素直
三人は放課後に時間ぎりぎりまで練習してから帰る日が続いた。それは全然苦ではなかったし、むしろ三人で一緒にいる時間が増えて楽しい時間だった。
ただどうしても後少しだけ音を合わせたいと思うタイミングがあった。そしてその時に限ってもう時間がないなど不都合なことが起こる。大概は諦めてそのまま帰ることになるのだが、その日は紗奈が中々諦めなかった。
「もうちょっとだけできないかな?あとちょっとで何か掴めそうな気がするの」
「如月の気持ちは分かるけど、このままだと杉山先生に迷惑かけちゃうし…」
「確かに進くんの言う通りなんだけど…」
後ろ髪を引かれる紗奈に悪郎はぽろっと言った。
「ならあれだ、明日休日だろ?家に来いよ」
「ほあっ!?」
悪郎のその言葉に進が驚いて飛び跳ねた。そんな流れになるとは思ってもみなかったからだ。唐突に何を言い出すのかと口をパクパクとさせた。
「いいの!?いいなら是非行きたいな!」
「え、うえ、ちょっ」
「だ、そうだぞ進。こんなに向上心ある紗奈の頼みを、まさか断るなんてことしないよな?」
こいつ分かってやってやがる、そして間違いなく面白がっている。進はそう思った。その読みは完全に当たっていて、悪郎は進が戸惑うと分かっていたし、反応を見てにやにやとしていた。必死になって顔や態度に出さないように我慢した。
「あ、もしかして何か予定とかあった?それにいきなりなんてやっぱり失礼だよね」
あからさまに落ち込んだ様子を見せる紗奈。進に予定などなく、時間は自由に使い放題だった。いつものように過ごすより、紗奈の練習に付き合う方がよほど有意義である。
それを分かっている悪郎は進の目を黙ってじっと見つめた。無言の圧力、分かってるよなと言外に伝える視線、進に屈するなというのが無理な話であった。
「だ、大丈夫大丈夫!ちょうど僕予定とかないし。悪郎もいるから僕ん家で練習しようよ」
「やった!嬉しい!」
満面の笑みを浮かべる紗奈を見て、さらに退路がなくなったと進は一人冷や汗をかいた。自宅に、そして自室に女子を呼ぶ、そんな経験はしたことがない。悪郎のおかげで最近部屋は綺麗に整理整頓がなされている、だがしかしにおいはどうだろうか、もしかしたらこれ以上ないほどの悪臭を放っているかもしれない。うっかり紗奈を部屋に招いたら犯罪にならないか。進の頭の中ではそんな馬鹿な考えが浮かんでは消えていた。
一人悶々としている進を放っておき、悪郎は紗奈に地図アプリで佐久間家の住所を教えていた。素早く段取りを決めると「じゃあまた明日な」と約束を取り付け進の首根っこを掴んだ。
悪郎に引きずられていく放心状態の進に紗奈は手を振って別れた。紗奈は明日が楽しみで待ちきれず足取りは軽やかであったが、進は緊張して全身がかちこちに固まっていた。そんな進に悪郎は苦言を呈する。
「お前なあ、ちょうど予定がないとか小さな小さな見栄張るなよな。誰に対してのプライドなんだそれは」
「う、うるさいっ!休みの日は大体家でずっとゴロゴロしてますって言えるか!?」
「別に過ごし方は自由だろ。それに俺も一緒に同じようにしてるじゃあないか」
「そうだけど…。そうだけどおっ!」
「カッコつけたくなるか?紗奈の前では」
進は顔を真っ赤に染めた。そんな様子を見た悪郎は笑いながら言った。
「そうやって素直に感情表現できた方がよほどモテるだろうよ。真摯な思いと言葉が人の心をうつもんだ」
「…努力する」
「そうそう。素直でいい子だな」
からかう悪郎を追いかける進、二人のそんなじゃれ合いも久しぶりのことであった。
紗奈が訪れるまで進は何度も何度も部屋を掃除した。隅々まで綺麗にして、見られたらまずいものは隠し、できるだけスマートでおしゃれな部屋に見えるようにと、普段は気にしない家具の位置にも気を使った。
悪郎は進の様子を呆れて見守っていたが、進の姉、奏が部屋の前を通りがかる時にそれを見かけて悪郎に声をかけた。
