第81話 名前が付くまで
ヴェルデ平原の一部が閉鎖されてから、数日が過ぎた。
学園では平原実習が別の授業へ置き換えられ、アルスたちが現地へ行くこともなくなった。ただ、何も起きていないわけではない。
観測網には平原周辺の情報が少しずつ増えていた。
異常な動きをするホーンラビット。
通常より大きな個体。
速さだけが突出した個体。
魔素反応が不自然な個体。
すべて同じ特徴ではない。
それでも、通常種の個体差として片付けるには違いが大きい。
放課後、アルスたちは研究室で新しく届いた比較記録を見ていた。
シリウスが立体表示を回す。
「こいつは昨日のよりでかいな」
「でも動きはそこまで速くないみたい」
レインが別の記録を見る。
アイリスも言う。
「こちらは外見がほとんど普通です。でも魔素反応だけ違いますね」
アルスが最初に戦った個体も表示する。
少し大きい。
かなり速い。
方向転換が異常に鋭い。
魔素の流れが乱れていた。
同じホーンラビット。
でも。
異常の出方は揃っていない。
リリアが聞く。
「同じ原因なんでしょうか?」
アルスは首を振る。
「分からない。同じ場所で見つかってるから関係はありそうだけど、それだけじゃ同じ原因とは言えない」
シリウスが言う。
「面倒だな」
「何が?」
「普通の強い個体なら、強いホーンラビットって呼べばいいだろ。でも一匹ずつ違うなら、何を基準にすればいいんだ?」
アルスもそこが気になっていた。
大きさではない。
速さだけでもない。
魔素量でもない。
共通するのは。
通常個体の範囲から外れていること。
ティアが資料を読みながら言う。
「研究側では仮の呼び方が決まったぞ」
五人が見る。
「変異種じゃ」
シリウスが首を傾げる。
「新しい種類ってこと?」
「そう決めたわけではない」
ティアはすぐ否定した。
「今ある種から、通常の範囲では説明しにくい変化をした個体。その程度の意味じゃ」
アルスはその言葉を頭の中で整理する。
別種。
ではない。
上位種。
とも限らない。
強いから変異種。
でもない。
何かが変わった個体。
それを。
ひとまず区別するための名前。
レインが言う。
「名前が付いたけど、原因が分かったわけじゃないんだね」
「そうじゃ」
ティアが頷く。
「名前を付けると分かった気になる者がおる。そこを間違えるな」
アルスは少し笑った。
ティアらしい。
変異種。
そう呼べば話しやすい。
記録もまとめやすい。
でも。
中身はまだ分からない。
アルスは自分の記録板へ書く。
――変異種。
――通常個体の範囲を外れた変化を示す個体に対する暫定分類。
その下には。
――原因を示す名称ではない。
そこまで書いた。
シリウスが横から見て言う。
「注意書きまでいる?」
「僕はいる」
「アルらしいな」
研究室には、異常個体から回収された魔石の追加記録も届いていた。
二個。
最初の一個と合わせて三個。
全部。
通常のホーンラビットと違う。
ただし。
違い方も完全には同じではない。
アルスが測定結果を並べる。
一個目。
人型種族の魔素流に近い反応が一部にある。
二個目。
似た反応。
三個目。
弱いが、やはり通常種には見られない流れ。
「三つともある」
アイリスが言った。
アルスも頷く。
偶然。
そう言うには。
少し重なりすぎている。
それでも。
何なのかは。
まだ言えない。
リリアが静かに聞く。
「人の魔素が混ざっている、という可能性は高くなったんでしょうか?」
ティアが答える。
「可能性は上がった。確定はしとらん」
レインが言う。
「もし本当に人のものなら?」
今度は。
誰もすぐには答えなかった。
人が関わった。
誰かが変えた。
そんな考えは簡単に浮かぶ。
でも。
魔物が人間へ近付いて何かを取り込んだ可能性もある。
