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悪郎の幸福論  作者: ま行


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あの日あの時

 進と悪郎は紗奈の家から帰ってきた後、互いに会話を交わすこともなく無言の時間が続いていた。進はベッドに寝転がりただ天井を見ていて、悪郎は部屋の窓から外の様子を眺めていた。


 二人共言葉がないのはそれぞれに理由があった。進は紗奈から問いかけられた「覚えてない?」の言葉が頭から離れず、悪郎は悪魔としてではなく、悪郎としての自分の心情の変化に戸惑い続けていた。


「悪郎はさあ…」


 唐突に進から声をかけられた悪郎はびくっと肩を震わせた。


「何だ?」

「魔法が使えるだろ?」

「ああ、それがどうした」

「忘れてる記憶を取り戻す魔法ってあるの?」


 進から質問に「ふむ」と悪郎はうなった。いい加減考えを切り替えたいと思っていたので、ちょうどいいタイミングで質問してくれたなと密かに進を褒めた。


「あるにはある」

「何そのハッキリしない言い方」

「記憶に関する魔法は扱いが難しい。もし使用したいと考えているのなら最初に釘を刺しておく必要がある」

「その言い方をするってことは危険ってこと?」

「そういうことだ。例えばだ」


 悪郎は窓際から離れて進に座るようにと促した。二人で向かい合ってから座ると、悪郎が説明を始めた。


「お前の奥底に思い出したい記憶があるとする。それを魔法で引っこ抜いてくる。さてそれは本当にお前が思い出したかった正しい記憶だと思うか?」

「原理はよく分からないけど、思い出せたのならそうなんじゃないの?」

「残念ながら違う。記憶ってのは結構雑なものでな、記録としては正しく残っているのに、自分で勝手に脚色してしまう。いい思い出も悪い思い出も、都合よく変換してしまうことがあるんだ。思い当たる節はあるだろ?」

「あー、確かに言われてみるとそうかも。百円貸したつもりが五十円だったりとか」

「という理由で、引き出せた記憶が自分にとって都合よく改ざんされている可能性は捨てきれない。思い出したいって思った時点でねじ曲がってるかもしれないしな」


 思い出そうとして記憶をかき回した時に、その記憶を自分にとって都合がいいものになるよう変換してしまうことがある。それがいい思い出であれば、よりよいものに記憶を補強してしまい、悪い思い出であれば、少しでもそれを和らげようとしてしまう。


「ぐちゃぐちゃに引っ掻き回された記憶がもう一度定着してしまえば、もう元の形の記憶には戻らない。本人には記憶を引っ掻き回したって自覚もないからな、これは勝手に行われることだ。だからむやみに使うのは危険なんだ」

「じゃあ完璧に思い出すことは無理ってこと?」

「ま、基本的にはな。そもそも悪魔が扱う魔法ってのは、悪魔にとって都合がいいものばかりだ。設計思想からして人間に利するように作られてないんだよ」

「それはそうか。目的は魂の堕落だもんな」

「だがしかし、俺ならばそれが可能だ。思い出したい記憶をそのままに思い出させることができる。少々手間はかかるがな」


 悪郎は得意げな表情を浮かべてそう言った。結局そこにつなげたかっただけかと進は呆れたが、同時に流石は悪郎とも思った。悪郎が自分ならばできると断言するということは、悪郎にしかできないことだということを進は分かっていた。


「それで?記憶を思い出したいのはお前か?」

「どうすればいい?」

「思い出したい記憶によるな。少しでも心当たりがあれば成功率を高められるが…」

「ごめん。正直まったく思い当たらないんだよ」

「だろうな。それでも思い出したくなるきっかけはあっただろ、それを話してみろ」


 そう言われた進は、紗奈との会話のことを相談した。進に問うた時の紗奈の真剣な顔、その後の雰囲気、どうしても心に引っ掛かりを覚えてしまう心境を洗いざらい話した。




「ジャスティスソードのヒーローショー?」

「そう。何度か連れていってもらったことあるよね」


 進と悪郎は二人で一緒に歩美に話を聞きにきていた。進が紗奈からヒーローショーのことを問われても思い当たる節がないのは、各地で行われていたショーをいくつも見に行ったことがあったからだった。


