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悪郎の幸福論  作者: ま行


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家族

 悪郎は剛輔に案内されて如月家の和室に通された。脚付きの将棋盤に座布団、ひじ掛けも用意されている本格的な部屋であった。


「紗奈さんからお伺いしましたが、剛輔さんは棋士を目指されていたとか?」

「そうだよ。結局は下手の横好きだったけどねえ」

「そんなことは…」

「いや、こればかりははっきりと言っておくよ。私には情熱はあっても実力はなかった。勝負事というのは実にシビアでね、熱と才覚、そしてどんな状況でも十全に発揮できる実力が伴わなければならない。勝負の世界に身を置く人と比べるのは烏滸がましいのさ」

「…思慮不足でした。申し訳ありません」

「ああ、いやいやこちらこそ申し訳ない。いかんな、年を取るとどうも説教臭くなってしまいがちだ。さあ、早速やろうじゃないか」


 静かな和室に小気味よい音が響く、次の手を思案しあう二人の間には、先ほどまで弾んでいた会話は一切なくなり、真剣な表情をして向かい合うだけとなる。


 剛輔の手筋と紗奈の手筋は似ていると悪郎は思った。紗奈に教えていたのだから当然かとも思ったが、どこかそれ以外のつながりを感じていた。


 それが何なのかと悪郎は考える。教育、模倣、指導方法、どれもしっくりとこない、しかし確かに剛輔の手筋には紗奈を感じた。逆もまた然りだ。静寂の中にパチッパチッと駒の音が鳴る中、突如として悪郎が発言した。


「…剛輔さんにとって家族とは何ですか?」

「えっ?」

「えっ?」


 思わず聞き返す剛輔に悪郎も同様に聞き返した。悪郎の発言は思わず出てきたもので、言おうとして出てきたものではなかった。どうしてこんなことを言ってしまったのか、悪郎自身が非常に戸惑った。


「…家族か、中々難しい質問をするね」

「すみません。突拍子もなくこんな質問を…」

「なに構わんさ、こうした語らいのツールとしても役に立つのが将棋だ。気になることがあったらどんどん聞いてきなさい」

「しかしそれでは盤面がおろそかになるのでは?」

「さてそれはどうかな?少なくとも今は私が優勢だよ」


 剛輔の言葉通り、悪郎は現在劣勢であった。勝負事には絶対的な自信があったのに、そんな悪郎のプライドは紗奈との敗戦からグラグラと揺らぎ始めていた。自分は常に最適解を選んでいるはずだ、しかしそれ以上に勝負を決する何かがある。悪郎はそれが知りたかった。


 しかし自分で聞いておいてそれに家族は関係しないだろうと悪郎は思った。だからこそどうして自分からそんな言葉が出てきたのかと戸惑った。


「さて、家族、家族か…。悪郎くんはご家庭に何か不満や悩みがあるのかな?」

「いいえ。そういうのはありません」


 そもそも設定上あるという体で話しているが、悪郎の家族はすべてが作り上げた虚構である。しかしこれでは実感を込めて話を合わせられないと思い、悪郎は自分を進に置き換えて話を進めることにした。


「共に理解ある親ですし、やりたいことがあれば応援してくれます。価値観を押し付けることもなく、寄り添ってくれていますよ」


 進の両親、登も歩美も十分進に寄り添っていたと悪郎は感じていた。問題がなかったといえばそんなことはないだろうが、進が心を開いてからは一貫して味方になってくれていた。


 こう答えておけば問題はないだろう。悪郎はそう思ったが剛輔が言った。


「悪郎くん。君の今の話にはあまりに現実味がないよ。作っているのか隠しているのか、どちらにせよ君の言葉ではないのは確かだね」


 その的を得た指摘に悪郎は驚いた。


「…どうしてそう思うんですか?」

「ああ、勘違いしないでくれよ?隠したいのなら言わなくてもいいんだ。悩みや不満がなさそうなのは本当みたいだし、問題がないのならそれでいい。君の気分を害したい気はさらさらないからね」

「…では僕のことは一旦置いておいて忘れてください。どうして嘘だと見抜けたんですか?」


 悪郎は剛輔に作り話が通用しないことを認め、今度は見抜けた理由を聞いた。自分の態度に不自然なところはなかったはずだ、そこから判明したわけではないという確信があった。


「家族っていうのはね、これが正しいって模範解答はないのさ。特に他者から見て完璧に思える家族ほど、どこか無理をしていたり、何かを犠牲にしていたりする。君の話は美辞麗句が過ぎたね」

