009
それから数日は特に何もなく過ごしていた。
言われた通り、恭とクラスではそれほど話すこともなく、恭と白倉さんが話している姿もあれから見なかった。
「何か手伝えることはない?」
「助かるけどぉ~、静香ちゃん体は大丈夫?」
「ええ、問題ないわ」
「だったら、先生に頼まれてたこの仕事、代わりにしてもらっていい? 今日中なんだけどぉ」
「これね、やっておく」
「でも、なんか悪いしぃ」
「元々は私の仕事だったんだから、手伝わせて」
白倉さんは、綾先さんのクラス委員の仕事を手伝っていることが多かった。綾先さんに仕事を任せて休んでいたことへの負い目かと思ったが、誰に対してもそんな感じだ。
「なーに、観察してんだよ」
僕はクラスの男子に話しかけられた。
「え? 何を?」
「白倉だよ。まさか綾先じゃないよな」
「別に観察してないよ」
「いいからいいから。白倉ってあのクールさがいいんだよな」
「僕にはさっぱり良さがわからないよ」
クールというより、どことなく冷たい感じがする。皆が嫌がるようなことを率先してするし、思いやりを感じないわけではないが、行動に感情を感じられなかった。
「わかんないかなぁー。あの表情を歪ませたいっていう男の嗜虐感を煽る感じが」
その男子は一人で、にやけていた。
「観察するなら、チャンスを活かさないと駄目だぜ。白倉さん! 俺も手伝うよ!」
彼は白倉さんの元へ駆け寄っていく、そのとき、白倉さんと目があってしまった……。
やはり少し見すぎていただろうか。恭が変なことを言うからだ。
「おーい上守、玲二見てないか」
放課後、廊下で話しかけてきたのは郷矢巻勝。色黒の長髪。玲二のクラスメートでサッカー部のキャプテン。クラス対抗別の運動系イベントでは玲二との黄金コンビで何度か優勝している。
「見てないよ」
「んだよ。あいつどこ行ったんだ」
「もう帰ったんじゃないの?」
「帰るときはお前等一緒だろ」
「最近はそうでもないよ。携帯は?」
「つながんねー」
「あ、いたいた! 上守君」
そこへうちのクラス委員の綾先さんがやってきた。
「上守君。あのね、伝言頼まれたんだけど、教室に来てって」
「誰が?」
「知らない女の子だよ。その子が上守君に話があるって。結構可愛かった!」
「なんだよ上守。すみにおけないな」
「え? 知らないよ」
「ほら、早く~。伝えたからね。ほらほら」
綾先さんに追い払われるようにその場を去った。
正直まったく心当たりがない。女の子に呼び出されるなんて……。
緊張しないと言えば嘘になる。一体何の用だろうか……そしてどんな子なんだろうか……。
遠目に教室を覗いてみたが、誰もいなかった。
そういえば、綾先さんは教室としか言っていなかった。間違えたのだろうか……。
僕は教室に入りしばらく待っていることにした。
……。
…………。
いつの間にか夕日が教室に差し込んでいる。
さすがにそろそろ帰ろうと思ったその時、教室のドアが開いた。
「……」
入ってきたのは、白倉さんだった。一瞬、白倉さんが僕を呼び出したのかと思ったが、それならそうと綾先さんが言ってくれていただろう。
出方を伺った一瞬の空白が、気まずい空気を作ったように思う。
互いに顔を向けあったまま、言葉が出ない。
「上守君、こんな時間にどうしたの?」
沈黙を破ったのは、白倉さんの方だった。
「え……いや、別に」
「誰かと待ち合わせ?」
「ただ、ボーっとしてただけ」
「ふふ、たそがれてるのね」
白倉さんは、笑いながら自分の席に座り、引き出しの中を整理し始めた。彼女が笑う姿を見るのは新鮮だったが、特に続ける会話のネタが思いつかない。
「……」
「ねぇ、上守君と二人きりで話すのって初めてかもね」
「そうだっけ」
とは言ってみたものの、確かにほとんど口を聞いたことがない。
「ひどいな。上守君にとって私はそんなに印象が薄いんだ」
「そんなことないよ。休んでたからって、クラスの元委員長を忘れるわけがない」
「じゃあ、私の下の名前知ってる?」
「え?」
「名字じゃなくて、名前の方」
「し…知ってるよ」
「本当? 言ってみて」
「じゃあ、そっちが僕の名前言えたら……」
「隼人君でしょ」
間髪入れずに答えられた。狼狽える僕を前に、
「だって、皆がそう呼んでるじゃない」
と、白倉さんは、いたずらをした後の子供のような笑顔をしてみせた。
「静香さんでしょ。こっちも綾先さんとかが言ってるの聞いてるから覚えてるよ」
からかわれたのが悔しくて、少しそっけなく返した。
「ちょっとは意識してくれてたみたいで、安心したわ」
一日に何度も、白倉さんの笑顔を見られるのは珍しいことかもしれない。少し、違和感のようなものを覚えていた。
「ところで、隼人君は今つき合ってる彼女とかいるの?」
突然の質問だった。
「……ご想像にお任せします」
「じゃあ、想像しちゃおうかな」
白倉さんは、人差し指をほほに当てて考える仕草をして見せた。
「隼人君って格好いいから、これはいるわね!」
「い、いないよ!」
意外な回答に思わず応じてしまった。
「そう……なんだ。じゃあ、好きな人は?」
白倉さんは、席を立ち上がり、こちらに体を向けた。
「特に……いないよ」
一瞬、栞の顔が脳裏をよぎった。自分でも好きだと意識したことは無かったはずだが、今となってはよくわからない。
「本当?」
「本当だよ。なんで?」
「……何でだと思う?」
完全に彼女のペースに、はめられている気がした。
「僕をからかって楽しんでる」
僕は拗ねた子供のような顔になっていたかもしれない。
「それは……ね」
彼女がこちらに歩いてきた。
「それは?」
「わからない?」
彼女は僕の目の前で立ち止まる。
「それは……私、白倉静香があなたのことを好きだからです」
「……」
「私とお付き合い、していただけませんか?」
彼女は真剣な顔になっていた。彼女の様子は自分でも驚くほど冷静に観察できたが、どうしていいかはわからない。
これもからかわれているだけなのだろうか。
中学生のころ、女子の間で、罰ゲームと称して好きでもない相手に告白するのが流行ったことがあったが、その類のことだろうか。
「それは、本気で言ってる?」
口に出してから、しまったと思った。彼女の表情が一瞬曇るのがわかった。何か別の言い方に直さないと思った瞬間、彼女に……唇を奪われた。
潤った柔らかな感触を通して、彼女の体温が伝わってくる。
それは長かったような気もすれば、短かったような気もする時間だった。
彼女はゆっくりと唇を僕から離し、二人を繋いだ糸を親指で拭いながら囁いた。
「信じてくれた?」
「……うん」
考えるよりも先に答えていた。
「返事を聞かせて」
しかし、次の言葉がどうしても出なかった。
その様子を感じ取られたのか、彼女は、僕にもたれるようにしがみつく。
華奢な体……甘い香り……。
「お願いだから、つき合って。お願いします」
彼女の体は震えていた。緊張が伝わってくる。
「僕でよければ……」
言ってしまった。言葉が僕らを拘束する。
「ありがとう……」
そして僕らは恋人になった。