 つまるところ進は、紗奈の言っているヒーローショーがどれのことを言っているのかが分からなかった。紗奈の話しぶりからしても、昔に進とどこかで出会っている可能性が高い。覚えていないかと問われた時の真剣な表情や寂しげな雰囲気からも、進はそれを無視することができなかった。


「あなたが散々ねだるものだから、あちこち連れていってあげたでしょ」

「その中でさ、僕に何か特別なことが起きたりしなかった?」

「特別なこと?具体的には?」

「ヒーローショーに来てた女の子と友達になったとか」

「ええ?うーん…、そういうのはなかったかなあ。あなたショーに人一倍夢中だったし、終わるころには声が枯れるほど疲れきっていてね。大体はお父さんの背中の上だったわ」


 歩美のその言葉で進は徐々に当時の情景を思い出してきた。確かに自分はジャスティスソードに声援を送ることに必死になっていて、ショーの終わりに握手をした後は、すっかり疲れ果てて眠りこけていた。


 起きた時には大抵父の背をよだれまみれにしていたか、車の座席に座らされていてすでに帰宅途中であった記憶しか思い出せなかった。


 自分でも会場にいた他の誰かを気にしていたとは到底思えず、進は紗奈の言っていることが本当に正しいのか疑問に思い始めてきた。紗奈は誰か別の人と自分を勘違いをしているのではないか、進の心の内でその疑念が強まった時、それまで黙っていた悪郎が口を開いた。


「あの、ヒーローショーに関する出来事ではなく。その出先で進が何かトラブルに巻き込まれたことなどはありませんでしたか?」


 悪郎の問いかけに歩美はしばし上を見上げ考え込む、そして「そういえば」と思い付いたことを話始めた。


「一度だけあったわ。進がね、駐車場でバックしてきた車に轢かれそうになったの。この子疲れてふらふらしてて周りをよく見てなくて、一瞬だけ目を離した隙にキィッってブレーキ音が聞こえてきたの。本当にあの時は焦ったわ」

「何それ、僕全然覚えてない」

「無理もないわ。あなた轢かれこそしなかったけど、車に驚いて転んじゃって頭を打ったの。大した怪我はしなかったけれど、急いで病院に行って検査してもらって、異常はないって言われるまでは私もお父さんも肝を冷やしたわ。翌朝にはけろりとしていたけど、事故前後の記憶があやふやで、転んだ時のことも治療のことも覚えてなかったのよ」

「それ進は本当に大丈夫だったんですか?」

「私たちも心配だったし、病院の先生も入念に検査をしてくれたけど、本当に異常はまったくなかったの。その後何度か通院して検査したけれど身体的な異常は見られないから精神的なものかもって話になってね。でも進は全然元気だったし無理に思い出すことでもないからって、先生と相談して治療はそこでやめたの」


 進は悪郎に目配せをした。それを受け悪郎はこくりと頷いた。これが大きな手掛かりになるかもしれないと二人はそう考えていた。


「歩美さん、その時の記録って今もありますか?事故のことや診断書とか」

「ええ全部保管してあるわよ」

「それ全部見たいんだけどいい?」

「構わないけど、あの時のことがどうかしたの?」


 不審がる歩美のことを二人で何とか宥めすかし、進と悪郎は当時の記録を手に入れることができた。記憶を取り戻す魔法を行使する際、手掛かりが多ければ多いほどより正確なものを導き出すことができる。二人が手に入れたものは、最高の補完材料だった。




 手掛かりを手に入れた悪郎は準備に取り掛かる、進をベッドに寝かせて深呼吸をさせると、進の手を握りしめ悪郎はそれを自分の額に押し当てた。


「じゃあやってみるか、力は抜いて自然体にしてろ」

「分かった。よろしくな悪郎」

「うん。まあ身構えることもない、これが当たりかどうかはまだ分からんからな。気楽にやろうぜ気楽にな」


 進が頷いたのを確認してから悪郎は魔法を発動した。すうっと深い眠りに落ちる進、悪郎はその後を追いかけるように自分の意識を進の中へと潜り込ませた。

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