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悪郎の幸福論  作者: ま行


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吉か凶か

 進と悪郎は一緒に登校している、流石にあれだけお灸をすえられてまだ進に手出しする根性のある奴はいないだろうと悪郎はそう思っていたが、それでも念のために一緒にいるようにしていた。


 進の方も悪郎が一緒に登校してくれた方が心強かった。いじめについて決着がついたとはいえ、まだまだクラスメイトの進に対する態度はよそよそしい。冷遇されるわけでもなく、厚遇されるわけでもなく、宙ぶらりんの状態が続いていた。


 自分がそんな状態にうんざりして、いつまた学校に行きたくないとなるか分かったものではない、そう進は思っていた。だから一緒にいる誰かが無理にでも引っ張っていってくれた方が都合がよかった。


 それでもやはり進は自分に対する腫れもの扱いには辟易としてきていた。気を使うなという方が無理な話だと分かっていても、どうにかわだかまりをリセットできないものかと思っていた。自分が死ぬ卒業の日までギクシャクとした関係が続くのは切ないと考えていた。


 友達とまではいかずとも、せめて公平にコミュニケーションをとってくれる人が一人でも現れないだろうか、そんなことを進は願っていた。しかしそれも高望みかと諦めかけてもいた。


 紗奈が仲良くしてくれているだけでも十分過ぎると進は思った。これが足るを知るということかと一人納得し、進はふっと鼻で笑った。


「何だ進?気味悪い顔して」

「えっ?気味悪い?ニヒルじゃなくて?」

「ニヒル?冗談だろ。寝言は寝て言え」

「悪郎くんはもう少し言葉をオブラートに包めないのかね」

「悪いな切らしてるんだ。買ってきてくれたら包んでやるよ。お菓子とか薬とかにな」


 悪郎の散々な物言いに、進は抗議する気も起きなかった。悪郎に口で勝てる日は絶対こないだろうなと思いながら進は下駄箱で靴を履き替えた。




 教室に入り「おはよう」と挨拶をする。返事はいつものようにまばらに返ってくるだろうと思っていると、一人の女子が立ち上がって目の前まで歩いてきた。


「おはよう佐久間くん」


 にこやかで爽やかな笑顔を向け、気持ちのいい挨拶をしたのはクラスメイトの寺沢美緒だった。突然のことで驚いている進が立ち止まっていると、背後の悪郎が口を開いた。


「おはよう寺沢さん。通してもらっていいかな?」

「勿論、ごめん塞いじゃってた?」

「ううん。ただ慣れてないからびっくりしただけ、だよな進?」

「あっ、う、うん。ごめん寺沢さん、折角挨拶してくれたのに黙っちゃって」

「私も突然ごめんね。ほら、入って入って」


 美緒は道を空けて進を迎え入れた。急に友好的な態度で接されて、進は嬉しさよりも困惑の方が勝っていた。しかも美緒は進が席につくと、前の席の椅子を借りて座り対面についた。


「な、何か用ですか?」

「用かって聞かれたら困るけど。ほら、皆で謝ってからずっと、佐久間くんとちょっと微妙な空気が続いてたでしょ?いい加減そういうのなくしたいなって思ってさ」


 ずけずけとした物言いではあったが、美緒の言葉は核心をついていた。急になぜという疑問はあれど、進が登校時にちょうど考えていたことと同じことを言っていた。


「それは僕もそう思うけど、でもいやいやとか、無理強いをしてとかは嫌なんだけど…」

「私もそれは同意見。だけど多少強引にでも関わっていかないと中々差は埋められないと思うな」


 進と美緒の会話に悪郎が割って入ってくる。


「確かにそれは俺も同意見だな。でも寺沢さん、他の人の気持ちを無視するのはよくないと思うよ」

「うん。だからさ、私が先陣切っていこうかなって。勿論佐久間くんの気持ちが一番だから無理強いはしないけど」


 進は救いを求めるような顔で悪郎の方を見た。しかし悪郎は、敢えて突き放すように小さく首を横に振った。自分で考えろと言外に示す。進はぐっとこらえるように唇を結んだ後、勇気を出して美緒に言った。


