決着
進への謝罪から端を発した大騒動は、とてもではないが一朝一夕に解決が図れるものではなく。その日は一限だけ授業内容が自習に変わり、後は計画通りに授業が行われた。
何事もなかったかのようにクラスに混ざって授業を受けていた進であったが、やはりどこか異物感があるのは否めなく、その存在はふわふわと浮ついたものとなっていた。それでも進にとっては、やっと日常を取り戻したような実感があった。
しかし気にかかることもあった。それはずっと拓巳の姿を見ていないことだった。進はそれとなくクラスメイトの一人に尋ねてみたが、その人物も分からないとだけ答えた。
居ないのならそれはそれでよく、会いたくもないのでありがたい話ではあったが、我が物顔で教室に居座っていたという印象が強く残っていて、進はどうにも落ち着かなかった。
一方悪郎はというと、進の授業中、暇な時間を利用して学校から抜け出し、小坂家へ拓巳の様子を見に向かっていた。到着すると悪郎の予想通り小坂家に人の気配は一切なく、家の中には誰もいなかった。
玄関に降り立った悪郎は、地面に手をついて魔法を発動させた。足取りを追跡する効果のあるもので、小坂家の住人がどこへ向かったのかを点線が示す。それを辿っていくと、小坂家が県外にまで出たことが分かった。
辿り着いた先にあったのは大病院で、拓巳は両親に連れられそこで検査を受けていた。しかしどれだけ検査を行ったとしても拓巳の体に異常は一つも見つからないと悪郎は分かっていた。
虚ろな目で何もない空間をじっと見つめる拓巳、それを見て悪郎はぼそりと呟いた。
「そうか…、お前は結局最後までそのままだったんだな」
悪郎が仕掛けた魔法には、最後の最後で抜け道が用意されていた。それはもしも拓巳が改心したらそこで夢から覚めて、夢の中で体験したすべての出来事を忘れてしまうというもの。悪魔としては甘すぎる措置が施されていた。
抜け殻のようになるまで魂がすり減り、枯れ果てた姿になった拓巳を見ると、悪郎には自分では説明がつかない徒労感と無力感がわいた。拓巳のことを見る悪郎の目は、奇しくも今の拓巳の目と同じ様相を呈していた。
「…傷ついた魂は時間が癒やしてくれるさ、それは恐らく死ぬほど辛いだろうし、目処というものはない。今のお前はもはや生きた屍も同然だ。これからはお前も苦しむが、お前の周りの人間はもっと苦しむだろう。死にはしなかったが惨たらしい結果に終わったな」
小坂拓巳の日常は失われ、これから先どうなるのか分からない暗中模索の日々が待っている。もしくはそれが、死よりも辛い罰であるかもしれないと悪郎は思った。
今まで散々他者を自分の都合で虐げてきた拓巳は、多分に他者の手を借りなければ生きていけない傷を負った。悪因悪果、すべては身から出た錆である。
「悪いが悪魔としても空っぽになったお前の魂には興味がない。お前が改心し別の道を選んだのなら俺も興味がわいたかも知れないが、そうはならなかった。これでこの話はおしまいだ。それと悪魔らしく最悪の贈り物をくれてやろう」
悪郎は拓巳の肩に手を置いて耳元でささやいた。
「さあ、目を覚ませ」
その瞬間拓巳の目に光が戻り、苦悶に顔を歪ませて甲高い奇声を上げた。叫びながら暴れる拓巳のことを両親と病院のスタッフが必死に取り押さえる、拓巳は中学生の少年にしてはなまじ体格がいいので、本能のままに暴れるのを取り押さえるのには苦労していた。
それを見届けた後悪郎は静かにその場を立ち去った。最後にかけた魔法は覚醒の魔法、自己防衛のために閉ざした心を無理やり開かせ、見たくない現実から逸らした目を再び見据えさせるものであった。
これから拓巳は現実と向き合いながら、ゆっくりと傷ついた心を回復させていかなければならない。そして悪郎は、一時でも自己逃避することを許さなかった。夢で体験した記憶を呼び覚まさせ、傷跡を深く抉り塩を塗り込んだ。
もはや拓巳の叫び声も主張も、進や他のクラスメイトに届くことはない。力と暴力によって勝手気ままに生きたものは、それ以上の力と暴力によって誅された。近く拓巳の悪行は白日の元に晒される、自分が手下として従えていた他者の手によって。
