記憶
進を引き連れ自室へと案内した紗奈は、平気な素振りをしていたものの、男子を自室に入れるのは初めてのことなので内心はドキドキとしていた。
紗奈は部屋に入ってすぐにぐるっと全体を見回した。入念に掃除をして片づけも行ったが、一つでも見落としがあれば赤っ恥である。確認し終え胸をほっとなでおろすと、背後の進が紗奈に声をかけた。
「如月?やっぱり入らない方がいいかな?」
「あっ違うの!ごめんごめん、さあ入って」
扉を開けたきり立ち止まっていたので、進は不安になって紗奈にそう聞いた。進には紗奈の心の内を知る由もない、だから何か問題があったのかと思った。
しかしいざ紗奈から入ってくれと招き入れられてもそれはそれで尻込みした。進はぎゅっと目を閉じて覚悟を決めると「ままよ」と心の中で叫んで部屋に足を踏み入れた。
「お、お邪魔します」
「ふふっ、どうぞ」
紗奈の部屋は入るとふわっと甘い香りがした。物も綺麗に整頓されており、ところどころに飾り付けられた調度品からは、紗奈らしさを感じられるようなセンスのいいものが並んでいた。
生活圏という意味合いでは進の部屋と紗奈の部屋は同じものであるのに、どうしてこうも何もかもが違うのだろうかと進は思った。いい香りがする居心地のよいこの環境は、いつまでもここに居たいなと思わせる魅力があった。
「進くん進くん、これ見て!知ってるかな?」
「ジャスティスソードのコミカライズ!青年誌掲載だったから手が出せなかったやつだ!これは如月の?」
「ううん。お兄ちゃんの借り物の借り物。だから更に貸したりはできなかったけど、ここで読む分にはいいかなって思って。読みたいでしょ?」
進はその問いかけにぶんぶんと頭を振った。進は自分のお小遣いで手が出せて、集められるだけのジャスティスソードグッズを集めていたが、発行巻数の多い単行本を全巻揃えるにはお小遣いでは予算が心許なく厳しかった。
だから進はコミカライズ本の存在は知っていても手が出なかった。そして今思いがけずそのコミカライズ本を手に取れたことに感動していた。読みたいと聞かれたら勿論と答えざるを得ない、そんなファン心理を知る紗奈は進にも読ませてあげたいなと思っていた。
悪郎と剛輔も対局中言葉少なであったが、進と紗奈がいる部屋はもっと言葉少なであった。ページを捲る時の紙がこすれる音が、静かな部屋で二人分鳴っていた。
部屋に入るまでは緊張しきっていた進も、ジャスティスソードが話題に出てきたことですっかり緊張が解けていた。趣味に没頭できる時間はいい、同じ趣味を持つ同士との時間はなおさらだった。手にある巻を読み終えた進が次巻が置いてあるテーブルに手を伸ばすと、もふもさっとした感触が手に当たった。
「あれっ?…おわあっ!!」
「えっ!?なに?」
そこにいたのは柴犬だった。先ほどまでそこにいなかったはずなのに、そう驚きながらも進は見覚えのあるその犬を指さして言った。
「もしかして、きみがまめまる?」
まめまるは名前を呼ばれると軽くしっぽを振った。そして進にお尻を向けて紗奈の方へと歩いて行ってしまう。
「びっくりした。まめまるどうやって部屋に入ってきたの?」
進の大声とまめまるの突然の登場に紗奈も驚いた。紗奈から問われたまめまるはちらりと扉の方を振り返る、その視線を追った先には半開きの扉があった。まめまるは閉め損ねた扉を開けて中に入ってきていた。
「ごめんね進くん、驚かせちゃったでしょ」
「ううん。こっちこそ大声出しちゃってごめん。それに急に触っちゃったし、まめまるはびっくりしなかったかな?」
「それは大丈夫。この子割と大らかな性格だから」
紗奈はまめまるのことをわしわしと撫でまわした。それに気をよくしたのかまめまるはこてんと横になってお腹を見せた。紗奈は進を手招きして呼び寄せると、撫でてみてと提案した。
「僕が触っても大丈夫?」
「警戒してないし大丈夫。それに私もいるから」
進は紗奈に撫でられているまめまるにそっと触れた。そして紗奈と一緒にまめまるのことをわしわしと撫でる。くるしゅうないとでも言いたげにされるがままのまめまるの姿は、愛らしいことこの上なかった。
「はははっ、気持ちよさそう」
「まめまるのことも紹介しようとは思ってたけど、まさかこの子の方から来るとは思わなかったよ」
