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悪郎の幸福論  作者: ま行


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移りゆく

 進と紗奈は交際を始めた。それで何かが大きく変わったということはなく、そもそも交際していないのが不思議なほどの仲の良さだったので、周りから見ている人には二人の関係性が変わったかどうかなどわからなかった。


 初見で関係性を見抜くことができたのは美緒だけだった。そして美緒は特に二人の関係性に物申す立場にいないので黙っている、そのため進と紗奈の関係は周りに勘付かれることなく仲を深めることができた。


 季節は過ぎて春、進たちは三年生に進級する。クラス分けで残念ながら葉月とは分かれてしまうことになり、紗奈はがっくりと落ち込んだ。代わりということでもないが、担任教師は引き続き馴染みのある杉山が務めることになった。


 三年生になってからの一大イベントといえば修学旅行である。進たちの班の内訳は、進、悪郎、紗奈、美緒の四人となった。美緒は一度誘われた時に断っていたのだが、確執もすでに時間が解決しただろうと進や悪郎の方からも誘いを受けたことで、班に参加することを決めた。


「しかし、あんたと佐久間くんがねえ…」

「な、なに?」

「いやくっつくことは時間の問題だと思ってたけど、二人共奥手そうなのに案外早かったなって思ってさ」

「タ、タイミングは人それぞれでしょ?ね、進くん?」

「だ、だよね!」


 自由行動の内容を決めている時、美緒が何気なくこの話を切り出した。進と紗奈が赤面しながら慌てていると「初心か」と呆れたように美緒が吐き捨てた。


「あんたたちいつまで付き合い立ての気分でいるつもり?もしかして修学旅行中それにずっと付き合わされるのこっち?」

「い、いいでしょ別に!それに旅行に水差すようなことはしないよ!ねえ進くん?」

「も、勿論。だ、大丈夫だって」

「はあ…、本当に先が思いやられる。ねえ悪郎くん、自由時間この二人だけどこかに置いていって私たちだけで回らない?」


 美緒はからかうつもりでそう悪郎に声をかけた。しかし悪郎はその言葉に答えず、難しそうな険しい表情で黙り込んでいた。先ほどから繰り返し何度も反応が悪いことがあった。険しい表情に怒りを買ったのかと美緒はうろたえた。


「な、なによ。ただの冗談だってば、そ、そんなに怒らなくてもいいでしょ」

「…いや、これは多分そういうのじゃない。おいっ悪郎っ!聞こえてるか?おいっ!」


 進に両肩をパンパンと叩かれて悪郎は体をびくっと動かした。ここでようやく我に返った悪郎は、申し訳なさそうに頭を少し下げた。


「悪い、少しぼーっとしてた。何の話してたっけ?」

「…ねえ悪郎、本当に大丈夫?最近ずっとそんな調子じゃない?パパも心配してたよ」

「体調が悪いなら保健室に行った方がいいと思うけど、よかったら付き添おうか?」


 紗奈と美緒から体調を心配されて悪郎はばつが悪そうに首を触った。いつものことならすぐにでも何かしら反論するはず、しかしそれもないので進はいよいよおかしいと思った。


「悪郎、ちょっといいか?」

「何だよ別に俺は…」

「お前じゃない、僕の調子が悪いんだ。保健室行きたいからついてきてくれないか?」

「あ?それを早く言えよ、さっさと行くぞ」


 進のことになると悪郎の動きは途端に早くなる、それを分かった上でした発言だった。紗奈に「ごめんちょっとよろしく」と耳打ちしてから、進は悪郎を連れて教室を後にした。




 保健室へと向かう廊下の途中、進は人気がないことを十分確認すると、前を歩く悪郎の背に声をかけた。


「なあ悪郎、お前一体どうしたんだよ?」

「何だ突然。俺のことはいいからさっさと保健室に…」

「悪いけど僕の体調が悪いのは嘘だ。というより、毎日一緒にトレーニングしてるお前なら、僕が本当に体調が悪ければ僕より先に気が付くよ。言われてから気づくなんて悪郎らしくない」


 その言葉に虚をつかれた悪郎はガシガシと乱暴に頭を掻いた。進の言っていることは確かにその通りで、いつもの調子であれば調子が悪いと進が言っても「嘘をつくな」と一蹴していたはずだと悪郎自身がそう思った。


