主張
歌い終わった紗奈は鳴りやまない拍手を前にして戸惑いを隠せなかった。息は途切れ途切れで苦しさに肩が上下する、顔と体が熱く、ごちゃごちゃになった感情が胸の中で渦巻いていた。
そんな紗奈の背を叩いたのは悪郎だった。サムズアップで健闘を称えてから紗奈に声をかける。
「さ、もう一仕事あるだろ?言ってこいよ、ここにいる奴らに紗奈の気持ちをさ」
紗奈は進の方を見た。進は演奏しきったことに力尽きうなだれていたが、悪郎と同様にサムズアップだけして「行け」と伝える。
「…ここまできてだけどさ、悪郎はなんて言えばいいと思う?」
「まあ迷うよな。想像以上の大成功だ、俺も正直驚いてる。だからもう、ごちゃごちゃ頭で考えずに思いのままに言ってみろ。例えそれが失敗したっていいさ。この光景が見られただけで十分に釣りがくるとは思わないか?」
そう言われた紗奈はもう一度熱狂している人たちを見た。見渡す限りの人々が自分たちの演奏を称えてくれている、認めてくれている。この場にいる全員が全員そう思っているとは限らなくとも、紗奈はそれが嬉しくて感極まって泣きそうになるのをぐっとこらえた。
「な?もう後は言うだけ言って終わろう。それでどうなろうと知ったことかよ。俺たちはステージに立って堂々と自分たちを表現した。これ以上の意趣返しもあるまいよ」
背を押された紗奈がマイクの前に立った。汗でおでこに張り付いた髪の毛をよけ、顔がはっきりと見えるようにしてからしゃべりだした。
「皆さん、聞いてくれてありがとうございました。これが今の私たちの全力です。上手くできないところもあったけど、皆さんが手拍子をくれた時は嬉しかったです」
締めの挨拶に入ったか、そう感じ取って人々の拍手はまばらになる。熱狂も落ち着きをみせ、皆紗奈の次の言葉を待った。
「最後に一つだけ、どうしても伝えたいことがあります。これは特定の誰かに向けた言葉ではなく、私の想いであり願いのようなものです。何を言っているのかと訳が分からないかもしれませんが聞いてください」
すってはいて、息を整える紗奈。そして前を向き言葉を紡ぐ。
「私は皆と仲良くしたいと思っています。だけど時々嫌だなって思うこともあるし、気に入らないことだって当然あります。それでも私は仲良くしたいんです。その結果傷つくこともあれば、傷つけることもあるかもしれない。だからその時は、仲直りをしましょう!私の話も聞いてほしいけれど、あなたの話も聞かせてほしい。きっとその積み重ねが、仲良くなるために必要なことだと思うから」
その言葉は、要約してしまえばほとんどの人には「これからもよろしくお願いします」と通じるしそれで済んでしまう。だが込められた想いは、美緒の息がかかったものたちの胸に深く突き刺さった。
紗奈の本気と美緒の暗躍、どちらに心情が傾くかとなるとこの場においては圧倒的に前者であった。それだけのものを見せられた。今の紗奈の言葉に嘘偽りや取り繕うような気がないのは聞けば分かった。
美緒はその場でただ一人、大勢の生徒の中にいるはずなのに孤独だった。つかみかけていた人心が離れ、自身のプライドとカリスマはもろく崩れ去っていった。もうどれだけ美緒が人に揺さぶりをかけたとしても、紗奈を標的にすることはできないだろう。それが完全に分かってしまった。
ステージの上で輝く紗奈、それを見上げる自分。対比した時、これほどみじめなものはなかった。今となってはもう、自分がどうしたかったのかさえ曖昧なものになり果てた。
「負けた。完膚なきまでに。…でもきっと如月紗奈は勝負したとも思ってないだろうな。結局最初から最後まで私はただの道化か…。馬鹿すぎて笑えてくる、浅はかな自分に…、醜い心の自分に…」
手を振って歓声に応える紗奈を見ながら美緒はそんなことを思っていた。それまで美緒一人だけが演奏中も拍手を送ることができなかったが、最後の最後、周りの人に紛れ込み小さく拍手を送った。
進たちがステージでの演奏を終えて脇で片づけを行っていると、教師の杉山が改めて三人の健闘を称えにやってきた。
「本当にすごくよかったよ、頑張って練習した甲斐があったな。先生は見てきただけだから勝手なものだと思うけれど、本当に誇らしく思うよ」