「音もなく現れたね」
「基本的に静かに行動するんだよね。いつの間にか後ろにいたりして、私も何度か驚いて声を上げたことあるよ」
「へえ、まめまるの得意技なのかな?」
「そうかもね。驚かせてこっちの反応を楽しんでるのかも」
「すごいなまめまる。隠密活動ができるのか」
二人の間に挟まって一しきり撫でられた後、まめまるは唐突に立ち上がって部屋を出て行った。気に障ることをしたかなと心配する進に紗奈が言った。
「気にしないで、あの子本当に唐突に飽きたりするの。多分お客さんに挨拶できて満足したんじゃないかな」
「何か面白い性格だね。それにしても生で見られてよかった。写真で見るよりずっとかわいいね」
「そう言ってもらえると嬉しいな。まめまるが来て丁度よく集中力も切れたし、一休みしよっか。私お茶入れてくるよ」
「手伝えることはある?」
「大丈夫大丈夫、ここで待ってて。ついでにパパと悪郎の様子も見てくるから」
そう言うと紗奈は立ち上がって部屋を出て行った。一人残されたことでもう一度緊張感がぶり返してきた進は、余計なものを見ないよう、触らぬようと、膝を抱えてギュッと身を縮めて紗奈が戻ってくるのを待った。
「おーい進くん。開けてー」
紗奈の声が聞こえてきてハッとする進、急いで扉を開けるとお茶とお菓子を置いたトレイを持っていて両手が塞がっている紗奈がいた。
「ありがとう進くん」
「いや、やっぱり運ぶの手伝えばよかったね」
「私が言い出したことだし気にしないで。紅茶だけどいい?」
「うん。ありがとう」
それから二人はお茶とお菓子を食べながら、先ほどまで読んでいたジャスティスソードの漫画の話で大いに盛り上がった。感想を述べあい、あの巻のあのシーンは実写でも見てみたいだとか、この解釈は実写ドラマではできなかったなど尽きることのない歓談を楽しんだ。
「そういえば悪郎はどうしてた?」
「何か二人ともすごく真剣な雰囲気で声もかけられなかったよ。悪郎って結構負けず嫌いだよね」
「あー確かにそうだね。でもあいつはすごいよ、ちゃんと負けましたって認められるんだもん。僕がチェスを教えてもらった時は、もう打つ手なしなのに中々負けたって自分から言いにくかったから」
「それ分かるなあ、投了って勇気いるよね。まだ何かできるはずってどうしても探しちゃうもん」
「もうないから投了するんだけどね」
「そう考えると、悪郎は負けず嫌いっていうより潔いのかな?」
「うーん。でもすぐに再戦を望むのは負けを認めたくないんじゃない?だから負けず嫌いで合ってると思うよ。ただ諦めることの大切さも知ってるんだと思う」
進と紗奈はまだまだ子どもで、あらゆる可能性を求め続けてしまう。しかしそれこそが彼らの強みであり、いつかは擦り切れてしまう大切な執着心であった。悪郎が潔く見えるのは、時にそれが足かせになることを悪郎が自身が知っているからであった。
「しかしジャスティスソードはいいなあ。漫画でも魅力たっぷりだ」
「だよねだよね!私もそう思うよ」
「…気になったんだけどさ、どうして如月はジャスティスソードにハマったの?」
「え?」
「いやほら、同年代の女子はさ。大体同じ時間帯にやってる女児向けアニメが好きだったからさ。なんでなのかなって」
「ああ確かにそうだね。私の周りの子も大体そっちが好きだったなあ。私の場合は、お兄ちゃんがテレビを独占してたからってのもあるけど、本格的な理由はあれかな」
「あれ?」
「昔パパに頼んでヒーローショーのイベントに連れていってもらったことがあるの。その時に見たジャスティスソードと、…体験したことが忘れられなくて」
「体験って握手とか?」
進がそう聞くと紗奈は少し俯いて黙り込んだ。どうしたのだろう、そう進が思っていると紗奈は顔を上げて真剣な表情で進に聞いた。
「進くんは覚えてない?」
「へ?」
「…なんてね、今のは忘れて。それよりそろそろ悪郎の方も終わったかもよ、一緒に見に行ってみようよ」
紗奈は寂し気な雰囲気になった空気感を、不自然なまでに表情をパッと明るくさせて話題を切り上げた。進は紗奈の言う「覚えてない?」の問いかけが頭から離れなかった。それが意味することが何なのか、紗奈が何を期待してそう聞いたのか、もやもやとした疑問がぐるぐると渦巻いていた。