環境。
食物。
魔道具。
事故。
未知の生態。
考えられることは多い。
アルスが言う。
「今は、そこから先に行かない方がいいと思う」
シリウスが見る。
「なんで?」
「人がやったって決めたら、他の原因を見なくなるかもしれないから」
レインが頷く。
「犯人探しになるってこと?」
「うん」
アイリスも言う。
「まず変化そのものを調べる方が先ですね」
ティアは何も言わなかった。
ただ。
少しだけ口元が動いた。
午後。
学園側から学生向けの注意事項が更新された。
ホーンラビットだから安全と判断しないこと。
既知種であっても。
体格。
行動。
魔素反応。
通常と違う場合。
接近しない。
観測する。
報告する。
必要なら離れる。
シリウスが通知を読みながら言う。
「これ、俺たちがやったことそのままだな」
レインが答える。
「最初は普通のホーンラビットだと思って近くにいたけどね」
「そうだった」
アルスも覚えている。
最初の個体。
姿だけ見れば。
誰も強く警戒しなかった。
もし。
あの時。
魔素の違和感に気付かなかったら。
もっと近付いていたかもしれない。
最初の突進。
レインが受けた。
あれだけでも。
十分危なかった。
「種類を知ってるって、安心材料にはなるけど」
アルスが言う。
シリウスが見る。
「絶対じゃないってこと?」
「うん」
森では。
オークを見た。
危険だと分かった。
今回は。
ホーンラビットを見た。
危険ではないと思った。
見た目の知識が。
逆に。
判断を遅らせることもある。
リリアが言う。
「知っているものほど、ちゃんと見る必要があるんですね」
アルスは頷いた。
それは。
魔物だけではない気もした。
知っているつもり。
分かっているつもり。
そう思った時ほど。
観測を止めやすい。
数日後。
ヴェルデ平原の立入制限は、区域を限定した形へ変わった。
異常個体が確認された範囲は継続して閉鎖。
それ以外の区域は。
観測と警戒を強めながら利用を再開する。
全部を閉じ続けるわけではない。
世界は。
危険が見つかったから。
止まるわけではなかった。
道を変える。
範囲を区切る。
情報を共有する。
観測を続ける。
その中で。
日常も進む。
学園の授業も。
研究も。
冒険者の活動も。
アルスたち五人も。
変異種だけを追い続けるわけではない。
ある日の授業後。
レインが一枚の案内を持ってきた。
「これ、見た?」
アルスが受け取る。
冒険者ギルド。
学生向け登録案内。
一定年齢以上。
学園の基礎課程履修者。
安全講習必須。
登録後は。
最低位から。
依頼を受けられる。
シリウスがすぐ横から覗く。
「行こう」
「まだ何も言ってないよ」
「行くだろ?」
アイリスが案内を読む。
「学園からの推薦ではなく、希望者向けなんですね」
リリアも見る。
「五人で登録できますか?」
レインが少し笑う。
「僕はしたい」
シリウス。
「俺も」
アイリスは少し考えてから。
「私も興味があります」
リリアも頷いた。
「皆さんと一緒なら」
四人が。
アルスを見る。
「なんで最後に僕を見るの?」
シリウスが言う。
「五人だから」
アルスはもう一度案内を見る。
冒険者。
これまで。
授業で外へ出た。
実習で魔物と戦った。
収納魔道具を使う人たちの記録も見た。
でも。
冒険者そのものとして。
外へ出たことはない。
アルスは紙を返す。
「登録してみたい」
シリウスが笑う。
「決まり」
変異種の調査は。
学園と研究者たちの側で続いている。
原因は。
まだ分からない。
その一方で。
五人の学園生活は。
次の場所へ進もうとしていた。
ヴェルデ平原で。
未知の異常に触れたあと。
今度は。
自分たちの意思で。
学園の外へ出るための入口。
冒険者ギルドが。
少し近付いた。




