雨降って
文化祭が終わってから、元々人気者であった紗奈だったが、より人気を集めて話題に上がっていた。男女学年問わず誰もかれもが紗奈に押し寄せてきて、少しでも会話をしたいと集まる。
その中でも今回の裏の事情をまったく知らない男子の思考はただ一つだった。紗奈の「皆と仲良くしたい」という発言は、もしかしたら付き合えるチャンスがあるかもしれないと都合よく変換されていた。
ただ紗奈の発言は男女交際について言及するものではなかったので、チャンスはない上に積極的過ぎて逆に引かれるという無駄なことを繰り返していた。群がっては撃沈していく男子たちの様子は、一気にぶわっと咲いては散る儚い花のようだった。
連日の告白には困っていた紗奈ではあったが、皆から声をかけてもらえることを本当に嬉しく思っていた。そしてさらに何よりも嬉しかったことがあった。
「紗奈おはよう。あんた朝からすごい人気ね、一人一人相手していて疲れないの?」
「あっ美緒おはよう。まあちょっとは疲れるけど、話しかけてきてくれたことが嬉しいからついつい、ね」
「ほどほどにしておきなさいよ。特に男子、勘違いさせるのは罪深いわよ」
「そ、それについてはぐうの音も出ない…」
紗奈は美緒が和解したのだ。それだけに終わらず、友人関係になった。とても親しい間柄という訳ではないが、友人として申し分ない距離感を保てるようになった。今まではできなかったような会話が交わせるようになり、美緒は紗奈に対抗心を抱くことはやめた。
もちろんこれは簡単には成立しないはずだった。しかしこうなるのではないかということを予測していたのは、悪郎でも紗奈でもなく、進だった。
美緒はまず、自分が声をかけた人たち一人一人に会って直接謝罪をした。自分のくだらない企みに付き合わせた。そして如月紗奈に対するいじめの片棒を担がせようとした。仲が良好だった人もいたのに自分がそれを変えさせてしまった。謝って許されることではないが謝らせてほしい。そう丁寧に話して回った。
思いもよらない美緒からの謝罪に全員が戸惑った。頭を下げ、事実を丁寧に説明する姿など想像もつかなかったからだ。しかし全員が美緒からの謝罪を受けて思ったことがあった。
「謝るのなら自分たちにではなく紗奈にするべきだ」
そう伝えると美緒はこう返した。
「だからお願いがあるの、私についてきてほしい、そして後ろで見ていてくれているだけでいいから」
最初はどういう意味の頼みなのか分からなかった。それを目の当たりにして初めてその意味が分かった。
美緒は自分がいじめに勧誘した人を引き連れて、紗奈の前で一人で深々と頭を下げたのだ。その場に偶然居合わせていた進と悪郎も、流石にこの行動には驚きを隠せなかった。
「ごめんなさい。今回の一件すべて裏で手を回していたのは私です。責任は全部私にあります。どうか責めるのなら私だけにしてください、皆とはまた元の良好な関係に戻ってあげてください。どうか、どうかこの通りです」
果ては手と額を地につけようとする美緒を、進と悪郎と紗奈はついてきた人と一緒になって止めた。止めてもまだ謝罪を続けようとする美緒の覚悟と執念はすさまじいものがあった。
「もういい、もういいよ。これ以上はもういいから」
「でも…」
「そんなことより、私はもっと謝ってほしい相手がいるの。分かるでしょ?」
紗奈はそう言って進に視線を向けた。進はそれに驚くこともなく、紗奈ならばこう言うだろうという確信があった。自分のためにではなく、人のことを第一に考えることができると知っていたからだ。
「ごめんなさい佐久間くん。私の目的のためにあなたのことを利用しました。いじめられていたことまで計算に入れた。それはどんな目的であれ絶対にしてはいけないことだった。謝ることしかできないけれど、本当にごめんなさい」
「…僕は確かに悔しく思った。だけど寺沢さんには感謝してることもあるんだ」
「私に?」
「裏の目的があったことは残念だったけど、声をかけてくれたことは本当に嬉しかった。あのことがきっかけになって僕にも話しかけられる人が増えた。教室で浮いていたことも解消されて、新しいつながりもできた。動機とかは置いておいて、そのことには感謝してる。ありがとう」
進は美緒に倣うように深々と頭を下げた。次に顔を上げると、美緒の目をまっすぐに見て言った。
「ただ寺沢さんもこれで、はいそうですかお互い様ですね、とはならないよね。だけど僕は僕で、使える立場を利用させてもらった。これならお互い様ってことにしても、寺沢さんも文句ないんじゃないかな?」
