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悪郎の幸福論  作者: ま行


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別の巨悪

 まず真っ先に異変に気が付いたのは進であった。その理由は、自分がいじめられていた経験を踏まえたものであり、普通ならば見逃してしまいそうな小さな違和感であった。


 自分と紗奈が引き離されている。それも意図的に操作されていることを感じ取っていた。それが自分を対象にしたものではなく、紗奈をグループからはぶろうとしているものであると進には分かった。


 しかし分からなかったのが、それを誰が主導しているかであった。進が紗奈や悪郎と接触しようとすると、それを邪魔するかのように男女関係なく代わる代わる人がやってくる。層もまちまちで特定のグループではやってこなかった。この中に紗奈に対して憎悪を向けているものがいる、だが如何せん数が多かった。


 容疑者が多すぎて絞り込むことができない。それに加え、皆進に対しては本当に贖罪の意思をもって接してくる。そこに悪意はなく、善意しか感じられなかった。当たり前のことだが、進と接している間そのものたちに紗奈のことは眼中になく、一人一人が進と向き合おうとしていた。


 結局進は、自分に接触してくる誰かが紗奈をはぶろうとしていることは分かったが、誰がどうしてそうしたいのかまでは分からなかった。自分が紗奈から引きはがされ、紗奈がクラスメイト達からはぶられている。それを分かっていながら何もできないもどかしさが進を苦しめていた。




 進のすぐ後に異変に気が付いたのは紗奈だった。紗奈は自分が疎外されていると早々に気が付いた。しかしまさか、進と引き離されるとは思っていなかった。


 何故紗奈が自分が疎外されているとすぐに気が付くことができたのか、それには至極単純で悲愴な理由があった。紗奈は「はぶられ慣れている」これが理由だった。


 目を引く容姿、誰にでも向ける屈託のない花咲く笑顔、話かければよく聞き入り返答はしっかりとして真面目。紗奈は卑しさや敵意さえ向けられなければ誰にでも自然とそういった態度になれる人であった。


 可愛く、時に美しく、そして飾らない態度。それが素の性格である紗奈はあまりにも眩しい存在で、妬ましがられる筆頭であった。勝手な感情ではあるが、光が強ければ強いほど闇は濃くなる。紗奈を見て好感情を抱くものも多いが、こじれた悪感情を持つものも多かった。


 そしてまともに対峙して勝てると思うものは少なかった。そこで手軽にできて効果的な攻撃が、無視や締め出しである。労力がかからない割に与えられるダメージは大きく、無視されているという事実が自尊心を満たす。相手にされていなくてかわいそうだと一方的に思い込むことができるからだ。


 悲しいことに、紗奈はこの手の経験を何度もしてきた。昨日まで友人だと思っていた子が、次の日には口もきいてくれないことはありがちで、勝手に好意を抱かれ勝手に去られることは紗奈にとって何も特別なことではなかった。


「またか…」


 精々その程度の感情しか紗奈には浮かばなかった。そして進と違い、紗奈には首謀者の検討がついていた。寺沢美緒、彼女が裏で手を回しているのだろうと考えていた。そしてその予想は当たっていて、進に近づくことを利用して紗奈をはぶる工作していたのは美緒だった。




 紗奈と美緒、二人の間に因縁はない。少なくとも紗奈から美緒に対する悪感情というものはまったく存在しなかった。紗奈はそこまでの感情を抱けるほど美緒のことを詳しくは知らないからだ。


 しかし美緒は違った。美緒は紗奈のことが心底気に食わなかった。はっきりと大嫌いだと断言できるほどには、紗奈のことを憎らしく思っていた。二人の間で何か特別なきっかけがあった訳でもないのに、何故美緒がここまで紗奈を嫌っているのか、その理由は実にシンプルなものだった。


