第97話 先へ行けるからこそ
三十階層を突破した翌日。
アルスたち五人は、放課後になると研究室へ向かった。
扉を開けると、ティアは机いっぱいに広げた魔法陣と格闘していた。顔を上げるより先に、アルスたちの足音へ反応する。
「なんじゃ。五人揃って」
アルスが笑う。
「報告があります」
「その顔を見る限り、悪い話ではなさそうじゃの」
レインが一歩前へ出た。
「初心者ダンジョン三十階層を攻略しました」
ティアの手が止まる。
「……ほぉ」
ようやく顔を上げ、五人を順番に見る。
「もう三十まで行ったのか」
シリウスが胸を張る。
「オーガ二体も倒しました」
アイリスがすぐ補足した。
「一体はシリウスさんがずっと引き付けていました」
「そこ大事だからな」
ティアが笑う。
「なるほど。五人で二体を相手にしたわけではなく、一体を分けたか」
レインが頷く。
「はい。シリが一体を引いている間に、四人でもう一体を倒しました」
「それで怪我は?」
リリアが答える。
「全員無傷ですわ。疲労はありましたけれど」
ティアは少しだけ満足そうに頷いた。
「良い。倒したことより、そっちの方が重要じゃ」
シリウスが言う。
「ギルドマスターにも同じようなこと言われた」
「ボルドなら言うじゃろうな」
アルスが少し反応する。
「ティア先生、ボルドさんと知り合いなんですか?」
「昔からの知り合いじゃ。あやつがまだ現役で暴れ回っておった頃からの」
シリウスが目を丸くする。
「ギルドマスター、暴れ回ってたんだ」
「本人の前で言うなよ。ワシは言うが」
全員が笑った。
それからアルスは、収納魔道具を机へ置いた。
ティアの目がそちらへ向く。
「そっちの結果はどうじゃ?」
「かなり使えました」
アルスは探索中の記録を出す。
水や食料をすぐ取り出せたこと。
薬の位置を固定して迷わなかったこと。
魔石を持ち帰る時に使えたこと。
休憩時間が短くなったこと。
そして。
「一つ失敗もありました」
「なんじゃ?」
「三十階層のオーガが二体だと分かっていたのに、空き枠を一つしか残してませんでした」
ティアが一瞬黙る。
シリウスが横から言う。
「倒してから気付いた」
「ほほう」
ティアの口元が上がる。
「良い失敗じゃな」
アルスも笑った。
「そう思います」
五固定点。
十分便利。
でも。
冒険者が持ち帰りたいものは、一つとは限らない。
空きを一枠残す。
それだけでも足りない場面がある。
研究室だけでは分からなかった。
ティアは記録を読みながら言う。
「やはり実際に使わんと出てこん問題があるの」
「はい」
「六固定点側も意味が出てきたな」
アルスも頷いた。
容量を増やす。
ただ便利だから。
ではない。
実際の行動の中で、必要な理由が見えてきた。
レインがそこで話を戻した。
「先生。三十階層を攻略したので、中級ダンジョンへ挑戦する許可が出ました」
「うむ」
ティアは当然のように頷く。
「それで、いつ行く?」
五人。
少し顔を見合わせる。
そして。
レインが答えた。
「すぐには行きません」
ティアの眉が上がる。
「ほぉ?」
アルスが続ける。
「初心者ダンジョンで、もう少し訓練したいです」
「なぜじゃ?」
シリウスが答える。
「オーガ二体は倒せたけど、まだ楽には倒せないから」
アイリスも続ける。
「中級ダンジョンが初心者ダンジョンと同じとは限りません」
リリアが頷く。
「むしろ、違うと考えて準備した方が安全だと思いますわ」
ティアは何も言わず、最後にアルスを見る。
アルスは少し考えてから話した。
「初心者ダンジョンって、変なんです」
「何がじゃ?」
「段階的すぎるんです」
ティアの目が変わった。
アルスは続ける。
最初は弱い魔物。
少しずつ増える罠。
階層が深くなるにつれて役割が必要になる敵。
五階層ごとの区切り。
ポータル。
最後は二体同時。
「なんというか……教えられてる感じがします」
研究室が静かになる。
シリウスが言う。
「俺も途中からそんな感じした」
レインも頷いた。
「戦い方を一つずつ試させられているような構造だった」
アイリスが言う。
「射手がいたり、硬い魔物がいたり、狭い場所があったり。毎回違うことを考える必要がありました」
リリアも。
「でも、急にどうしようもない危険が出るわけではありませんでしたわ」
ティアは机に肘をつき、指を組んだ。
「つまり」
アルスを見る。
「お主らは、初心者ダンジョンそのものが訓練のために作られた可能性を考えておるのか」
「はい」
断定ではない。
まだ。
仮説。
でも。
説明はつく。
さらに。
アルスはポータルを思い出す。
五階層ごと。
個人の魔素を識別。
登録。
離れた階層へ一瞬で移動。
誰が作ったのか。
分かっていない。
「中級ダンジョンは、同じ仕組みなんですか?」
ティアは首を振った。
「分からん」
即答。
「資料は?」
「ある。じゃが、初心者ダンジョンほど整理されておらん」
「自然発生?」
「その可能性もある」
それだけで。
アルスの興味は強くなった。
作られたように見える初心者ダンジョン。
自然発生かもしれない中級ダンジョン。
もし。
本当に違うなら。
比較できる。
シリウスがアルスを見る。
「その顔やめろ」
「何?」
「もう研究対象にしてる顔」
ティアが笑う。
「良いではないか。ただし、生きて帰ればな」
そこでレインが言った。
「だから、一か月くらい初心者ダンジョンで訓練を続けようと思っています」
ティアが少し驚く。
「一か月?」
「はい。オーガを安定して倒せるくらいまで」
シリウスが付け加える。
「今度は一体ずつなら、もっと余裕を持って倒せるようにしたい」
アルスも頷く。
「それと、二十階層から二十九階層を何度か回れば、罠や複数戦の練習もできます」
アイリスは魔力運用。
リリアは補助の維持。
シリウスは斥候と引き付け。
レインは指揮。
アルスは察知と前衛支援。
それぞれ。
まだ伸ばせる。
ティアは五人をしばらく見た。
そして。
「良いじゃろう」
短く答えた。
「先へ行けるようになった瞬間に先へ行く必要はない。今いる場所で学べることが残っとるなら、使えばよい」
シリウスが笑う。
「ティア先生まで慎重派になった」
「ワシは昔から慎重じゃ」
アルスが机の上に積まれた失敗作を見る。
「それはちょっと怪しい」
「アルス」
「はい」
「あとで話がある」
「すみません」
また笑いが起きる。
五人は研究室を出る前に、次の予定を決めた。
しばらく。
新しい階層へは行かない。
初心者ダンジョン。
二十階層から三十階層。
何度も。
繰り返す。
強くなるためだけではない。
判断を速くする。
役割を入れ替える。
罠を見る。
魔力を残す。
疲労を知る。
そして。
オーガを。
特別な相手ではなくする。
中級ダンジョンへ向かうのは。
その後。
アルスは研究室を出る前に、一度だけ収納魔道具を見た。
冒険者としての訓練。
魔道具の実地試験。
ダンジョンの観察。
全部。
別々に始まったはずなのに。
いつの間にか。
同じ場所へ集まり始めていた。




