002
僕はその日、親友と3人で過ごしていた。
学校の帰り、そのまま僕の住むマンションの一室に集まることが多いのは、高校生になった今も変わらない。母は単身赴任中の父の所にいることが多い。ほとんど一人暮らしのようなものだ。
「隼人は、相変わらずゲーム下手だな」
「相変わらずって何だよ、ゲームの腕はそんなに変わらないだろ」
「ゲームはな」
勝負に負けた僕に対して、軽口を叩いているのが黒岩玲二で小学生からの付き合いだ。短髪で長身、外見だけは爽やかだが中身はそうでもない。
「ゲームでくらい俺に勝ってみせろよ。栞は、やらないのか?」
「私は見てる方が好きなの」
青葉栞、僕と玲二がゲームをしているときは、いつも僕のベッドに腰かけながらテレビの画面を眺めていた。ショートな髪とスレンダーな体形から、スポーツが得意な活発な子に見えるが、玲二よりも僕に似て、運動も勉強も得意ではない。
「変な奴」
僕は何気なく画面を見ながら呟いた。
「変な奴ってなによ……もぅ」
栞は素足の親指で僕の背中をグリグリと押す。
「こら、やめろよ」
「ゲームで肩凝ってるでしょ。もみもみサービスだって」
「揉むなら手にして欲しいんですが」
「踏まれる方がうれしいでしょう、それそれ」
右足と左足を交互に激しく動かす。
正直、そんなに嫌ではなかった。
「見えてるぞ」
「! ……隼人に見せてるんですぅ。玲二は見ちゃだめ」
「背中向けてるので見えないんですが」
「こっち向いたら殺すわ!」
「見せてくれてるんだよね?」
「見せてるけど、見ちゃダメなの。この乙女心がわからないかなぁ」
「とても恥じらう乙女の行動には見えないな」
玲二が呆れた声を出しながら姿勢を低くする。
「だから見るなってつってんだろ!」
玲二の顔に栞の足がヒットした。
「お代はしっかり頂いたけど、今度おごりね」
「見せて頂けるんでしたら、いつでもおごります」
玲二はその後何度も蹴られていた。
「全く、みんな玲二の顔に騙されてるのよね。きゃあきゃあ騒ぐ女の子に教えてやりたいわ」
「これは不味い。栞様のお怒り治める供物を捧げないと……」
玲二はしばらく考え
「じゃあ、隼人。ゲームで負けた方がコンビニまでジュース買い行くってのでどうだ?」
と、さも名案を思いついたという顔をした。
「僕は全然関係ないんだけどね」
「まぁまぁ、硬いこと言うなよ親友だろ。栞はどっちを応援する?」
「そりゃあ、もちろん 隼人の方かなぁ~」
玲二は、声を上げて
「なんだよそりゃあー」
とのけぞった。
「だって、隼人は、そうやってスカートの中、覗こうとしないもんね」
「ばれてたか」
顔面を思いっきり踏まれて、のたうちまわる玲二。確かに学校での様子とはかけ離れていた。
その後の勝負で負けたのは僕の方だった。二人のリクエストを聞いて、仕方なく部屋を出たもののコンビニまでは片道10分はかかる。エレベーターで下りながら少々面倒臭さを感じていた。
溜め息交じりに1階まで下りてみたが、外に出るのは億劫この上ない。そんなとき、自販機が目に入った。
「どうしようかな……」
一応、罰ゲームなのだからコンビニまで買いに行くべきかもしれない。
「……」
こんなことで悩むなんて、我ながら律儀なことだと思いつつ、自販機に陳列されたペットボトルを順に眺めながら、立ち止まって思案した。一応、二人の飲みたい物はあるようだ。
早めに戻ったときの二人の反応やら、問答を想定して、冗談の一つでも言うべきか、何てくだらないことまで考えた。
その後、僕は少々悪い気もしながら、手っ取り早く済ませる方を選んだ。思えば、この時の選択が平穏な日常に終止符を打つことになったのかもしれない。
僕は二人を驚かそうと思い、できるだけ静かに戻った。
ゆっくりとドアを開け、廊下を音をさせずに進んで行く。
部屋の扉の前までたどり着いた時、妙な違和感を感じて、ドアノブを回そうとした手が止まった。
いや、全身の筋肉が固まったみたいに動けなくなった、という方が正確かもしれない。
「ん……」
部屋から声が漏れる。
「キスだけじゃどうせ我慢できないだろ」
「我慢……できるもん……」
「嘘つけ」
「……」
「そうだ、どうせならアイツのベッドでしようぜ」
「やめようよ……」
「俺たちのこと知らずに、アイツが夜ベッドで寝るのかと思うと笑えるな」
玲二のこらえるような笑い声が漏れてきた。
「そんなの悪趣味だよ」
「アイツどうせお前のこと好きなんだから、むしろ喜ぶんじゃないか? 枕のあたりにシミとかつけといてやれよ」
「もぅ、やめてよ……隼人が戻ってきちゃうよ・・・」
「まだ大丈夫だって。それにこの方が興奮するだろ」
玲二が笑い声をこらえ切れずにいるのがわかる。玲二の声が自分の頭の中で反響していた。反復する度に雑音が増していく。不快で耳障りな騒音となって、何度も何度も頭蓋骨を打ち鳴らしてくる。
「そうだ、明日の放課後はどっか遊びにいこうぜ」
「え?」
「隼人と、こうやってゲームしてもつまんねぇだろ」
「隼人と三人で?」
「ばーか、二人に決まってんだろ。デートに邪魔者つれてきてどうすんだよ」
「そう……だよね」
「適当な理由付けて明日は一人で帰らせろよ」
できる限り、音を立てずにいた。自分の呼吸すら相手に聞こえているようで怖かった。
いつ二人が廊下に出てくるかもわからない。
―早く外に出ないと。
でも、動けなかった。栞の声が、あえぎ声……というのだろうか。栞の声が僕を引き留めた。栞の声は不思議と不快では無かった。栞の口から、今まで聞いたことがない可愛らしい音が漏れている。言葉にならない息を口から吐いては、ベッドを揺らしている。栞の様子だけを耳だけで感じるのなら、愛しさにも近い感情が芽生えていたかもしれない。それほどまでに、栞のことを意識させられた。
しかし、そこには玲二がいる。荒々しい玲二の息づかいが栞の身体と溶け合っていくようで、吐き気とともに僕を我に返らせてくれた。
『本番』ではないと思う。ちょっとしたイタズラ。お遊び。僕が戻ってくるまでの暇つぶし。
わかっている。わかっているから、早く離れないといけない。
眼前に広がったドアの壁から目を逸らし、出口へ身体を向き直す。鋭敏な感覚が筋肉の収縮する音すら嗅ぎ取って、警鐘を鳴らしていた。気持ちばかり逸るが、衣擦れと、廊下の軋みが、進む足を躊躇させる。
気配というものがあるのなら、僕は今確実にそれを発しているのだろう。
―早く……早く……。
―早く……早く……早く……。
一歩一歩、少しずつ慎重に進む中で漏れ聞こえる栞の声が、僕の焦りを募らせる。
物音! 物音だ。僕じゃない。部屋から聞こえた。どちらかが部屋を出ようと動いたのか。わからない。玄関までもう少しなのに、鉢合わせてしまったらどんな顔を向ければいいんだろう。