 紗奈の持つ何もかもが妬ましい。その一言に尽きた。


 美しく可憐な容姿、妬ましい。純真無垢で爛漫な性格、妬ましい。作りだされたものではなく天然で人を魅了する素質、妬ましい。紗奈の存在すべてが美緒をイラつかせていた。


 それは美緒が勝手に抱いた劣等感で、その考えに囚われている美緒には正当な評価を下せるような冷静さなど持ち合わせていなかった。


 自分は必死になって努力して女子間の派閥を乗りこなしている。紗奈にはそんなことは必要ない、仲良くしたい時に仲良くして、付かず離れずの距離感を保っている。たびたび起こる諍いには興味などないと言わんばかりの態度に苛立った。


 メイク、美容、ファッション、髪型、いつどんな質問をされても答えられる豊富な知識に確かな技術。それも紗奈には必要がない、飾らなくとも紗奈は美しく、ケアも最低限のことさえ覚えておけばいい。どんな服をどんな風に着ても、紗奈ならばファッションモデルのように決まるだろう。


 紗奈のことを好きになる男子、もっとも愚かで馬鹿な存在。光に群がる虫どもは、自分が相手にされていないことにも気づかずアプローチをし、バチッと火花を散らして無残な死体を地面にばらけさせる。醜いだけではなく愚かであり唾棄すべき存在だった。当然虫を寄せ付ける光も気に食わない、汚らしいごみをまき散らすだけまき散らし、自分は知らん顔でいるからだ。


 こうして積み重なった悪感情の澱は、憎しみのあまりに美緒によって勝手に作り上げられたものであった。紗奈だって人付き合いには大いに悩むし、人並みにファッションや化粧にだって興味がある。なんの努力もしていない、飾らないというのは美緒の勝手な言い分と思い込みであった。


 だがその勝手な妄想と言い分が紗奈と美緒の関係を拗らせていた。どれもこれも結局は美緒がもつ自分勝手な感情で自分本位な行為であったが、一度転がり始めてしまえば最後、どうしてそうなったのかというきっかけは、どうでもいいものへと成り下がっていた。




 悪郎は三人の中で唯一まだ何も気が付いていなかった。美緒に対する配慮や感情が邪魔をしているのもあるが、そもそも悪郎の契約者は進である。どれだけ有力な魔法が使えても、どれだけ有能な能力を持っていても、主軸に置いているのは進であって紗奈ではない。


 あの夜美緒の通話の内容を聞いていれば事情は違っていただろう。しかしそれも悪郎が美緒に配慮して行わなかった。直接確かめたのも、進に対する悪感情があるかどうかだけで紗奈のことは除外して考えていた。


 まさか美緒が紗奈のことを標的にしていたとは考えなかったし、悪郎は紗奈が感じた違和感を間違っていてほしいと願っていた。その先入観が判断を誤らせ、結果的に巨悪を放置してしまったことになった。


 すでに悪郎にとっても紗奈は友人といっていい存在になっている。友人を救うためなら悪郎はどんな手段でも厭わない。だがそれは悪魔としてあまりにも逸脱した行為であり、存在の根幹を揺るがすような許されない行為であるとすぐに気が付く。


 知ったとしてもすでに手遅れで手が出せない状態。これが悪郎に待ち受けていることであった。


 悪郎はいつもの場所で一人、紗奈と会っていた。進が他の人と話していたので誘うことができなかったのだ。それがまさか三人の仲を引き裂こうと美緒によって画策されたものだとはつゆ知らず、悪魔だけが密かに育ち切っていた悪意に気が付かないという異例な状態にあった。




 進はこっそりと人の目を盗み教室から抜け出すと、久しぶりにいつも三人で集まっていた場所へと向かった。そこに行けば紗奈に会えるはず、そう思ってのことだった。


 そして確かにそこに紗奈はいた。ただしそこには悪郎も一緒にいて、二人は楽しそうに談笑していた。進はどうしてか、その状況に急激に疎外感を覚えた。


 紗奈と悪郎、二人が並ぶ。とても絵になった。そこに自分がいるのがおこがましいと思えるほど、お似合いの二人だと進は思った。伝えるべきことはたくさんあるはずだったのに、進はその場から逃げるように立ち去ってしまった。

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