別の芽
如月家、紗奈の自室。ペットの柴犬まめまるを優しく撫でながら紗奈は話しかける。
「まめまる、私友達ができたんだ。新しく二人も、うらやましいでしょ?」
まめまるは紗奈の問いかけに鼻をふんと鳴らした。そんな素気のない返事にも、紗奈は微笑んでまめまるを撫で続ける。
「あなたにも会わせてあげたいなあ。名前はね、佐久間進くんと悪郎くん。悪郎の方は何だか言い争いしている内にため口になっちゃった。すっごく大人びた見た目してるのに、ジャスティスソードの話をする時だけはすごく子どもっぽいんだよ?」
紗奈は悪郎がムキになって熱く語る姿を思い出してクスッと笑った。そんな紗奈の顔を、まめまるはじっと見つめていた。
「私もそうだろって言いたいの?」
そう問いかけるとまめまるはそっぽを向いた。まるでこちらの言葉がすべて分かっているかのような仕草をするので、紗奈はいつもあまり恥ずかしいことは言わないようにと心がけていた。
まめまるは撫でられ飽きたのか、扉を引っ搔いて紗奈の部屋から出たがった。開けて外へ出すと、まめまるは階段をどたどたと駆け下りていった。いつも唐突に飽きることがあるので寂しくは思わなかった。
一人になった部屋で、紗奈は進のことを考えていた。紗奈から見る進は、時折すごく達観したように見えることがあった。そして心の距離や壁のようなものを感じてしまうこともあった。それがいじめによる影響なのか、他に原因があるのかと心配をしていた。
進がクラスから浮いていることは紗奈も感じ取っていた。皆積極的に話しかけたがらない、関わり合いも最小限で済ませようとしていた。後ろめたさがあるのだろうと承知していたが、そんな態度を勝手なものだと紗奈は憤る。
しかし同時に、自分に憤れる道理はあるのかとも思っていた。紗奈は今も自分がいじめの原因になってしまったことを悔いていた。それと同時に、姿を消してしまった小坂拓巳についてもわだかまりを残したままになっていた。
紗奈は拓巳から何度も言い寄られていた。最初はやんわりと断り、徐々に直接的に、最後にはハッキリとした意思表示をしても、なおも拓巳は紗奈に固執していた。
どうしてそこまでしてと紗奈はそう思っていた。紗奈と拓巳にそれほど接点はない、話しかけられたことは何度もあったが、紗奈から拓巳に話しかけることはほぼなかった。
意図的に避けていただとか、生理的に不快だとか、そういった類の理由ではなく。単純に紗奈から拓巳に話しかける理由と必要性があまりなかった。接点の薄い人同士なら大体はその程度の関係性に落ち着く。
なぜ拓巳が頑なに自分と恋仲になろうとしていたのか、紗奈にとってそれはまったくの理解不能な好意であった。断っているというのに、相手が強引であればあるほど紗奈の関心はなくなっていった。
拓巳の性格や人柄について理解しておらず、まさか所有欲のみで拓巳が紗奈に迫っていたいたなどは本人には知る由もなかった。そしてその拓巳に対する無理解が、反抗に対して過剰に反応する拓巳の独占欲を刺激してしまった。
紗奈に本質的には問題や原因はない。しかし紗奈が拓巳にいじめの理由を与え過激化させてしまっていた。責任はすべて拓巳といじめに関わっていたものたちにある、それでも自分にも落ち度があったのではないかと、知らず知らずのうちに理由を探してしまっていた。
「そっか、私も進くんに対して引け目を感じてたんだ。なんだ、私も他の人と同じだったんだ…」
自分が周囲に憤ることができないのは、自分も同類であったからだと思い至った。悪郎との距離はすぐに縮めることができたのに、進との距離がなかなか埋まらず壁ができていると感じる理由はそこにあった。
「人付き合いって難しいんだなあ…、仲良くなりたいと思っている人相手だと特に…」
紗奈がそう独り言を呟くと、唐突に自室の扉がノックされた。紗奈が返事をすると、紗奈の兄「如月 俊輔」の声が返ってくる。
「紗奈、今いいか?」
「いいよ。何?」
