006
しかし、この判断は一言で言えば失敗した。まさか、郷矢巻勝が僕を狙ってくるとは思わなかった。なんでそうなったのか、自分の周りで次々知り合いが死んで、次は自分が殺されると思ったのか、だとすれば一番怪しいのは、殺人の経歴をもって綾先を追い回していた、この神明だと思ったのか。
散々怪しまれる行動はとってきたが、命を狙われるのは誤算だ。
僕は彼が襲ってきたとき、隼人を置いて急いで逃げた。この場でやりあってもメリットは何もない。頭の中で地図を広げつつ対応を考えた。
本当はイチかバチかの勝負に出たくは無かったが、これも運命と思うしかない。
僕は防犯カメラが設置された店の前で、勝負に出ることにした。
上着を脱ぎ、腕に軽く巻く。
呼吸を整えていると郷矢が来た。
「はぁはぁ、観念したみてぇだな」
「なんで僕の命を狙うのか教えてもらたいね」
「てめぇだろ、綾先を殺したのは。次は俺なんだろ」
「へぇ、白倉さんは入ってないんだ」
「白倉の復讐だろ、わかってんだよ。だけどな俺は違う。俺はやってねぇ」
彼の中でどのような思考回路が出来上がってるのか、いまいちよくわからなかったが、彼をそのまま警察に突き出すのは危険に感じた。
彼は少しずつ距離をつめてくる。包丁をかざし、こちらを威嚇する。
僕が前に出たとき、一瞬彼は怯んだ。そのまま腕に巻いた上着を包丁を持った手に巻き付けるように投げ、服を引きながら一気に飛び込む。
運動部員相手に、もみ合う力はさすがにない。腕をねじり上げ服の下に隠れた包丁を奪い、そのまま彼の腹部にねじり込んだ。正当防衛を成立させるには一度きりだ。複数は刺せない。
そして、包丁を勢いよく横に引き抜いた。
彼は地面に膝をついた。呆然としている。
僕の方も限界だった。息が切れ、これ以上力を出せる気がしない。そのまま、しばらく向き合っていると彼が地面に横になり、僕は包丁を手から離した。さすがにこんな賭けは、二度と御免被りたい。
その時、隼人が来た。彼にはまだやってもらいたいことがある。できれば警察への露出度は控えたい。僕は防犯カメラに彼が映らないよう、そして誰かと会話しているのがばれないように気をつけながら、隼人に家へ帰るよう促した。
彼が去ったあと、残る仕事は一つ。
救急車を呼ぶことだ。
「郷矢君、気分はどうだい? 今救急車を呼んであげるからね」
彼は息をするのがやっと、という状態だ。
「救急ですか? 消防ですか?」
オペレーターに繋がる。
「ええと、救急ですね。ついでに警察もお願いします」
電話越しにオペレーターが動揺しているのがわかったが、こちらは冷静に対処した。録音されているのはわかっているが、焦った演出をするのは趣味じゃない。
ただ、場所に関しては多少あいまいに伝えた。
大人の血液量は約5リットル。3分の1の出血で生命の危険。2分の1では死亡が確実視される。
これだけ時間を稼げば、彼の出血量から見て死ぬのは時間の問題だ。既に気を失って、血を押さえ込むことすらできないでいる。
「まぁ、頑張ってくれたまえ」
その後、当然事情聴取だ。
「やだなぁ、刑事さん。僕が正当防衛なのは防犯カメラを見れば一目瞭然でしょう」
担当は当然のごとく岩国警部。
「……なんでいきなり襲われたんだ」
「それは僕が聞きたいぐらいですよ。全くどうしてなんだか。それを明らかにするのが刑事さんの仕事でしょう。わかったら連絡下さい」
「捜査の基本は当事者から聞くことだからな」
「まぁ、そうでしょうね」
「なんで刺した」
「それはもみ合ってる内にですよ。相手は本気でしたからね、こちらも本気で抵抗したんです」
「刺した場所は覚えてるか?」
「腹のあたりじゃないですか?」
「……」
「……」
岩国警部の言いたいことはわかる。心臓等の体の主要部分を刺せば殺意が認定されかねない。
包丁を横向きにして肋骨を避けるように刺す行為も同様に殺意をもって刺したことになり、正当防衛とは言えなくなる。
「お前、包丁を抜いたよな。お前さんともあろうお方が、包丁は刺したままより、抜いた方が出血量が増えるって知らないわけはねぇよな」
「とっさの事だったもので、ついですよ」
「なんでわざわざ防犯カメラの前へ?」
「偶然ですよ。逃げるのをあきらめただけです」
「お前がそんなタマかよ。ただ、残念だったな。防犯カメラは壊れていて何も映っていなかった」
「……」
しばらく無言のまま見つめあう。
先に沈黙を破ったのは岩国警部の方だ
「これはどう見てもお前の犯した殺人事件だ。正当防衛だという話は逮捕後ゆっくり聞こう。残念だったな」
「……」
あのとき、センサーは動いていた。鎌をかけているのはわかっているが、不用意な発言をすれば計画通りの犯行となり、これも正当防衛が成立する余地がなくなる要因となる。
「もしそれが本当なら困りましたね」
「そうだな」
「でも、もしあなたが僕に嘘を付いてるとしたら後で問題になりますね」
「……」
「僕がこっそりこの会話を録音していたらとしたらどうしますか?」
「……そりゃあ、困るな」
「そうでしょうね」
警部のおかげで丸一に潰れてしまったが、防犯カメラの証拠がある限り安泰だろう。
カメラが無かったら、何年も続く裁判になってしまったに違いない。




