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悪郎の幸福論  作者: ま行


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戸惑い

「なあ、本当に行く?」

「お前ここまで来てそれはないだろ。むしろここで帰る方が失礼にあたるだろ」


 紗奈の家、つまりは如月家の目の前まで来てから進が怖気づいたので、それに呆れた悪郎が諭す。教えてもらった住所に「如月」と書かれた表札を見て、いよいよ本当に来てしまったという実感が進を尻込みさせた。


「まあいい、帰るなら帰れ。俺が何とか言い訳しておいてやる」

「ううう、いや、行くよ。確かにここまで来て帰る方が失礼だ。約束もしてるんだし」

「そう言ってくれてよかった。どうせ呼び鈴を鳴らすかどうかでもう一悶着あると思ったからもうすでに鳴らしておいたからな」

「ちょっ!?バカか?バカなんだな!?」


 すでにスピーカー越しに紗奈の声が聞こえてきていた。慌てる時間も抗議する間も与えない悪郎の所業に進の頭は一瞬で茹だる、しかし次の瞬間には別の理由で進の頭と顔は茹だって真っ赤になっていた。


「いらっしゃい二人とも!待ってたよ。さ、上がって」

「お邪魔します。あ、紗奈、これ大したものじゃあないが家族で食べてくれ」

「え?わっ、これ有名なお菓子じゃん。手土産なんて、そんな気を使わなくていいのに」

「いいや、お父上の貴重な休日の時間を割いてもらうんだ。礼を失する訳にはいかん」

「はー悪郎は真面目だねえ。大人より大人らしいんじゃない?」

「まさか。俺なんてもし社会に出たとしても上手くやっていけない方だろうさ。まあそんな先の話はいい、今日はありがたくお邪魔させてもらうぞ」

「はいはい。ほらっ進くんも入って入って」

「あっはい。お邪魔します」


 紗奈と悪郎のやり取りしている間、進はぼーっと紗奈の姿に見とれていた。いつも見ている制服姿ではない私服姿、それを見ること自体が珍しく、それも女子となると輪をかけて縁がない。


 その特別感に進の鼓動は高鳴る、常に魅力的な紗奈の姿が殊更魅力的に見えた。学校では見ないヘアアレンジをしているのも特別感を強めていた。長い髪を緩めにふわふわとまとめられたおさげの三つ編みが、より愛らしさを醸し出していた。


 靴を脱ぎ用意されたスリッパに履き替える。ドキドキとしてしまうのでなるべく紗奈を視界に捉えないようにしようとする進に対して、悪郎はさらりと紗奈に言う。


「紗奈、髪よく似合ってるな。自分でやったのか?」

「本当?嬉しいな。そうだよ、たまたま動画で見かけて可愛かったから私もやってみようかなって思って」

「学校では下しているか一つにまとめるかのどちらかだからな。校則があるから仕方がないが」

「あんまり派手なことはできないからね。でも休日くらいはいいでしょ?」

「勿論。可愛いし何より本当によく似合っている。進、お前もそう思うだろ?」

「あひぇっ!?そ、そっすね、うん」


 急に話を振られた進は素っ頓狂な声を上げた。どうして悪郎はそんなにもスラスラと感想を言えるんだ、容姿をほめる言葉なんてありすぎて一つに絞れない、頭の中で様々な言葉と感情が渦巻いている今の進には、同調することだけで精一杯だった。


「ふふっありがと。でもそんな悪郎みたいに無理してお世辞なんて言わなくてもいいんだよ?」

「お世辞じゃないよっ!」


 今度は急に大声を出す。進はぽかんとする紗奈に俯いて言葉を続けた。


「あ、悪郎みたいに、そんな色々と言葉は出てこないけど、ぼ、僕も、ちゃんと本心から似合ってると思ってるよ」

「えっ、あ、う、うん。そ、そう?な、なんか照れくさいね。あ、あはは」


 進も紗奈も顔を真っ赤に染めて俯いてしまった。悪郎が「しまった。やりすぎたかな」と思っていると、進の大声を聞きつけた一人の男性が廊下に顔を出した。


「紗奈どうした?お友達が来たんじゃないのか?そんなとこにいないで早く案内してあげなさい」

「あっパパ」


 紗奈が男性をパパと呼んだことで、進と悪郎の二人にもその関係性が伝わった。紗奈の父親は、彫りが深く濃い顔立ちと年齢を感じさせない肌つやに整えられた髪型、ひげは綺麗に剃られていて自宅でもかっちりとした装いをしている。


