020
構内で噂が伝染するように広がっていく間に、青葉栞への疑いはほとんど晴れていた。ホテルに行ったのを見つかったのは、白倉静香じゃないかという方向に変わっていったからだ。それでも栞は相変わらず学校を休んでいたが、僕には栞を気遣う余裕は全くなかった。
僕の周りでは既に次の事件が始まっていたからだ。
「おえっ」
嗚咽とともに、水のようなものがこぼれる音がした。
綾先さんが、飲んだお茶を吐いたらしい。
「汚ねぇなぁ」
一部の男子が笑う中、大丈夫かと声をかけながら女子達が駆け寄る。
「何か変な味がして……」
吐いたものをみると、何かゴミのようなものが混じっていた。
そこへ、恭がゆっくりと近づいていき、舐めとるように指先でそのゴミを掬った。
「ああ、タバコの葉だね。確かにこれは吐いた方がいい」
誰に話しかけるでもなく、ゴミを見つめて独り言のように呟く姿に、周りは反応に困っている。
「次に殺されるのは君の番かもね」
恭は笑いながら綾先さんに話しかけた。
クラスに沈黙が続く……。それが冗談なのか、皆判断に困っているようだったが、僕にはそれが死の宣告のように思えた。
それから数日間、恭は休み時間、特に昼休みになると綾先さんを追い回すように話しかけていた。一方の綾先さんは、かなり怯えた様子で、逃げ回っていたが学校を休むことはなかった。学校を休めば家まで押し掛けてくると考えていたのか、実際は休む程でもないと考えていたのか。
クラスの皆も関わらないようにその様子を端から見ていたし、僕は、昼休みは事件のあった屋上で一人地面を眺めるのが日課になっていたので、綾先さんと接点は無かった。
そして今日も僕は屋上にいた。立ち入り禁止になっていたが、テープがあるだけで事実上出入り自由の状態だった。といっても来る人間はほとんどいない。足跡等がつくと不味いという配慮……というより自分が疑われたくないということだろう。
彼女が突き落とされたという場所、彼女が死んだという場所を、ただ眺め続けていた。
白いチョークで書かれた丸の点在する、空虚な世界。静香さんの血痕の跡を示しているのだろう。
この場所で彼女は一体、どんな酷い目にあったのか。酷い辱めを受けたのか。
泣き叫びながら抵抗し、そして……僕に助けを求めていたのか。
校舎の下から聞こえる喧噪に背を向けた、この廃墟のような屋上を眺めていると、事件の光景を想像せずにはいられない。
必死に逃げながら、男に捕まり、衣服を剥がれ、乱暴され、そして鋭利な刃物で刺され、また逃げて……屋上から突き落とされていく彼女の姿。
はっきりと見える。見えてしまう。しかし、それは僕の勝手な想像に過ぎない。過ぎないけれど、憤りと切なさがこみ上げてくる。
なぜ、僕は彼女を救うことができなかったかと。
「上守君、助けて!」
空想と現実がリンクしたような呼び声。しかし、白昼夢に現れた突然の訪問者は、白倉静香さんでは無い。
息を切らして駆け寄ってきたのは、綾先さんだった。
「綾先さん……どうしたの?」
僕は現実世界に引き戻されていた。
「え? あの……」
呼吸を整えながら、不安そうに後ろを振り向き、屋上の出入り口を見つめている。
「さっきから、神明君に追いかけられちゃって、怖くて……」
「ああ……最近、彼の様子が変だよね」
「そうなの、不安で不安で」
彼女は僕に出会って、ようやく安心したようだった。常軌を逸したともいえる恭の行動からすれば、無理もない。
「ここで何をしてるの?」
僕の隣に来て下を見下ろす。そして、顔をしかめた。
「白倉さんが落ちた……場所?」
「そう……」
「怖い……ね……」
「そうだね……」
「静香ちゃん……どうして殺されたちゃっ…」
次の瞬間、風が吹き、髪とスカートを押さえようとした彼女の体が宙に浮いた。表情が恐怖に歪んでいるのが見えた。目と目が僕とあったのは一瞬のことだったはずだが、ひどく長く感じた。
そして、強烈な音がした。静香さんが体験したであろう出来事と同じ音……。屋上から彼女は落ちたのだ。
僕は急いで階段を降り、下に様子を見に行く。そこには皆が集まっていた……当然……神明恭も。
僕は、僕の伸ばした手を掴もうと、必死に手を出した彼女の表情が忘れられなかった……。




