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悪郎の幸福論  作者: ま行


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悪郎の気持ち

 深夜の寒空、悪郎は久しぶりに屋根に上がって星空を見上げていた。冬の夜空は星がよく見えた。そんな輝く星々を眺めながら悪郎は物思いにふけっていた。考えることと言えば進のことである。


 たった少しの期間で進は大きく成長した。精神的にも肉体的にも、着々と健全に育ちつつあった。成長を促す自信はあったが、ここまで大きく成長するとは思っていなかった。


 これで進の魂の質は極めて良好なものになった。ただ強靭で揺るぎないだけではなく、柔軟な考え方ができる思考力や、人のことを思いやることができる優しさも備わっていた。


 悪郎が目的としている質が高くて強靭な魂の育成、心身共に健全化を図り他者との接触の機会を増やして多様な考え方を覚えこませた。進は決して優秀かつ無二の存在である素質は持ち合わせていなかったが、素直でよく言うことを聞く、ただし盲目的に従うだけではなく自分の意見も主張できる人間だった。


 口喧嘩でも進に歯向かわれるだけで悪郎はなぜか少し嬉しかった。ただ堕落させるだけなら甘言を吹き込むだけで終わってしまい、それ以上余計なことはしない。欲望まみれの魂は確かに脂がのってよく燃えるだろうが、悪魔に言われるがままの人間など面白くもなんともない。


 自分で考え行動し、正しきことなどないと知りながらも、他者を知ることで自分の価値観を磨き上げていく。その眩い精神力は、薄汚れて火にくべられるだけのものとは比べようもなく美しく、悪郎はそれを育てることにやりがいを見出した。


 元々悪魔の道から逸れ気味であった悪郎だが、その行動は今やもう完全に悪魔の役割と別たれていて、悪魔としての役割は果たしていなかった。


 現在の進の魂の形では魔界に持ち帰ることもできず、無理やり業火にくべようものなら悪魔を強くするどころかまったくの逆効果になる。もし進の魂を堕落させることができたのなら、どんな魂よりも上等なものになり、くべた悪魔を初級から上級へと一気に飛び級させられる最高の燃料に変わる。


 悪郎の考え方は間違ってはいなかった。しかし人間界で進や紗奈と関わることが、悪魔としてあるまじき葛藤を抱かせることになった。


 進の魂を堕落させるべきではないのではないか。魂を、未来を、奪っていいものだろうか。


 人間に燃料以上の価値を見出す必要のない悪魔にとって、この葛藤は決して持ちえないものだった。それと同時に持ってはならないものであった。


 だが悪郎は今まさに、この葛藤とずっと戦っている。進は自らの意思で悪魔と契約した。自分の死の未来を定めたのは進自身である。それでも悪郎は、魂を堕落させ魔界へ持ち帰ることをしたくないと考える自分がいることに悩んでいた。


「俺は本当に、どこまでも落ちこぼれの悪魔だな…」


 悪郎は悪魔として不出来である自分を嘆いた。落ち込んで俯く悪郎の隣から急に声が聞こえてきた。


「それはどうだろうな。貴様の能力を基準に考えそれを不出来と判断すると、大概の悪魔は皆不出来になってしまう」


 驚いて顔を上げた悪郎が隣を見ると、いつの間にか見知らぬ男性が座っていた。気品のある装いに、整えられた頭髪とあごひげ、いかにも紳士的な見た目をした威厳のある中年男性がそこにはいた。


 なんの気配もなくいつの間にか隣に座っていたのだから只者ではない、しかし一体この人物が誰であるのかまったく予想がつかない悪郎は困惑して尋ねた。


「あ、あなたは…?」

「おや分からんかね。ああいやそうか、擬態を完璧にし過ぎたな。すまないね、我ほどのものとなるとそう簡単に人間界へと出向くことも難しい。すっかり人間になりきらねば大問題になる」

「…その物言いをするということは、あなたは高位の悪魔ですか?」

「そんなに肩ひじ張らんでもよい。目に魔力を凝らして見てみよ、貴様ならばそれで分かる」


 悪郎は言われた通りに目に魔力を集中させた。すると隣に座る人の姿が、人間のものから悪魔のものへと変わる。しかもただの悪魔ではなく、悪魔ならば誰もが知る大物であった。


