気づき
休日。進と悪郎は部屋でゴロゴロとくつろいでいた。部活動に所属してもいない、遊びに誘うような友人もいない、進の休日の予定は悪郎が来る前からゴロゴロだらだらと一日中ゲームをして終えることが多かった。
悪郎が組んだ毎日のトレーニングメニューはあるものの、悪郎も一緒になって取り組むようになってからは早々に終えてしまうことが多かった。何度もメニューを見直して負荷のかけ方を調節したが、ハードなことばかりさせても偏りが出てしまう。
苦しいし、辛いことは辛いのだが、どんなトレーニングでも二人でやっていると乗り越えることができた。特に励まし合っている訳でもないのに不思議だなと二人共それぞれがそう思っていた。
進の肉体は俄然引き締まり、悪郎によって考え抜かれた指導のおかげですくすくと体は成長していた。これで健全な肉体は完璧に取り戻したと言えた。
しかしトレーニングメニューを苦なくこなせるようになったせいで、学校に行かない休日はぽっかりと時間が空いてしまうことになった。進は趣味のゲームをして、悪郎は進が収集したジャスティスソード特集が掲載された雑誌を読みふけって時間を潰していた。
「…ふと思ったんだが」
「んー?」
悪郎が声をかけてきたタイミングで、進はゲームを一時停止しお茶を口にした。ちょうど休憩しようかと思っていたからだ。
「進は紗奈のことをどう思っているんだ?あの外見はお前好みではないか?」
進はとっさに顔を避けてゲーム機にかからないようにしてから、口に含んだままのお茶をブーッと吹き出した。我ながら見事な危機回避だと自画自賛しながら、進はゲホゲホと盛大にむせた。
「お、お前、急になんてこと聞くんだよ…」
「どうした?そう不思議なことでもないだろう。悪魔から見ても紗奈の外見は、好ましく魅力的に映る。それだけでなく性格も申し分ない。紗奈にはギスギスとした裏表がない、ああいう性格に嘘がないのは珍しいぞ」
「悪郎がそこまで人を褒めるのも珍しいな」
「そうか?…まあそうかもしれん。だが事実だ。紗奈はいい子だぞ、少しくらい懸想をしてもおかしくないと思うが」
進は吹き出したお茶で汚れた床を拭きながら悪郎に言った。
「…別に僕に限った話しじゃないよ。皆一度は如月を好きになると思う」
誰もが一度、紗奈の外見と人柄に惚れ込むことは進も分かっていた。実際に共通の話題が見つかった時は嬉しかったし、これで仲良くなれるかもと期待した。高望みであることは重々承知の上で、より深い仲になれる可能性についても考えた。
だが、紗奈にはまったく非がないとはいえ、進がいじめられる要因となったのは紗奈との交流だった。そのことがいまだ頭の片隅に残っていて、進の気持ちにブレーキをかけていた。
「悪郎の言う通り如月のことは好ましく思うよ。そりゃ、恋愛的な感情だって少しくらいある。趣味が合うってだけでなく、明るくて元気で可愛くて、それにヒーローみたいに僕を助けようとしてくれた。でもさ、悪郎にこう言うのは卑怯だって思うけど、僕の命は卒業の日までだろ?…もし踏み込めたとして無駄になるだけだ」
それを言うことがどれだけ卑怯であるかを進は自覚していた。それでも自分の気持ちに嘘をつかずに話すことを優先した。それを聞いた悪郎は「そうか」と一言呟いてから進の部屋から出ていってしまった。
「…馬鹿だよなほんと」
進は自分の都合で悪郎を呼び寄せた。自分をいじめた相手に制裁を与えるために悪魔の力を使った。やり方は想像通りのものではなかったが、悪郎は進の願いを「殺害」という乱暴な方法ではなく「更正」という形で叶えた。
悪魔を呼び出したのは自分、願望を遂げるために契約したのは自分、自分を含めて人が死ぬことを深く考えなかったのも自分。何もかもが自業自得であると進は思っていた。
「勝手なことばかりだな僕。全員死んじゃえばいいって、本当に浅はかにそう考えていた。皆にも家族がいて、それぞれに事情があって、考え方だって違う。ああ、そうか。結局皆のことを人間扱いしていなかったのは僕も同じだったんだな…」