「これが如月家の家長か…」


 進はごくりと唾を飲み込んだ。まるで俳優のようなイケメンぶりを見て思わずたじろぐ。悪郎と紗奈、そして紗奈の父親、三人が集まった顔面偏差値の暴力空間で進が肩身を狭くしていると、紗奈の父親が気さくに話しかけてきた。


「こんにちは。初めましてこの子の父親の剛輔ごうすけです。君たちのことは娘からよく聞いているよ。えっと…」

「ご挨拶が遅れて申し訳ございません。私は佐久間悪郎、こちらが佐久間進。共々紗奈さんには学校でいつもお世話になっていまして、特に進の方は、彼女の力なくしては今も学校に通えていなかったかもしれません。身内として感謝申し上げます」


 悪郎が頭を下げるのに合わせて進も頭を下げた。


「これはまたご丁寧な挨拶をありがとう。話に聞いていた通り、悪郎くんは中々ユニークな子だね。…本当に紗奈と同い年かい?」

「挨拶の場ではしっかりとするようにと両親からの教えでして。各地を飛び回り多様な国籍の方と取引する仕事をしていますので、私には想像しかつきませんが第一印象をよく見せることを重視しているのではないかと思います」

「そうか、確か君は今ご両親の海外出張の都合で彼の家にいるのだったかな?」

「はい。ですからあまり馴染みのない場所に来て早々、紗奈さんが優しく声をかけてくださったのは僥倖でした。おかげでよそ者ですが何とかやっていけています」


 ここまでのやり取りを聞いていて、とてもではないが自分たちと同い年の人間の会話ではないだろうと進は思う。少なくとも進が同じことをすれば、様にならないお遊戯会の一コマとなるだろう。


 しかし悪郎の立ち振る舞いは実に堂に入っており様になっていた。作った設定を上手く活かして、大人びた対応ができる理由の体裁まで取り繕っている。その巧みな話術の口車は久々に見た悪郎の悪魔らしさであった。


 悪郎は剛輔にあっという間に取り入っていて、二人の間の会話は実に盛り上がっていた。全然入っていけない、そう呆然と立ち尽くす進は、服の袖をくいくいと引っ張られているのに気が付いた。引っ張っていた人物は紗奈だった。進に顔を寄せて耳打ちをする。


「ねえ、パパと悪郎、なんだかやけに話が合うね」


 紗奈の感想は至極全うであり、悪魔の立場からすると、子どもに合わせるよりも大人に合わせる方がずっと機会も多いし慣れていた。だからこそ、ここぞとばかりに悪郎は遺憾なくその力を発揮していた。


「正直あれに混ざりたくはないなあ。進くんはどう?」

「僕も無理。あれができるのは悪郎だけ」

「だよね。よしじゃあ…」


 紗奈は気合を入れて悪郎と剛輔の会話に割って入った。


「ねえ、悪郎はパパから将棋を教わりに来たんでしょ?なんか気も合うみたいだし、このままここで立ち話するよりも教わりながらやったらどう?」

「ああ、そういえばそんな話だったね。どうだね悪郎くん?」

「是非。ご教授お願いいたします」

「二人の邪魔しちゃ悪いから、私と進くんは部屋で遊んで待ってるね。それでいい悪郎?」


 悪郎と剛輔の許可を取り付けてきた紗奈は、二人の背を軽く押してから進の元へ戻ってきた。そして手を取ると「行こう」と言って引っ張る。


「ちょっ、どこ行くの?」

「私の部屋。二人の対局の様子見てても多分つまんないよ、あの会議じみた会話も聞いてられないし」

「うぇっ!?如月の部屋!?」

「うん。あれ、なんかまずかった?一応片づけておいたから汚くはないと思うんだけど…」

「そういうことじゃなくて…、その、いいの?」

「いいよ!進くんに見せたいものもあったんだあ。ほら、早く早く」


 進は紗奈に手を引かれるままに自室へと連れていかれた。同級生の友人の部屋、そして何より女子の部屋へ入るのは進にとって初めての経験だった。しかもその相手は学校一の高嶺の花である紗奈、否応なしに緊張感は高まっていった。

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