辛酸
悪郎は紗奈に誘われて二人で下校していた。しかし悪郎に用事があったのは紗奈ではなく、紗奈の父剛輔の方であった。
紗奈の家に進と二人で遊びに行った時、悪郎は剛輔と時間が許す限り将棋を指していた。その結果剛輔が悪郎のことを甚く気に入り、自分が勉強につかった詰将棋の本を貸す約束をしていた。
「パパ、もう一度時間を作るから悪郎くんを呼べってうるさいんだよ。久しぶりに全力を出せて楽しかったんだってさ」
「そう言ってもらえて俺も嬉しいよ。俺も剛輔さんにリベンジしたい」
「私には?」
「無論リベンジする。今度はこてんぱんにしてやろう」
「ふふっ、なんかそう言うと思った」
会話が途切れて無言の時間が流れる。最近の紗奈にどこか元気がないことを感じ取っていた悪郎は、少し迷ってから口を開いた。
「何かあったのか?」
「んっ?」
「うん?」
「あ、もしかして今私のこと心配してくれたの?」
「それ以外何があるんだ?」
「あー…」
「何だその呆れ顔は」
「唐突というか、聞き方が悪いというか、悪郎は頭がいいけどたまに馬鹿っぽい」
「馬鹿とはなんだ馬鹿とは!ったく、こっちは心配してやってるというのに…」
ふくれっ面をする悪郎に「ごめんごめん」と言って紗奈は笑いかける。その時までは楽しそうな笑顔を浮かべる紗奈であったが、次には表情を暗くして俯いた。
「何か…、あったのかなぁ?私には分かんないや。いつもいつも、私には分からないことばっかりだよ」
「?どういう意味だ?」
「人の心は複雑怪奇ってこと」
「そんなこと俺にも分かる。だがそれがどうお前と関係してくるんだ?」
「…ずいぶん積極的だね悪郎。私に興味あるの?」
それは紗奈らしくない軽口だった。普段であればこんな軽口は絶対に口にしない、そして気を許した相手にしかできない軽口だった。
悪郎もらしくないことを言うと思った。だからこそ、悪郎もらしくないことを口にすることにした。
「そうだな、興味ある」
「へ?」
「お前は俺の…、その、友人だからな。こっちきてから初めてできた」
それはらしくない本心だった。紗奈も驚いた顔をしているが、悪郎はこんなことを口にした自分にもっと驚いていた。
紗奈のことを友人だと認め、それを本人に告げた。絶対に言うつもりがなかったことを言った。悪魔にあるまじき発言だ。
だが友人であると言えたことに悪郎はどこかすっきりとしていた。肩の荷が下りたような、覚悟が決まったような、そんな気分であった。
「俺はな紗奈、自慢じゃないが友達がいない。少ないとかじゃないぞ?本当にいない。いなかった」
「そ、そうなの?」
「ああ、強がりではなく本当に友人なんて必要がなかったんだ。今ですら友人というものが何なのか俺の中ではっきりとしたものは分かっていない。友人とどう接するのが正しいのかも…。分からんっ!分からんことだらけだ!」
「おおう、そんな堂々と…」
「さあ恥ずかしいが俺にも分からないことだらけだと白状したぞ!友人としてお前はどう応えるんだ!?」
悪郎はそう言うとビシッと紗奈を指さした。鼻息を荒くして恥を押し殺している、興奮して昂る気持ちはまったく収まる様子がない。こんなことも悪郎には初めてのことだった。
紗奈は悪郎の発言を聞いてぽかんと口を開けて驚いていた。唐突であったし、こんなにも堂々と友人ゼロ発言を聞かされるとは思ってもみなかったからだ。だが悪郎にからかっているような様子もなく、極めて真剣に発言していることが伝わってきた。
「…そうだね。悪郎が友達としてここまで骨を折ってくれたんだ、私もちゃんと応えなきゃだね。来て。立ち話じゃなくて私もちゃんと話したい」
紗奈は悪郎の手を取ると、そのまま振り返らずに力強く引いた。悪郎も黙って紗奈の後をついていくことにした。
紗奈が悪郎を連れてきたのは、如月家から少し離れた場所にある公園だった。設置されているベンチに二人は隣り合って座った。
「ここの公園、よく遊びに来ていたの。近いからパパもママも都合がよかったのね。お兄ちゃんもよく連れてきてくれた。お兄ちゃんは公園の遊具で遊ぶより、携帯ゲームを持ち寄って友達と遊んでたけどね」
「楽しそうだな」
「ほんとにそう思ってる?」
「ああ、俺には縁のない世界だ」
「大げさだなあ」
大げさなことではなく本当に魔界には公園なんてものが存在しないのだが、そんなことを説明しようがないので悪郎は紗奈に話を続けさせた。
「私ここが好きだけど嫌い。この場所は好きだけど、ここに来ると嫌な思い出を思い出すから今までずっと来られなかった。だから今日すごく久しぶりにここに来たの」
紗奈はそう切り出すと、嫌な思い出について話始めるのだった。
兄と一緒に公園によく来ていた紗奈には、同じように兄と一緒に公園に来ていた美雪という一つ年上の女の子の友人がいた。
兄たちはゲームに夢中で相手にしてくれない、だから二人は自然と一緒になって遊ぶようになり、同じ時間を過ごす内に当たり前に仲良くなった。
