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悪郎の幸福論  作者: ま行


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進の気持ち

 一年の終わりが近づいてきていた。今までのことを振り返ると、進の生活環境は悪郎を呼び出してから激変していた。


 悪郎から容赦なく部屋の外へとたたき出され、息が切れても限界まで走らされ、粗野にふるまっていた家族に対する態度を徹底的に改めさせられた。そのおかげで人として大分まともになれたと感謝はしていたが、本当に厳しく辛い日々だったとため息をついた。


 進の最初の目的は、悪魔の力を使っていじめに関わっていたものを皆殺しにしてもらおうというものだった。それと現在の状況と比較すると、最初の願いとは雲泥の差だと進は思った。


 小坂拓巳以外のものとは和解し、謝罪を受け入れた。それどころか、その中の数人とは今や友人と呼んでも差し支えないほどの関係を築けていた。


 いじめられっ子で日陰者だった進、そんな自分が文化祭でバンドを披露したことなど過去の自分に言っても信じてもらえないだろうなと思った。そもそもそんな考え自体を過去の自分では思い付くことなどなかっただろう。


「本当に大きく変わったよなあ…。何もかもが」


 毎日学校へ行き、学友と挨拶を交わして、きちんと真面目に授業を受け、放課後は紗奈と悪郎の三人で一緒に遊ぶ。紗奈とはお互いの家へ行き来するだけでなく、その家族とも付き合いができるとは思ってもみなかったことだった。


 本当に進の生活は大きく変わった。悪郎から身なりを整えることやモラルについて叩き込まれ、ねじ曲がった性格も元に戻されたうえまっすぐ一本気なものになった。これには悪郎の力だけではなく、改心したクラスメイトたちとの交流も人格形成に十分寄与していた。


 悪郎の指導は、悪魔であるにも関わらず進を正道へと引き戻すようなものばかりだった。堕落ではなく成長を、健やかな精神と生活を、それが悪魔らしからぬ行為であることは想像に難くなかった。


 結局悪郎は何を目指しているのか、進にはそれがよく分からなかった。たっぷりと希望を与えたのち、それを奪って魂を穢すのだろうか。しかしそれにしてはやり方が回りくどく、こんなに時間と手間がかかる方法を選ぶ必要はないと思った。


 未練をたっぷりと残させて生き汚くさせるのだろうか。それはあり得るかもしれないが、進にとってはもう悪魔を召喚した時に、自分が死ぬ未来は決定付けられていたようなものだった。自分の死が目前となればそれは受け入れがたくはあるがろうが、ならば期限など定めずにある日突然そうなると告げられた方がよほど絶望するだろう。


 しかし悪郎はわざわざ再契約をしてまで死を卒業の日まで延長した。それがどうしてなのか、これがよく分からなかった。


 確かに進に未練は多く残っている、だがやったことの責任は取らなければならないと覚悟していた。悪魔を使って殺人を望んだことや、結果的には誰一人死ぬことはなかったが、小坂拓巳だけは何も情報がないままにどこかへ消えてしまった。


 進は拓巳に人生を滅茶苦茶にされたが、拓巳の未来を悪魔を使って滅茶苦茶なものに変えたのも進である。その責任とはちゃんと向き合わなければならないと進は心に決めていた。それが悪魔に魂を売るということだった。魂を対価として自分勝手なわがままを通すということだ。邪道に手を染め悪に堕ちたことをなかったことにはできない。


 進の本音は勿論「死にたくない」だった。今は充実した生活を送ることができて、なおかつ自分の未来に様々な可能性を見出し始めたころだった。少し前まではそんなことを思い付きもしなかっただろうが、今はただ生きているだけでも楽しく思えていた。


 それがどうして、自分のことを理不尽に虐げてきたものを排除しただけで死ななければならないのか、そんな不満もあることにはあった。ただしこれは、あらゆる手を尽くしたうえで持つべき正論であると進は考えていた。


 確かに拓巳は手ごわくて戦いようのない相手ではあった。いじめに傷ついて疲れ果てた進の心では太刀打ちできなかった。何をしようと勝負にすらならなかっただろう。


 だからこそ立ち向かわずに逃げてもよかった。環境をすっかり変えてしまう方法だってある、家族に負担をかけてしまうが住む場所そのものを変えることだってできる、病院で専門家から心のケアを受け、適切な治療によって精神を健全に回復させることもできた。