扉を開けて俊輔を部屋の中に入れる、両手に紙袋を持っていて、俊輔は部屋に入ると机の上にそれを置いた。そこそこ重量があったのか「ふぅ」と一息つく兄を見て紗奈が聞いた。
「何これ?」
「ジャスティスソードをコミカライズした単行本だ。お前確かあの作品好きだったろ?」
「うん。そもそもお兄ちゃんが見てたから私も見始めたんだよ」
「まさかお前の方がどっぷり沼にハマるとは思わなかったけどな。まあそれはいいんだ。俺のバイト先の人に熱狂的なファンがいてな、関連作品の本は全部集めてるって聞いて借りてきた。読みたいだろ?」
「読みたい!」
「その中から何冊か取っていいぞ、全部はダメだ俺も読むからな。後、借り物だから大切に扱うようにな」
「わーい!ありがとうお兄ちゃん!」
紗奈は紙袋の中身を取り出して吟味し始めた。何十冊か読みたい本を取り分けてから、紙袋に本を戻して俊輔に返した。
「じゃあな。俺に感謝してありがたく読みたまえ」
「なんでお兄ちゃんがそこまで偉ぶれるのか分からないけど、ジャスティスソードに免じて許してあげるね」
「んまーっまったく生意気な子ね、兄の顔が見てみたいわ。きっと超イケメンで気が利く素敵な人よ」
「分かったから出てって」
おどける兄を部屋から追い出してから紗奈は単行本を手に取った。わくわくと高ぶる気持ちを抑えながらベッドに腰掛けると「ブウゥーッ」という爆音が鳴って立ち上がる。
紗奈が本を物色している隙を狙って、俊輔がベッドにブーブークッションを仕掛けていた。きっと自分が出て行ったらすぐに読みたがるだろうと、紗奈の行動まできっちりと予測されていた。
扉の向こうから爆笑する兄の声が聞こえてきて、紗奈は部屋を飛び出した。そして笑いながら階段を駆け下りる俊輔を、怒鳴り声を上げながら追いかけるのだった。
「ってことがあったんだよ!?本当に最低じゃない!?」
「中々愉快な兄貴だな」
体育の授業、グラウンドで組を作りサッカーボールのパスを練習しながら、紗奈は進と悪郎に昨夜の出来事を話した。悪郎の返答にぷくっと頬を膨らませた紗奈は、ボールを進に回しながら言った。
「愉快の一言で済むと思う?本当に子どもっぽいんだから!」
苦笑いをしながらボールを受け取った進は、悪郎に回した。余計な力が入って見当違いの場所へボールが飛んでも、悪郎はそれを難なく処理する。
「悪郎も似たようなもんだよ。僕が手塩にかけて育てた兵士たちも、無情にも蹂躙されたから」
「人聞きの悪い言い方はよせよ、あれは将に才能がなかったから起きた悲劇だ。指揮官がもっとちゃんとしてれば助かったかもしれない命なのになあ」
「何々?ゲームの話?」
「チェスだよ。悪郎が得意なんだ、嫌みなくらいに」
「へえ悪郎ってチェスできるんだ。勝負事に強そうなのはイメージ通りだけど、ボードゲームとかやるんだね」
紗奈のパスを受け取った悪郎は、華麗な足さばきでボールを蹴り上げると、見事なリフティングを披露した。そして器用にもリフティングをしながら話を続ける。
「俺は基本的になんでもできる。紗奈は何か得意なボードゲームはないか?」
「うーん…、ああ将棋なら指せるよ。パパが好きだから教わったことある」
「いいな!やろう!」
「ようし!受けて立つよ!」
進は勝負の後の様子が容易に想像できた。紗奈に「やめておいたら?」と言おうとしたが、どうせなら紗奈にも自分と同じ気持ちを味わわせてやろう、そんないたずらごころが働いて黙っておくことにした。
三人が仲良さげにしているところを、葉月はほほえましく見ていた。しかし同じ組でボールを蹴る「寺沢 美緒」は面白くなさそうにそれを見ていた。
「ねえ葉月、あの三人ずいぶん仲良さそうよね。何か接点でもあるの?」
「あ、うん。趣味が合うんだって」
「ふうん…。趣味、ね」
あまり穏やかではない空気を感じ取った葉月は首を傾げた。しかしどうしたのと事情を聞く前に美緒の雰囲気は元に戻った。不穏の芽が少しずつ育ち始めていることを、今は誰も分かっていなかった。