お互い様で手打ちにするという提案に、美緒は一瞬驚いて目を見開いた。だが進の言葉の意味するところ、つまり自分も美緒と同じような方法を使ったのだと暗に伝えられていた。その意をくみ取った美緒は、自分が侮っていた進に同じ方法でやり返されたのだと理解し、改めて自分の愚かしさを恥じた。
「言い訳に聞こえるのは百も承知だけど、誤解されたくないから言うね。私、本当に佐久間くんとは話してみたいと思っていたし、できれば仲良くしたいとも思ってたのよ?」
「うん、分かってる。でもね、僕はそこに紗奈が一緒にいないなら到底受け入れられないし、寺沢さんが取った方法だって容認できない。今回のことは、ただそれだけだったんだ」
進は無自覚にこの発言をしたが、辺りで見ていた人はざわついた。何だこの空気はと思って進が辺りに気を配ると、声量を抑えた話し声が聞こえてきた。
「やっぱり佐久間くんと紗奈って付き合ってるの?」
「そんなまさか」
「でも今の発言って明らかにそうだったよね」
「ちょっとうらやましくない?好きな人にあんな風に言われたら」
「分かる。佐久間くん結構たくましい性格だったんだね」
「いやいや性格だけじゃなくて、前より背も伸びたし体も結構がっちりしてたよ」
「何でそんなこと知ってるの?」
「ライブの時、Tシャツだったでしょ。その時腕見たら筋がもう、めっちゃかっこよかったんだよ」
「知らなかった…、あんた筋肉好きだったんだね」
一斉に始まったひそひそ話の内容を聞いて進は顔を真っ赤に染めた。紗奈も少々頬を赤らめて顔を背けていた。悪郎は呆れたように頭を振った。ともすれば大胆な告白ともとれるような発言は意図したものではなく、本心が口をついてするっと出てしまったものだが、本心であるからこそ嘘や誤魔化しができなかった。
パニックに陥った進に、そろそろ助け船を出すかと悪郎が動こうとしたが、先に行動したのは美緒だった。
「私が言えたことじゃないけど、本人の前ではひそひそ言うのはやめてあげようよ。佐久間くんも如月さんも困ってるよ」
美緒にそう指摘されて皆口々に謝罪の言葉を述べた。進は謝られてもどう答えていいのか分からず困ったが、一度場の空気を変えるためにわざとらしい咳払いをした。
「と、とにかく!これでもう十分でしょ?僕も如月も寺沢さんも納得した。これでこの話はおしまい!いいよね?」
「わ、私も異議なし!寺沢さんは?」
「二人がそう言ってくれるなら私はありがたいけど…、本当にいいの?」
「いいよ。あっでも代わりにって訳でもないけど、私は個人的に寺沢さんにお願いがあるんだ」
「分かった。それが償いになるなら何でも言って」
「それじゃあ…」
進と悪郎は、今回の一件について一緒に振り返っていた。悪郎は進に聞いた。
「紗奈が寺沢美緒に友達になろうって提案するところまでお前は予想してたってことか?」
「いや流石にどっちから言い出すのかまでは分からなかったよ。でも、多分二人は普通に友達になれるんじゃないかなって思ってた」
「どうしてだ?」
「寺沢さんって如月に鼻持ちならない何かも抱いていただろうけど、同時に憧れもあったんじゃないかな。だから如月に執着した。そうでもなきゃ自己肯定感を満たしてくれる友人が周りに沢山いるのに、いくらチャンスだったからってその人たちと関係が切れてもいいって思えるかな?」
「ああ、そういうことか。つまり寺沢美緒は今ある大切なものを捨ててまで紗奈に挑みたかった訳だ。確かにそれは憧れかもしれん。まったく同じものに成れないと理解しながらも、ついそれがほしいと手を伸ばしてしまうような憧れだ」
美緒にはプライドがあった。自分の力で人気者になったという自負があった。紗奈にはそれがなかった。皆と仲良くしたいという気持ちはあったけれど、決して積極的ではなかった。
紗奈は皆の憧れを集める人気者で、美緒は皆に頼りにされる人気者だった。タイプは違っていたが、人心を集めるという部分は共通していた。
「本当はお互いに足りない部分を補い合えるんだよ。それが今回は悪い方向に働いちゃったけどね」
「紗奈の方から関係を持ちかけたのもそれが理由が、実は紗奈も同じように美緒に憧れを抱いていたと」
「そこは多分だけどね。でも、如月なら簡単に切り捨てたりしないって分かってた。だから僕は成り行き任せでいいんじゃないかなって思ったんだ」
進の説明を聞いて悪郎は何度も深く頷いた。見事な手腕だったと評価し、今回の一件で一番成長を見せたのは間違いなく進であると思った。悪郎は今回自分ができたことが少なかったことにふがいなさも感じたが、それ以上に進の成長ぶりを嬉しく思っていて、ふがいない自分のことなどそうそうに頭からは消えていた。