「まさかお前に出し抜かれるとはな」

「たまにはそういうこともあるだろ」

「契約者相手にたまにが許される世界じゃないんだよ悪魔は」

「はあ?ここで悪魔の話題を出すなんてますますらしくないぞ悪郎、本当にどうしたんだ?」


 人気がないことを確認したとはいえ、学校という数多の人間がいる状況で不審な発言をすることはリスクが高い。悪魔という単語を出すことが不自然だった。


「…いかんな、反論のしようもない。クソっ、ぼんやりしすぎだ」

「何かあったのか?」


 悪郎はその質問にしばらく黙ったままだった。そしてため息をついて頭を振る。


「なあ進、今お前楽しいか?」

「やけに漠然としてるな」

「生活とか紗奈との関係性とかさ、充実してるか?」

「うんまあね。学校も楽しいし、紗奈ちゃんとも前よりずっと仲良くなれたよ。そうだな、僕にしては出来過ぎているくらい幸せかな」

「それがもう長く続かないとしてもか?」


 その質問をされて今度は進が黙った。そして表情には少々怒りの色が混じっていて、悪郎を見る目は鋭く、下からにらみつけるようなものになる。


「お前がそれを言うのか?僕に」

「…そうだな、悪かった」

「悪郎が素直に謝ると不気味だな」

「かもな」


 それだけ言ってまた悪郎は黙り込んでしまった。こんなにも歯切れの悪い会話は初めてのことで進は面食らう、そしてため息をついてから口を開いた。


「この幸せが限られたのものでも、僕に後悔はないよ。あ、いや、後悔がないってのは言い過ぎか、うそうそ、未練は滅茶苦茶ある。絶対に死にたくないし、紗奈ちゃんを置いていくなんて本当に嫌だ。でもさ」

「ん?」

「悪魔と契約するって決めたのは僕だ。そしていじめっこの凄惨な死を望んだのも僕。まあ想像した結果とは全然違ってたけど、僕の最低なお願いよりもっともっといい結果が待ってた。これは全部悪郎のおかげだ。だから感謝こそすれど恨むのは筋違いだし、僕は契約を受け入れるともう決めてるよ」


 悪郎はその言葉を聞いて本当に進は立派に成長したと感慨深く感じた。悪郎はずっとこのことを自分の手柄であると考えていた。しかし今はそれは違うと思っていた。


 確かに悪郎は進を健全な精神の持ち主に引き上げた。悪郎を召喚したばかりの進はお世辞にも健全とは呼べず、魂は卑屈で矮小なものだった。生活環境は最悪で、ひねくれた態度も鼻につく、本当に何の価値も持たないものであった。


 それを面白く思わなかった悪郎は、自分が行き詰っていたこともあってやり方を変えた。進の成長を促し、共に汗を流し改善と健全化に努めた。問題が解決してからは、本当の家族のように過ごして、喜びも悲しみも一緒に分かち合ってきた。


 悪郎が感じていたやりがいはもう影もなく、今思うことは「やるべきではなかった」という激しい後悔だった。


「ふっ、はははっ」

「え?あれ?笑うところあった今?」

「いやあ悪い悪い。お前の真面目な顔がおもしろくてつい、な」

「それは流石に酷いぞ!」

「…なあ進、お前紗奈とはどこまでいったんだ?」

「どこまでって?」

「キスはもうしたか?」

「はあっ!?」


 驚く進を見て悪郎はまだまだ全然進展していないことを確信した。進の肩に手をまわしガッと引き寄せると耳元でささやいた。


「どうせもう後はないんだ。修学旅行で紗奈とぐーっと距離を縮めろよ、いい思い出作りたくないか?」

「な、ななな、な!」

「いい、いい。皆まで言うな。最高にロマンチックなキスを俺が演出してやる。便利で摩訶不思議な魔法だって使い放題だ、邪魔は入らないし入れさせないぜ?」

「で、でもそれはまだ僕たちには早いんじゃあ…」

「馬鹿だな。そんなこと言ってるうちにお前この世からも卒業しちまうぞ、紗奈にがっつり思い出を残してやりたいんだろ?そのために告白したんじゃないのか?」

「え?分かってたの?」

「当たり前だろ、お前の考えなんて俺にはお見通しだよ。ほら、作戦立てようぜ。サボりも魔法でごまかしといてやるよ」


 急に陽気になった悪郎に対して変だという印象はあったが、それ以外はいつも通りの悪郎に戻っていてどちらかというと安心の方が勝った。悪郎もやっと調子が戻ってきたと自覚していた。


 静かな廊下に二人の話し声は響かなかった。悪郎がパチンと指を弾くと、音も姿も跡形もなく消えてしまった。

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