「なるほど。しかし模範解答がないのなら、僕の言ったような家族像があってもおかしくないのでは?」

「勿論それはその通りだろう。子どものやることをすべて肯定できて、常に応援をし、本人を尊重し続けられる家族の形もあるだろうさ。だけど私は、その完璧さには絶対にどこか綻びがあると思うよ」

「何故ですか?」

「私たちはどんなに仲良くできても、同じコミュニティで暮らす以上、結局はエゴを押し付けあうからさ。こうなってほしい、そうでありたい、こうしてほしい。家族というのは、そんなエゴのぶつけ合いを許容したり、時には反発し合う関係性だと私は思うね」

「エゴの許容と反発ですか…」


 悪郎は剛輔の言葉を呟いて繰り返した。そんなことをすれば喧嘩や言い争いが始まり、理想的な関係からはむしろ遠ざかるのではないか、そう思ったからだ。


 しかしそう考えた時、悪郎には進の顔が思い浮かんだ。血のつながりはなく、悪魔とその契約者の関係性にすぎないはずが、どうしてか進の顔が思い浮かんだのだ。


「さあ、それはそれとして次の手はあるかな?」

「えっ?あっ!」


 盤面に目を向けた悪郎は自分が詰んでいることに気が付いた。またしても負けた。しかし悪郎に紗奈に負けた時ほどの悔しさはなく、逆に何故かすがすがしい気持ちがあることが不思議だった。




 その後もう一度指してみても悪郎は負けた。雑談をせず、本気でやったのにも関わらずに負けた。実力差は明確かと思われたが、対局を終えてから剛輔は言った。


「強いね悪郎くん。多分私なんかよりずっと強い」

「え?いや、僕が二度負けましたよね?」

「今回はね。もう幾度か対局を続けたら恐らく私は手も足も出なくなるだろう」

「…お言葉ですが、僕にはとてもそうなるとは思えないのですが」


 剛輔の言葉を信じられない悪郎は疑問を呈する。しかし剛輔はそれを否定してきっぱりと断言した。


「いや間違いなくそうなるだろう。恐らく君は私より多くの最適解を知っている。そうだね、こう例えるのは失礼かもしれないが、学習しきったAIとでも言ったところか。常に最適解を導きだそうとしている」

「それができているのなら僕が勝っているのでは?」

「ああ、だから回数を重ねれば私は手の内がなくなり負けるだろう。今のところ私や紗奈が勝てている理由はね、君が私たちに慣れていないからだね」

「な、慣れ?」


 それは悪郎が想定していた答えとはまるで違っていて、理解しがたい答えだった。悪魔として活動していた自分が人慣れしていないと言われても信じられなかった。


「慣れと言われましても…」

「君は十全に力を発揮できないのは、遠慮があるからだ。どこか一歩引いてしまっている、だから気づかぬ内に手を抜いてしまっているんだ。私には君が、どこまで踏み込んでいいのか迷っているように見えるよ、何か理由は思い当たる節はあるかな?」


 踏み込んでいいのかの迷い、それは悪郎には気が付くことのできない真実だった。それは種族の違いという根本的な問題ではなく、紗奈が悪郎にとって初めてできた人間の友人だからこその迷いだった。


 必然的に友人である紗奈の父親、剛輔相手にも無意識のまま遠慮をしてしまっていた。完膚なきまで勝つのではなく、いつの間にか接待や忖度するように手を抜いてしまっていた。


 要するに悪郎は、人付き合いに不慣れではなく、友達付き合いというものに不慣れであったのだ。それもそのはずで悪魔に人間の友人は必要がない、普通の悪魔は人間をただの燃料としか見ていない、一方的な関係性では友情は成立しない。


 ようやく悪郎は自分が負けた理由を知ることができた。少々恥ずかしながらも悪郎は思い当たる節を口にした。


「実は…、少々恥ずかしいのですが、友達が少ないんです僕。それが理由かもしれません」

「はははっ、恥ずかしいことはないさ。事情は人それぞれだ。折角紗奈と友達になれたんだ、あの子でよければ慣れる練習をしてみなさい。親のひいき目だが、よく気が利く子だよ」

「それはもう、人柄は申し分ないと知っています」


 剛輔はその答えを聞いて悪郎に微笑みかけた。自分では気づけぬことに気が付けたことも収穫であったが、もっと大きな発見があった。


 悪郎は自分がなぜ家族について剛輔に聞いたのかが分かった。自分は進のことを家族のような存在に感じ始めている。進だけではなく、佐久間家の人のこともだ。それは悪郎としてはいいことに思えたが、悪魔としては最悪の状況であった。

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