遊具で遊ぶのは勿論のことだったが、二人で色々なものを公園に持ち寄って、編み物をしたりアクセサリー作りなどをして楽しんだ。美雪は手先が器用でその手の道具やおもちゃを多く所有していた。それを使って紗奈にできないようなことを簡単にこなし、完成品は商品かと見紛うばかりのものであった。
紗奈はそんな美雪のことを尊敬しすごいとほめたたえ、美雪は紗奈に一緒にやってみようと提案して丁寧に作り方を教えた。紗奈は優しくて器用な美雪のことを尊敬していたし、なついていた。
美雪が作り出すものがあまりに見事な出来栄えなので、そのうちには公園に来ていた子たちが皆二人の元に集まり始めた。美雪と紗奈の二人は得意になって「ものづくり教室」と銘打ち集まった子どもたちに技術を教えるごっこ遊びを思い付いた。
二人のものづくり教室は瞬く間に人気になり、二人は真剣に授業内容について話し合うようになった。子どものごっこ遊びとはいえ当時の二人にとっては真剣そのもので、成功も失敗も喧嘩も挫折も共に経験し二人はもっと仲良くなっていった。
ものづくり教室には男女年齢問わず参加をしていた。ある日、参加者の一人の年上の男子が急に紗奈の手を握ってきた。その時はすぐに振りほどいたが、それからというものその男子はことあるごとにべたべたと紗奈の体を触るようになってきた。
紗奈は何度もその男子のことを両親や兄、そして美雪に相談しようと考えた。しかし紗奈は子どもながらにそんなことをすれば大事になり、折角二人で作り上げたものづくり教室がなくなってしまうかもしれないと考えた。
それだけは避けたい、紗奈はそう思い我慢することにした。幸い美雪がその男子のことを気に入っていたので、自分は距離を置いて美雪にその男子の対応を任せることにした。距離を置けばそのうち何もしてこなくなるはずだ、その時の紗奈はそう考えていた。
しかしこの行為は裏目に出た。自分が避けられていると悟った男子は強引な手段に出た。紗奈を人目につかない場所へ呼び出すと「好きだ」と告白した。だがその時の紗奈にはそれが告白であるという認識すらなく、ただただ苦手な人に一方的な好意を向けられることに嫌悪感を覚えるだけであった。
好きだと言われてもどう答えるべきか分からなかった紗奈は、ただ沈黙して固まるしかなかった。それを肯定だと勘違いした男子は、紗奈に近寄りキスをしようと顔を近づけてきた。
何をされるのか分からなくとも、紗奈は顔を近づけてくる男子に心底恐怖し大声で悲鳴を上げた。その紗奈の声に気が付いた兄がその場に駆け付け、紗奈に迫る男子を見つけて殴り掛かった。そのままなし崩し的に大騒動に発展し、紗奈の危惧していた通りものづくり教室は看板を下ろすことになった。
「勿論これもすごく怖い体験だった。でも問題なのはこの後、私ものづくり教室がなくなっちゃったことを美雪ちゃんに謝りに行ったの。そうしたら…」
紗奈の謝罪を聞く前から美雪は激怒していた。紗奈に迫ってきた男子は美雪がほのかな恋心を抱いていた初恋の相手で、男子は騒動の後、悪評を恐れた家族が引っ越しを決めて遠くへと行ってしまった。
そしてものづくり教室では、優れた技術を有していたのは美雪であるにも関わらず、人気を集めていたのは常に紗奈であった。それでも技術をもっているだけでちやほやされるものづくり教室は美雪の宝物であり、人気者である紗奈に唯一勝ることができる場所であった。
初恋の人と自尊心を壊された美雪は、紗奈に罵声を浴びせ絶交を宣言した。二人の関係はそれきりであった。
「美雪ちゃんに言われたの。お飾りでしかないお前に全部盗られたって。ちょっと可愛いからって私のことずっと見下してたんでしょって」
「酷いことを言う…」
「私は二人で一緒にものづくり教室をやってたつもりだったけど、美雪ちゃんにとってはそうじゃなかったみたい。私がいると人が寄ってくるから見世物として最適だったってさ。私はただ皆と仲良く遊びたかっただけ、それって間違ってることなのかな」
紗奈はそう言うと組んでいた腕にギュッと力を込めた。自分を抱きしめるように、強く強くあざが残るほど強く手に力を込めた。
悪郎はそんな紗奈の肩を優しく叩いた。そして力の入った手をゆっくりと振りほどかせる、紗奈の白い肌に真っ赤な手跡が残って痛々しい。悪郎はそっとあざに触れると、気づかれないように魔法で治癒した。
「紗奈は間違ってない。怖い思いをしたのはお前で、責められるべきはその男子だ。ただ、その美雪という子も理屈で割り切るには幼過ぎたんだろうな。…こんなこと言っても慰めにもならんか」
そう言って俯く悪郎に紗奈は柔らかな微笑みを向けた。
「ううん。ありがとう、そう言ってくれて。あの時は本当に落ち込んだけど、今なら悪郎の言っていること分かるよ」
紗奈は深呼吸をすると覚悟を決めた目をした。そして自分が今置かれている状況と、悩みを悪郎に打ち明けた。これで悪郎もようやく、紗奈を標的にした別のいじめが進行中であるということを知ることになった。