「ありがとうございます。でも見てきただけなんて言わないでください、この成功は先生の力あってのものですから」
進は杉山に本心を伝えた。教師の中で一番信頼を置く杉山が監督者として見守ってくれていたからこそ、進たちは学校で思う存分練習することができた。決して欠かすことのできない人だったと心からそう思っていた。
しかし進の言葉を受けても杉山は頭を振って言った。
「いいや、間違いなくすべて君たちの力だよ。なんたってここに至るまでまったく気が付けなかったんだからな」
「気が付く?何にですか?」
「もうとぼけることもないだろう。佐久間が奔走していたのは全部如月のためだったんだな。そうだろう?」
紗奈の最後の挨拶を聞いてすべてを察した杉山がそう言った。うろたえる進の代わりに悪郎が答えた。
「そうです。全部紗奈のために進が動いた結果です」
「ちょっ、悪郎!」
「シッ!いいからちょっと黙ってろ」
進を手で制した悪郎は杉山の目をじっと見た。それを見て、語られなくとも何が起こっていたのか大体の見当をつけた杉山は、紗奈に向き直ると頭を下げた。
「申し訳なかった如月、私はまた何か見落としてしまっていたんだな。弁明の余地もない。辛い思いをさせてしまっただろう」
杉山の謝罪に慌てた紗奈が声を上げた。
「や、やめてください先生。謝られるようなことはありませんでした」
「しかし…」
「本当にまだ何もなかったんです。進くんと悪郎が事前に気が付いて止めてくれたんです。ええっと、そもそもことの発端はですね…」
説明をしようとする紗奈だったが、まだまだ次の予定があり早々に引き上げなければならなかった。そのことを伝えるタイミングを逸した実行委員の生徒が、さりげなく咳払いをして注意を促す。
「場所を変えようか。君たちは出番を終えたばかりだから、多少戻るのが遅くなっても構わない」
三人は杉山のその言葉に頷いて撤収を急いだ。
練習に使っていた教室に戻ると、紗奈がことの経緯を杉山に説明した。そこに進と悪郎の補足も加わり、大体の事情を伝えきることができた。その中で敢えて明言を避けたのは首謀者の寺沢美緒についてだけだった。
美緒を糾弾するべきか否かの意見は、事前に悪郎と紗奈で割れていた。悪郎は糾弾するべきだと主張したが、紗奈はそれを拒んだ。
悪郎としてはやるなら徹底的にやって芽を摘むべきだと主張した。そうでなければまた似たようなことをしだすものが出てくると説いた。その意見も正しくはあった。
対して紗奈は状況証拠が美緒の存在を示していたことを認めたうえで、それを糾弾することによって多くの人が巻き込まれることを危惧した。
実際に美緒は紗奈を孤立させるための賛同者をできる限り集めていたので、これを表ざたにすると小坂拓巳の時と同じようなことになるどころか、何度も同じ問題が続いたクラスという事実が関係者全員を苦しめることになると考えた。
そんな二人の間に立つ進はどちらの意見にも賛同せず、ただぽつりとその後の展開を予想して呟いた。
「多分こっちから何もしなくても勝手に収まると思う」
根拠は分からなかったがなぜか説得力を感じ取った二人は、結局進の言葉を信じて、美緒については保留という形をとることで合意した。だから杉山には、敢えて美緒のことを伝えなかったのだ。
「…という訳で、私はあの場を借りて、今何かをしようとしている誰かに言葉を伝えたかったんです。だけどそれさえもただの杞憂かもしれないんです」
杉山は話を聞き終えた後、ぐるりと三人の顔を見回して聞いた。
「不確かだから大事にはしたくない。そういうことか?」
「はい。それに俺たちの目的は一応達成しましたから」
「私もこれで十分だと思います」
「佐久間はどうだ?」
「僕はそもそも、これ以上誰かが何かをしても無意味だと思います。成り行きを見守るべきかと」
杉山はしばし苦渋の表情で小さく唸ったが、結局は折れて「分かった」と同調した。
こうして文化祭のステージを借りた大がかりな主張の場は幕を閉じることになった。過去最高潮の盛り上がりを見せた立候補者枠は、その年の生徒会役員を務めた生徒たちの自慢となり、三人のステージはその後も語り継がれる伝説になった。




