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悪郎の幸福論  作者: ま行


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言いたいこと

 真剣な表情で話し始めた紗奈、それを聞く進も真剣に聞き入った。


「まずはお礼をしなきゃだね。進くん、私のために色々と頑張ってくれたでしょ?改めて本当にありがとう。すごく嬉しい」


 進はあえて黙ったまま紗奈の次の言葉を待った。これだけを言いたいのであればわざわざ聞いてほしいとここまで改まる必要はない、そう考えてのことだった。


「でもね、やっぱり私はまだこうすることが正しいことなのか自信が持てない。私が意図的に仲間外れにされてるのは確かだよ、誰が主導してるのかまでは分からないけどね」

「如月に何か心当たりはないのか?」

「そんなの探し出したらきりがないよ。最近じゃ葉月でさえよそよそしくなってる。まあ葉月は絶対に違うって分かるけどね、友達…だからさ」


 葉月を友達だと言いよどむ紗奈の姿は、進から見てとても寂しいそうだった。それでもなお迷うというならば相応の理由があるのだろうと思った。


「理由を聞いてもいいんだよね?」

「勿論。それを話したかったから」

「じゃあどうして?」


 問われた紗奈は少しの間黙って空を見上げた。その後視線を進に戻す。


「怖いんだ」

「怖い?」

「そう。私は悪意を自分に向けられることが怖い。悪郎から美雪ちゃんとの話は聞いたよね?」

「うん」

「あの時からずっとそう。進くんが言った通りだよ、いびつを受け入れるのは私が傷つきたくないからっていう自己満足。誰も幸せにならない諦めの心。私も、周りの人もね」


 そこでようやく進は理解した。紗奈の心の傷の根はまだまだ深く、生半可な思いでは立ち入ることすら不可能であると。進にその覚悟がなかった訳ではない、ただ足りなかった。


 紗奈に作戦と意見を入れさせる熱意はあった。間違えていると認めさせる真剣さはあった。ただしそれらは、紗奈の心の奥底で疼く傷跡の化膿を止めるまでには至らなかった。


 単純に比べられるものでもないが、進よりも紗奈の方がずっと多くの「いじめ」を経験していた。直接的なものはそうそうなかったが、陰で紗奈を排斥せんと動くものは多くいた。


 紗奈の方から意図的に行動を起こし、他者に不利益や不幸を与えたことはこれまで一度もない。紗奈を疎ましく思う人の行動原理はすべて嫉妬であった。


 あの子だけが周りから厚遇されている、見目麗しいと褒めたたえられる、紗奈は自分はいい子で人畜無害だとアピールしている、紗奈ばかりが目立って自分には目もむけられない。


 何故、何故何故何故、どうしてこうも何もかもが違うのだ。そんな慟哭と怨嗟を、紗奈は陰ながらに向けられ続けてきた。面と向かって対立しようとしてきたものはいない、紗奈の目に映る自分の醜い性根と劣等感に耐え切れなくなるからだ。


 紗奈が諦めたこと、それを受け入れたことは無理もない話だった。紗奈のことをよく知る前に、相手が勝手に自分自身を蔑む、相容れないと諦める。紗奈と紗奈を疎むものは互いに諦めの気持ちを抱いている、それを理解していた紗奈は傷つき傷つけられるくらいなら、いっそ自分がすべてを受け入れてしまった方がいいと思うようになった。


 それが紗奈の心の傷を塞ぐかさぶたになった。はがれては膿み、また蓋をする。その繰り返しは紗奈の心を徐々に蝕んでいた。


 朗らかで友好的、誰とでも仲良くなりたい、この気持ちは紗奈の混じり気のない純粋な本心である。しかし同時に、このような性格の仮面をつけて人と接することで自分の心と身を守る、それが自己を制限する枷ともなっていた。


 紗奈が熱烈なヒーローファンであるのは生来の性格の他、どうにもならない現実から救い出してほしいという切なる願望が合わさったものであった。だがヒーローはそう都合よく現れるものではない、大抵ヒーローは遅れてやってくる、美学を理解しているだけに辛かった。