「…でも寺沢さん。具体的にはどうするの?」

「別に特別なことはしないよ?でもただおしゃべりするだけでも案外人のことって知れるでしょ?私たち全員、佐久間くんのこと何も知らず何も考えずいじめに加担してたでしょ?それって私たちが無知だったから悪いと思ってるんだ。だから少しずつでもいいから、お互いを知るためにしゃべってみない?」

「…まあそれくらいなら」

「よかった!いやー、内心断られたらどうしようかなって焦ってたんだあ。無理だと思ったらすぐに無理って言ってくれていいからね」


 美緒はぱんと手を合わせて嬉しそうに笑いかけた。友好的な態度に愛くるしい笑顔、健全な思春期の男児であればぐらりとこない人もいない、実際進はぐぐっと嬉しい気持ちがもたげた。


 元々寂しく感じ始めていたタイミングであったのと、自分からではなくクラスメイトの方から接触してきてくれたという状況が進の心を揺さぶった。


 寺沢美緒、人気者として見ると紗奈に比べて容姿で劣るが対人能力では勝っていた。どの女子グループにも顔が利き、接する際は分け隔てがない。何かと派閥争いが起こりがちな女子間において、ただ一人なんの問題もなく話を通すことのできる人物だった。


 やや背伸びがちであるが容姿も悪くなく、美容部員の母親の薫陶もあっておしゃれに造詣が深い。校則で禁止されているメイクをうっすらと施しており、それで魅力を高めていた。それこそが背伸びがちに見られる要因でもある。


 しかしメイクに詳しいことで女子からの人気は高く、こっそりと学校で女子たちにメイク方法や化粧品について教えていた。美意識の高さで羨望を集めるだけでなく、美緒にしかできないメイク技術は特別で強烈な個性であった。


 明るく陽気、おしゃれで気さく、それが美緒を女子の人気者たらしめていた。




「おはよう。うん?」


 登校してきた紗奈が目にしたのは、楽し気に談笑している進の姿だった。周りには、美緒が呼び寄せた数人の女子がいる。


 挨拶を交わしながら紗奈は席につく、しかし話し込んでいた進とはいつも交わす挨拶ができなかった。代わりにと言わんばかりに悪郎が目の前にスッと現れた。


「おはよう紗奈。どうだ珍しいもの見れただろ」

「おはよう悪郎。珍しいっていうか、急にどうしたの?」

「詳しくは分からんが、寺沢さんが進に話しかけたんだ。いじめの一件以来浮き気味だったのを気にしてくれたらしい」

「へえ、寺沢さんが…。でも彼女らしいと言えば彼女らしいのかな?」

「どんな子だ?」

「私はあんまり話したことないけど、友達想いのいい人だって皆そう言うね」

「?紗奈がそんな風に言うのは珍しいな。接点は?」


 悪郎の問いかけに紗奈は頭を振って返す。紗奈でも関係性の薄いクラスメイトがいるのだなと悪郎は意外に思った。


 紗奈と美緒は仲が悪いという訳ではなかった。挨拶も交わすし雑談もする。しかし互いをよく知る間柄ではなかった。紗奈から話しかけても美緒は早々に話を切り上げてしまう。それゆえ関係を深めることができなかったのだ。


 だから紗奈は知っているかと聞かれれば知らないと答えるほかなく、人づての評価でしか美緒の人柄を把握していない。ただ、真っ先に行動を起こすとしたら葉月の次は美緒かもしれないと予測はしていた。


 今の状況は紗奈の予想通りの結果ではあった。だが、どうしてか分からないが紗奈には底知れぬ不安と胸騒ぎがあった。それは仲よく会話をしている進の姿とは、あまりにもかけ離れた感情であり、もし口にしてしまえば会話に思い切り水を差してしまうことになるだろう。


 紗奈はそんな自分の気持ちをギュッと胸の奥にしまい込んだ。これはただの勘違いだ、特に問題はないだろう。そんなことより、進がクラスに馴染むことの方が重要だ。紗奈は何度も何度もそう自分に言い聞かせていた。

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