「悪郎くん、進のやつ何してるの?」
「友達を家に呼ぶんで無駄なあがきをしてるところです」
「え?もしかしてあの慌て様ってことは女子?」
「大当たり」
「うそー!え?どんな子?どんな子?」
「実際に見た方がいいですよ。度肝抜かれると思います」
女子を連れてくるという事実に盛り上がる姉を忌々しい目でにらみつける弟、面白がってからかいが始まれば一触即発だった。悪郎がほどほどで止めようとした時、そんな空気をぶち壊すように呼び鈴が鳴った。
「来た!?」
「姉ちゃんは黙ってて!」
「いいから出迎えに行ってこいよ進」
奏のことを悪郎に任せて進はドタバタと階段を下りた。急いで玄関の扉を開けると、ちょうど前髪をいじっている紗奈がいた。あまりに早い出迎えだったので紗奈はすっかり油断していて、頬を少しだけ赤く染めると手をさっと引いた。
「こ、こんにちは進くん」
「あ、う、うん。こんちゃ、いや、こんにちは」
進は挨拶を思い切り噛んだ。これが他人ならただの赤っ恥だが、相手は紗奈である。
「ふふっ、こんちゃ。珍しい挨拶だね?」
「知らなかったのか?これが流行の挨拶なんだ」
おどけて柔らかな笑顔を向けられただけで進の緊張も嘘のように和らいだ。いつものようなやり取りができるようになって進も自然体に近づく。
「入って。悪郎も待ってるよ」
「うん、おじゃまします。あ、そうだ。これパパとママから。この前悪郎が手土産もってきてくれたでしょ?そのお返しだって」
「そういえばあいつそんなことしてたな…、ありがとう如月。これ置いてくるから先に行ってて、階段上ってすぐが僕の部屋で悪郎がいるから分かると思う」
「分かった。じゃあ待ってるね」
進は紗奈からもらった手土産の箱を持ってリビングへ向かった。そこにいた父の登がやけにそわそわとしていたことが目について声をかける。
「どうしたの父さん?」
「あ、え、い、いやなんだそのお…」
「お父さん、進が連れてきた子が気になってるのよ。でも親がでしゃばるのはよくないからって我慢してるの」
「ちょっ!」
「でもお父さんの気持ちも分かってあげてね。あんなことがあった後でしょ?友達って言われても心配は心配なのよ。勿論私もそうだけど、進が認めた人だから信頼もしてるのよ」
それはまぎれもない親心、進のことを思うがあまりの感情であった。登が落ち着かない様子を見せているが、歩美の心中も似たようなものだった。
進は二人のそんな様子を見て思わず「ありがとう」と言葉が出た。てっきり疎ましく思われるかと予想していた登と歩美の二人は目を丸くして驚く。
「えっと、なんて言えばいいのか分かんないけど、すごくいい子だよ本当に。だから心配しないで、ちゃんと父さんと母さんにも紹介するから。僕の自慢の友達なんだ」
それは奥底からでた本心、自分のことを見捨てず根気よく見守ってくれた両親への感謝の言葉だった。恥ずかしさも当然あったのだが、この気持ちだけはごまかしてはいけない、素直に表現しなければいけないと進はそう思った。
「…そうか、分かった。進がそこまで言うのならこれ以上心配することは野暮そのものだな。名前はなんていうんだ?」
「如月紗奈。僕にとっても悪郎にとっても大切な友達だよ」
「じゃあ精一杯おもてなししてあげなさい。ジュースとお菓子、用意しておくから後で取りに来てね」
「ありがとう!あ、そうだ。これ如月から」
「あら、手土産なんていいのに…。しっかりした子ねえ」
「えぇ、中学生だよな…?今時の子は皆こうか?」
これはどちらかというと悪郎と如月家のやり取りなので年齢層が高く感じるのは当たり前のことだった。進はわざわざ訂正する理由もないので黙っておいたが、うろたえる二人の姿が少しだけ面白かった。
そんなやり取りをしていると、二階の進の自室から奏の黄色い声が聞こえてきた。絶対にちょっかいを出すと思っていた進は、案の定だと急いで階段を駆け上がるのだった。