 紗奈の心の内を知った進は迷う。何をどう言うべきなのか、探しても答えは見つからない。十分相手を慮ったつもりでも、その実まだまだ全然足りないことは常である。


 進は悩んだ末にゆっくりと口を開いた。




「間違えて、取り返しがつかなくなるよりもずっといい」

「え?」

「如月の思いは分かった。僕がやってることはただのお節介だ。それでも僕はこう言うよ、今ならまだ取り返せる。如月ならきっとそれができる」


 紗奈はその発言に少しムッとした。何を根拠にと反論しようとした。しかしあまりにも真剣な表情で見つめてくる進に思わず言葉を失った。


「如月はずっと、あふれる涙をこらえてきた。そして誰も見てない場所で泣いていた。癒えない傷を抱えて、傷つけられながらも辛抱強く人を信じた。僕だったら悪魔に魂を売ってでも捻じ曲げたい事実に耐えた。それがきっと如月の正義だ」


 進は耐え切れず悪魔に魂を売った。いじめたものを惨殺してくれと頼んだ。何もかもを諦めて破滅させること、することを望んだ。こちらが死にたくなるほど傷つけられたのだから、相手が死んでも構わないと思った。


 まだ間に合う、まだ取り返せる、これは終わりが決まっている今の進だからこそ言える言葉だった。


「人は変えられないけど、自分が変わることはできる。僕も悪郎に出会ってすごく変わった。それまでは酷いもんだった。髪はぼっさぼさだし腹はぶよぶよ、今居る部屋も汚くて、とてもじゃないけど人を呼べるような場所じゃなかった。父さんや母さん、姉ちゃんに沢山迷惑をかけた。でもなんとも思わなかった。自分はこんなに傷ついたんだから、それを受け入れろって思ってた」

「それは…、進くんがそれだけの仕打ちを受けたから…」

「そうかもしれない。ただ、だからといって周りの人を傷つけていいのかって問われたら如月はどう答える?」

「…」

「今の僕ならハッキリこう答える。それは絶対に間違ってる。傷つけて傷つけれるのが人間関係だと思うけど、優しくしてくれた人や無関係な人を悲しませるのは間違ってるよ」


 その言葉にうろたえる紗奈に向かって進は話を続ける。


「如月が傷ついているのを、我慢していることに傷つく人がいる。如月のお父さんとお母さんもそうだし、きっと兄弟もそう。多分中野さんだって苦しんでる。僕も悪郎も、このまま如月だけが我慢するのを見過ごしたくはない」

「どうして?」

「友達だから。悪郎にとってはこっちに来てできた大切な友達だ、何としてでも助けたいからって僕に力を貸してくれって頼んできた。いつものあいつなら絶対にありえないことだよ。僕は言われるまでもなく如月を助けたい。それが如月にとってただのお節介だったとしてもやりとげるよ」


 そこで言葉を切った進はすうっと息を吸い込んだ。今から紗奈に言おうとしていることは進にとってすごく恥ずかしいものだった。しかし、素直に伝えたいことだった。


「如月は僕にとってのヒーローだから!」


 いじめられた時、紗奈だけはそちら側に回らなかった。同調圧力に屈することなく、進を助けようと必死にあがいた。それは生半可な覚悟ではできることではなかった。


 誰だって自分の方が大切だ、だからこそ誰かのために身を切る覚悟ができる人は尊い。紗奈は過去の経験ですでに傷だらけだった。それでも救いたいと願い立ち上がれる強い心の持ち主だ。


 自分のように悪魔の力、他の力を借りようなんて考えず、一人でも真っ当に立ち向かおうとした。それをヒーローと呼ばずして何をヒーローと呼ぶのか、進はそう強く思っていた。


「僕にとってのヒーローが困ってる、傷ついている。なら助けたい、頑張れって応援したい。自分を変えてもいいんだって言いたい。これで何が変わるのか僕にも分からないけど、傷を癒す暇は手に入るかもしれない。僕はそのためにできることがあるなら惜しむものはなにもない」


 互いに言いたいこと、聞いてほしいことをぶつけ合った二人は真剣な表情のまま見つめ合った。昂る感情はやがて一滴の涙となって頬を伝った。


「「あっ、涙が」」


 進と紗奈はお互いの頬に手を差し伸べていた。どちらの目からも涙があふれてこぼれていた。だから同時に手を差し伸べた。まったく同じタイミングで同じ行動をしたことがおかしくて、進と紗奈は思わず破顔した。涙はあふれるのに笑みはこぼれる。しばし二人は互いの涙を拭き合って笑い合った。

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