 少なくとも部屋の中で文句をいいながら他人を貶めて、不摂生に体を壊し、家族全員に迷惑をかけることなど言語道断であると今の進ならそう言い切れた。結局ただ引きこもっているだけだったあの日々は、現状に対して何もしないことを選択したことと同義であり、ただただ耳と目を塞いで悲劇に浸っていただけだった。


 やれたことはたくさんあったのにそれをやらなかった。そうして思い付いたことといえば、悪魔の力を使った関係者全員の惨殺である。今にして思えば論ずるに値しない愚行であったと進は振り返った。


「そういえば悪郎を召喚した時、あいつからずーっと侮蔑の目で見られていたなあ。きっと呆れていたんだろうな、僕の願いがどれだけくだらないものなのか悪郎には分かっていたんだ」


 もっと他にやるべきことはいっぱいあったはずだ。そう言外に伝えられていたのかもしれないと進は当時の悪郎の気持ちを推し量った。願いを叶える方法をすべて悪郎が決めると定められたことも、進が願った無意味な行為に手を貸したくなかったからかもしれないと考えた。


「悪郎と出会えたことに後悔はない。けれど、悪郎を呼び出したことは間違いだった。少なくとも、僕にとって利になることなど何一つもないものだ」


 悪魔の召喚なんて荒唐無稽なことなど行わず、もっと周りの人間に頼るべきだった。ちゃんと相談をして、然るべき対応を取ってもらい、まずは自分の思っていることなどを知ってもらうように努力をするべきだった。人生が後少しに迫ってきて、進はようやくその答えに至った。遅すぎたことだが、ちゃんと答えを見つけることはできた。




 これから一年の区切りを経て、中学三年生という最後の時間がやってくる。結末は変わらないし、変える気もなかった。ならば自分がやっておきたいことは何かと進は考えた。


 そんな時、頭に浮かんだのは紗奈のことだった。紗奈はどんな時もずっと自分の味方でいてくれた人で、他者の理不尽に怒り、どんな相手にも果敢に立ち向かうことのできる人間だ、間違いなく進にとってのヒーローだった。


 人として尊敬できるだけではなく、進は紗奈に惚れていた。一緒にいると楽しいだけではなくドキドキとするし、優しく微笑みかけられると胸が締め付けられるような思いがした。紗奈とは一緒にいて一番自然体でいることができる、だが一番心をかき乱される相手でもあった。


 進は自分に未来がないことを受け入れられても、紗奈の記憶の中に欠片も残ることができないと思うと、それは耐え難いものがあった。


 これから先、紗奈は誰もが羨むような素敵な人へ成長していくことは間違いなかった。そしてその最中に他の誰かと出会い、恋をして共に愛を語り幸せな思い出を作り上げていく。


 その中に自分が入り込む余地があるなどと烏滸がましいことは考えなかった。だが時が経ち思い出にすらなれないことを考えると、苦しくて胸が張り裂けそうだった。


 進はおもむろにスマホを取るとメッセージアプリを開いた。そして紗奈宛てにこんなメッセージを書いて送った。


「如月、もしよかったら元日一緒に初詣へ行かないか?二人だけで、どうかな?」


 一年の区切りと進にとっての終わりが始まる日に、自分勝手は百も承知で進は紗奈に自分の思いを伝えようと決意した。悪郎などを誘わず二人でと強調したのは、誰にも告白を邪魔されたくなかったからだ。


 少し時間をおいて紗奈からの返事がくる。


「行きたい。二人だけで一緒に」


 その文言に安堵する進、しかし同時に寂しくも思った。思いを伝えた時もしも紗奈が自分を受け入れてくれたのならそれは何より嬉しい、だがその道は、紗奈に大きな傷跡を残すことにつながっていた。


 傷を残してでも紗奈の思い出の中に残りたい。告白が成功してほしい、でも断ってもほしい、進はそんなジレンマを抱えて苦悩していた。

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