い」
「何だよ、悪郎起きてたのか?」
「紗奈の声が聞こえてきたからな。しかしこのまま狸寝入りを続けるからお前はこっちを向くなよ」
「はいはい自由でいいですね悪郎くんは」
二人で紗奈の歌声に聞き入る。歌声は耳に心地いいだけでなく気分を落ち着かせ、これならば騒がしいバスの車内でも進は眠れそうだった。うとうとしてまぶたが重くなりはじめたころ、進はクラスメイトに呼ばれて一気に眠気が消し飛んだ。
「佐久間っ!お前も何か歌ってくれよ」
「えぇ?僕はいいよ」
「そんなこと言うなって、如月と一緒にバンドやってたじゃん」
「いやでも僕はドラム叩いてただけだし、本格的なコーラスは悪郎が…」
しかし肝心の悪郎が寝ているため、話を振ったところでなんの役にも立たなかった。しかし実は進が声をかけられた時点で悪郎は目を覚ましていて、寝たふりをしながら事の成り行きを見守っていた。進も悪郎のことだから起きているだろうなと分かっていた。そして自分が根負けするのを待っているんだろうという予想も当たっていた。
「はあ、もう仕方ないか。その代わり下手でも文句言わないでくれよ?」
「そんなこと言い出したら誰も歌わねえって。ほら、曲は?」
「ええと、じゃあこれで」
そう言ってマイクを受け取る進、隣で寝たふりをしている悪郎は、どうせジャスティスソードの主題歌を歌うんだろうなと考えていると、少なくとも現代風とはいえないメロディーが流れ始め、カーッというビブラスラップの音が聞こえてきてから、進は意気揚々とこぶしをきかせて歌い始めた。
「まさかの演歌かよ…」
世代直撃の教師やバスの運転手はノリノリであったが、生徒たちはぽかんと口を開けていた。歌声自体は実に見事なもので文句のつけようもなかったのだが、その歌の名前も歌手もまるで知識がないからだ。
進が最後まで見事に歌い上げると、自然と称賛の拍手が沸き起こった。しかしその場にいたほぼすべての人の頭の上には疑問符が浮かび上がっており、何が何だか分からなかったけれど間違いなく盛り上がったことは盛り上がった。
旅行先に到着してからいくつかの寺院を見学して回り、文化財などを拝観し解説を受け歴史的にも文化的にも価値のあるものをいくつも見て回った。しかし生徒たちはバス内で散々騒いだ後であり疲弊していて、わびさびの心などまだまだ何も知らない年頃では興味や関心はすっかり薄れていた。
茶をたてる体験学習ではもう一度元気を取り戻していたものの、やはり目に見えて疲労しており、唯一元気なのは道中でたっぷりと寝ていた悪郎だけだった。宿に到着してようやく荷ほどきを終えると、くたくたになった進や他の生徒たちは畳に身を投げ出し横になった。
「つ、疲れた…」
「お前ら初日からはしゃぎすぎだよ。どちらかというと明日の自由行動がメインじゃないのか?」
「これくらい準備体操に過ぎねえぜ…」
「まあ強がったところで俺はどうでもいいがな、入浴は順番が決められているから、入りそびれたくなきゃ準備しておけよ」
用意を整えて悪郎はさっさと出て行ってしまった。慌ててそれに続くように準備をして、他の生徒たちも悪郎の後に続いて部屋を飛び出した。
脱衣場ではどことなく気恥ずかしさを感じて、けん制しあうようにきょろきょろとして落ち着かない生徒が多かった。そんな中でも悪郎は早々にすべてを脱ぎ捨て、何も隠すことなく風呂場へと堂々たる足取りで入っていった。進もまた同様に服を脱ぎ、何一つ隠すことなく悪郎を追って中に入る。
「すげえなあいつら…」
「ていうか佐久間の体見たか?腹筋割れてたし全体的にムキムキだったぞ」
「…以前はあんな風じゃなかったよな」
「ああ、そういやそうだった…」
男子生徒たちは一度いじめに関わる過程で、進が服を脱がされてみじめな格好にさせられているところを目にしていた。実際の服を脱がせた行為に加担していたものはその場にはいなかったが、その画像を見て馬鹿にして仲間内で拡散させた罪がある。
自分たちが加担していたことが改めて愚かしいことだったと思い知ることになった。風呂に入るために服を脱ぐというのはごく自然な行動であるのに、他人に素肌を晒すことに異様な羞恥心を覚えていた。
いじめではそれを馬鹿らしい理由で強要し写真まで撮った。小坂拓巳から「間抜けだよな」と同意を求められれば、うんと頷くしかなかった。
もしどこかで何かが違っていて、いじめの対象が自分であったなら。そう考えると身がすくんだ。そしてこの程度のことで恥ずかしがっている自分たちがどうしようもなく幼く感じられた。
ババッと勢いよく服を脱ぐと、他の生徒たちも風呂場へと向かった。誰一人として他者の身体的特徴をからかったり馬鹿にするものはいなかった。図らずとも子どもらしい価値観から離れ少しだけ大人になっていた。
入浴の後には晩御飯が待っていた。男子が女子の湯上り姿に見とれていたのは数秒のことで、食事を目の前にすると腹の虫に気を取られて女子のことなどすぐに眼中になくなっていた。
食事の最中、先ほど進たちと一緒に入浴した男子生徒たちが、改めて進にその話題を切り出してから謝罪していた。
「飯食ってるのに気分悪くさせるとは思うけどさ、どうしても言っておかなくちゃって思って…」
「皆中々入ってこないから何かと思ってたら、そんな話してたんだ」
進は何も気にしない様子で料理に舌鼓を打っていた。隣に座る悪郎はもくもくと食事をしながら聞き耳を立てていた。
「そりゃ当時のことを思い出したらまだまだはらわた煮えくりかえるし許せないけど、皆ちゃんと心から謝ってくれたでしょ。僕がそれを受け入れて許した。それでいいんだよ」
「でも俺たちは本当に取り返しのつかないことを…」
「いやいや、取り返しも何も僕は皆にじゃあこうしてくれって要求なんかないし、普通にしてくれればいいよ。あ、でもそうだな、もし今後誰かのことが気に食わなくても、いじめって方法だけにはもう手を出さないでね。それさえ分かってくれるなら、僕からはもう何もないよ」
「本当にごめんな佐久間」
「いいよ。ほら冷めないうちに食べようよ、これ本当に美味しいよ」
悪郎はそれを聞きながら笑みをこぼしていた。進の成長ぶりも嬉しかったが、それが周りの人間にもいい影響を与えている、それが何よりも喜ばしいものだった。
痛めつけた側が痛みを知る。それも傷つけられることなく、傷つけた相手から教わって。進の言葉に安心感を覚えた悪郎は、誰にも気づかれぬようもう一度微笑んだのだった。