「ま、魔王様…」

「お、流石に見破るか。能力面だけで見ればこれほど優れた悪魔は、今の魔界にはそうそういないだろうな。我が魔王だからといってそう緊張することもない、少しばかり貴様と話がしたくてな。目を盗み忍んできたのだ」


 気さくにそう話しかけてくる魔王に悪郎は苦笑いするほかなく、長い悪魔の一生の中で一度も本物を目にする機会がない存在と、まさか人間界で対面している不思議さに悪郎は終始当惑していた。




 悪郎は魔王が直々に自分の元へ来る理由が分からなかった。だが考え付く理由があるとすれば、悪魔の存在理由を揺るがしかねない考えを持つ自分を始末しに来た。それくらいしか考えつかなかった。


 それでもまだ直々にやってくる理由としては薄い、考えがまったく読めずに混乱し始めた悪郎に魔王が話しかけた。


「だからそう固く身構えることはない。我は貴様を殺しにきたのではない。本当にただ話がしたくてきたのだ」

「魔王様ほどのお方が一悪魔の私とですか?」

「そうだ。そもそも殺すつもりならわざわざ出向くまでもない、玉座の上でふんぞり返っていても貴様を殺すことなど容易いことだ。魔王だからな、はっはっは!」


 悪郎としては全然笑えないが、魔王は実に愉快そうに笑い声をあげた。


「それで、お話というのは…?」

「おおそうであった。貴様の試み、実に興味深く見ているぞ。退屈な魔界にいる我にとって今唯一無二の娯楽だ。中々よい方法を思い付いたではないか」


 叱られはすれど褒められることはないと考えていた悪郎はきょとんとした顔で魔王を見た。


「どうした?我の顔に何かついているか?」

「あ、いえ、そうではありません。その…、まさかお褒めの言葉を賜ることができるとは思いつきもしなかったので」

「何故だ?」

「…私のやっていることや抱いている感情は明らかに悪魔を貶めています。存在理由を揺るがすものであり、行動も魔界にとって益をもたらすことにはならないかと」


 魔王は悪郎の発言を鼻で笑い飛ばした。


「つまらん理由だ。そんなもので悪魔が変わるものか。それにな、我は常に悪魔は多様な可能性を模索する必要があると考えてきた。今の魔界は同じやり方をただただ繰り返すだけの木偶ばかり、このままでは我はあの座り心地が最悪な玉座にずっと座り続けることになるぞ」

「は、はあ…」

「貴様が考えた人間の魂を育てる試み、これは実にいいぞ。一番いいのは見ていて愉快なことだ。そして磨かれた魂が手に入った時、業火がどんな反応を見せるのか実に興味深い。貴様はそのまま思う通り自由にやれ、我自らが後ろ盾となってやろう」

「ま、魔王様がですか!?」

「ああ。これで魔界には貴様のことに口出しするものはいなくなる。お前がどう行動しようと、どんな結果を出そうと、我がすべてを肯定してやろう。悪魔の勤めや存在意義など気にする必要はない」


 そう言い終わると魔王は立ち上がった。夜空に円を描くよう手を動かすと、空中に魔界の瘴気が漏れ出る暗黒の穴が開いた。


「精々しっかりとやるがいい悪郎。あの小僧に中々いい名をもらったじゃないか。期待しているぞ」


 魔王は最後に悪郎の名を呼んで去っていった。名前を持つことを許されていない等級の悪魔が、魔王から名前を呼ばれることは前代未聞の事態であった。


 悪郎はこの事態をどう受け止めるべきなのか悩んだ。どうして魔王が直々にお墨付きを言い渡しにきたのか、自分の何に期待しているのか、悪郎には何も分からなかった。


「…自由にやれ、ね」


 思うがままにやっていいという許可は、底知れない不気味さもあるが同時に希望にもなりえた。悪魔の王が自分のやり方を肯定する。それは悪郎に、これ以上ない権力を与えられたということでもある。


 制限はなにもなくなった。悩みは尽きないが、悪郎は心に決めた。


「進のために俺は存在する。最後まで」


 悪郎の方針は定まった。

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