それから数日後、学校はいじめの事実があったことを認め進と両親たちを呼び謝罪をした。いじめに関与した生徒たちから聞き取りを行い、その内容が詳細に書かれた資料も公開された。
内容を見た登は怒りに体を震わせ、歩美は涙を流して進のことを抱きしめた。両親は共に何度も進へ謝罪の言葉を口にした。本人が話したがらないので気づきようもないことだが、受けていた仕打ちに気がつくことができなかった自分たちを恥じて謝罪した。
最初こそ進も両親の謝罪に戸惑いが隠せなかったものの、最後には二人に抱きとめられながらぼろぼろと涙を流した。辛く苦しい日々がようやく終わったのだと実感がわきつつあった。
そしてその場で、いじめの主犯格である小坂拓巳が休学する旨が伝えられた。一番に処罰するべき人物であるため、近況を伝えない訳にもいかず、それを聞いた登と歩美は、責任から逃げるのかと憤慨した。
だがそんな両親の怒りをたしなめたのは、他ならぬ拓巳からいじめを受けていた進であった。
「小坂が居ても居なくても僕は学校に戻るつもりだったからもういい。もうそれでいいんだ」
進のその言葉に、二人は冷水を浴びせられたように怒りが収まってしまった。進の言葉は諦念からでた「もういい」という言葉ではない、それを察して進の意見を尊重することに決めた。二人は煮えたぎった頭が冷めると同時に、成長してこんなことが言えるようになったのかと感慨深く思った。
学校との話し合いの中、何度も何度も頭を下げて謝罪していたのは担任教師の杉山であった。いじめを防ぐことができなかった自分の責任について、そしてその後の対応の不適切さを謝罪するものが殆どであったが、その中でも特殊なものがあった。
「こんなことをお願いできる立場にないのは分かっている。しかし頼む、いじめに関わった生徒を許してくれとは言わない、だがどうか、どうかチャンスを与えてやってはくれないだろうか。佐久間に許されるチャンスを与えてあげてほしい」
懸命に頭を下げて願い出たのは、関与した生徒たちを許してほしいという願いであった。杉山は自分の罪を告白し、自分がやったことを素直に証言する生徒たちを相手にしてきて、まだ両者の間には関係改善の余地があると考えていた。
切り捨てるのは簡単だが取り戻すのは難しい。そのことを理解していた杉山は、進が本当の意味でクラスに戻ってこられるようにと願い頭を下げていた。虫がいい話だと知りながらも、恥を忍んで願い出た。
進はその申し出に二つ返事とはいかなかった。されたことを思うと許したいとは到底思えなかったからだった。許すとまでいかなくとも、妥協することはできる。それで十分ではないのかと考えていた。
しかしどうしてもと何度も頭を下げる杉山に、進も根負けして頷いた。すべて丸く収まったとは到底言い難いが、これでようやく進のいじめに関しての決着がつくことになる。
終わってみれば実に呆気のないものであり、謝罪を受けても進の心には何ら変化がなかった。生徒も学校も罪を認め謝罪したが、失った時間は戻ってこず、これから先は深く開いた溝を埋めていかなければならない。
それは困難な道程だろうと進は思った。しかし同時にできなくはないのではとも思った。根拠は悪郎と過ごした日々、生活習慣と健康状態の改善は生半可なものではなかった。今では軽くこなすトレーニングメニューも、最初の内は地獄そのもので、何度もやめたくなった。
だがそれをこなしきって結果を出し、文字通り一回り成長することができた。何事もやってやれないことはない。そのことが進の体と心には染み付いていた。これは終わりではなく始まりであり、進はやっと周回遅れでスタートラインに立っただけである。
決着を見届けた悪郎は胸をなでおろす。進の表情は複雑なまま、雰囲気も明るくはない、だけど悪郎は微笑み心の中で呟いた。
「よかったな進。ここから、ここからだぞ」
現状は解決には程遠い、しかし不思議と悪郎は充足感を感じていた。それは抜け殻になった拓巳を見て抱いた感情とは、まったく別のものであった。