進は葉月から謝罪された時「同じ人間だ」と叫んだ。それは当然自分だけではなく周りの人にも当てはまることであり、そう主張をするのなら自分もそれを受け入れて、相手の立場になって考えなければならないことだったと進は思った。
「短絡的だな僕って…。それで全部失うんだから、世の中よくできてるよ」
もやもやとする気持ちに答えは出ず、進はベッドの上にバタッと倒れ込んだ。大きなため息を枕でかき消した。このまま嫌な考えに引きずり込まれてしまいたくない、進はジタバタと手足を動かしてもがいた。
一方悪郎はというと、進の部屋を出てから一人佐久間家のリビングで物思いにふけっていた。しかし悩みの内容は進のものとはまったく異なり、諦念や反省という様子は微塵もなかった。
「あれ?悪郎くん、どうしたの一人で」
「奏さん。おかえりなさい、アルバイトお疲れ様です」
悪郎に声をかけたのは奏だった。アルバイトを終えて帰宅してきたところで、一人真剣な目で虚空を見つめる悪郎を見かけ声をかけた。
「ただいま、ありがと。進は?」
「部屋にいます。俺はちょっと一人で考えごとをしたくて」
「ふーん…、よしっ!」
よしと気を吐いた奏は悪郎の対面に座った。
「悩みごとがあるならお姉さんが聞いてあげよう。勿論、悪郎くんがよかったらだけどね」
「そんな、寧ろいいんですか?」
「うん。私に話しても解決しないかもだけどさ、聞いてあげることって大切でしょ?…私、もっと進の話しを聞いてあげられたらよかったって思ってるの。自分のことで手一杯なんてただの言い訳、面倒だろうがなんだろうがちゃんと寄り添って聞いてあげるべきだった。家族、なんだからさ」
奏の言葉には多分に後悔の念も込められていた。進の問題を通じて、自分の態度を改めることができることは立派だと悪郎は思った。奏も思春期真っ盛りであり、振り返って己を見つめ直すことは難しい時期だった。
「…では聞いてもらってもいいですか?」
「任せてよ」
悪郎に問われ奏はドンと胸を叩いた。
「恋愛というものは成就しないと分かっていて諦めてしまうものなのでしょうか?」
「ありゃ、意外な相談だね。悪郎くん、学校で好きな子でもできたの?」
「まあそんなところです」
「じゃあ成就しないっていうのは、最終的には離れ離れになっちゃうからか」
「そうですね。だから無駄なのではないか、と…」
奏の言う離れ離れと悪郎の意味するものは違っている。奏は両親が帰国した時に、悪郎は元の学校に戻るので遠くへ離れて行ってしまうことだと捉えていた。悪郎の考える離れ離れは、進がこの世からおさらばしてしまうことを意味している。
齟齬はあれど大筋は同じだろうと、悪郎は敢えて訂正することもなく自分の身に置き換えて奏に相談した。
「うーん、恋愛かあ…。アドバイスできる程経験もないなあ」
「そうですか。煩わせてしまいごめんなさい」
「あっでもね、一つ言えることはあるよ」
「何ですか?」
「理屈とか難しいこととか、そういうのを考えないのが恋愛じゃないかな。相手とどうなるのか先のことが分かってて恋する人はいないと思うよ、もしそうなら別れ話とかもないでしょ?」
先が分かっていて恋はしない。その言葉が悪郎の中にストンと落ちた気がした。例え終わりが見えていたとしても、それを理由に諦める必要はないのだと悪郎はそう受け取った。
「ありがとうございます奏さん。胸のつかえが取れました」
「そう?それならよかった」
悪郎はもう一度奏に礼を言ってその場を立ち去った。浮かれた足取りで進に諦めることはないと伝えに行こうとする。
惜しむらくは、悪郎が進の気持ちも紗奈の気持ちも考慮していないことと、恋愛感情のデリケートさにまったく理解がないことである。今の悪郎を端的に表すなら「余計なお世話」にほかならない。
進の心を育むのに恋愛も重要だろうと思いついたことであったが、始まってすらいないことに気を揉む悪郎には、失敗する未来しか待っていなかった。




