第80話 混ざった魔素
翌日、アルスたちは放課後になるとティアの研究室へ集まった。
机の中央には、小さな透明容器が置かれている。その中にあるのは、昨日討伐したホーンラビットから回収された魔石だった。
見た目だけなら、それほど変わったところはない。大きさも、色も、ホーンラビットから得られる魔石として大きく外れてはいなかった。
シリウスが顔を近付ける。
「これが昨日の?」
「そうじゃ。触るなよ」
ティアに言われ、シリウスは伸ばしかけた手を引っ込めた。
「触らないって」
「今、触ろうとしたじゃろ」
「見るため」
「手で見るな」
アイリスが小さく笑った。
アルスは容器の横に置かれた測定器を見る。比較用として、通常のホーンラビットから採取された魔石も三つ用意されていた。
ティアが言う。
「まず普通の方からじゃ。違うものを見る前に、普通を見ろ」
昨日の実習と同じだった。
異常だけを見ても、何が違うのか分からない。
通常個体の魔石へ少量の魔素を流す。測定器に反応が出る。内部へ入り、蓄えられ、少しずつ放出される。その流れを三つとも確認する。
完全に同じではない。個体差はある。
それでも、流れ方には似た特徴があった。
アルスが言う。
「昨日平原で見たホーンラビットと同じ感じ」
「そうじゃな」
ティアは次に、異常個体の魔石を容器ごと測定器へ固定した。
「少量だけ流すぞ」
魔素が入る。
反応が出た。
その瞬間、アルスは眉を寄せた。
「やっぱり違う」
レインが聞く。
「昨日感じたのと同じ?」
「近い」
通常の魔石なら、入った魔素が内部へ広がるように流れる。
目の前のものは違った。
一部は普通に流れる。
でも。
その中に、別の流れがある。
同じ魔石の中なのに、二種類の癖が重なっているように見えた。
アイリスも測定値を見る。
「ここだけ反応の形が違いますね」
ティアが出力を並べる。
通常個体三つ。
異常個体一つ。
違いは明らかだった。
シリウスが聞く。
「属性が違うとか?」
「それならもっと単純じゃ」
ティアは別の測定へ切り替える。
火。
水。
風。
土。
どれでもない。
特定属性の強化ではない。
魔石そのものの容量も、昨日の身体能力を説明できるほど極端に大きいわけではなかった。
レインが言う。
「じゃあ、なんであんなに強かったんだろう」
誰も答えない。
まだ分からない。
アルスは測定器の反応を見続ける。
何か。
引っかかる。
昨日も感じた。
見たことのないものなのに、完全に知らない感じではない。
「先生」
「なんじゃ」
「この部分だけ、魔物っぽくない」
ティアがアルスを見る。
「どういう意味じゃ」
言葉を選ぶ。
「人の魔素を見た時に近い気がする」
研究室が静かになった。
シリウスが聞く。
「人?」
「同じとは言ってない。似てるだけ」
アルスはすぐ付け加えた。
自分たち五人の魔素。
授業で観測した人間の魔素。
人と魔物では、流れ方に違いがある。
もちろん個人差もある。
種族差もある。
それでも、昨日のホーンラビットの魔石にある一部の反応は、魔物側より人側の流れへ近く見えた。
ティアは何も言わず、別の比較記録を呼び出した。
人族。
エルフ。
ドワーフ。
獣人。
研究用に保存されている一般的な魔素反応の資料。
一つずつ重ねる。
完全一致。
しない。
だが。
異常個体の魔石に混ざった流れは、通常のホーンラビットより明らかに人型種族側へ近い。
リリアが静かに言う。
「本当に混ざっているんですか?」
ティアが答える。
「そう見える、としかまだ言えん」
アルスも頷いた。
一個。
それだけ。
偶然。
未知の個体差。
測定誤差。
何か別の原因。
まだいくらでも可能性はある。
シリウスが言う。
「人が何かしたってこと?」
「それもまだ分からない」
アルスが答える。
人に似た魔素がある。
だから人間が作った。
そこまで飛ぶことはできない。
アイリスも言う。
「人型の魔物という可能性もありますね」
「ある」
レインが続ける。
「他の何かを食べたとか?」
「それも分からない」
答えが増えない。
代わりに。
可能性だけが増える。
ティアは異常個体の魔石をもう一度測定する。
流す魔素量を変える。
反応を見る。
一度止める。
時間を置く。
もう一度。
結果は変わらなかった。
異常な流れ。
再現する。
アルスは記録板へ書く。
――異常個体魔石に通常種と異なる魔素流を確認。
――複数回測定で再現。
――特定属性による差ではない。
そこで一度止める。
次の一行は慎重に書いた。
――一部反応が、人型種族の魔素流に近い。
「混ざっている、とは書かんのじゃな」
ティアが見る。
アルスは頷く。
「まだ近いだけだから」
「それでいい」
その時、研究室の端にある情報端末へ通知が入った。
ティアが内容を確認する。
表情が少し変わった。
レインが聞く。
「何かありました?」
「ヴェルデ平原で、もう一体見つかった」
全員が止まる。
「同じホーンラビット?」
アルスが聞く。
「まだ未確認。ただし、通常より大きく、動きが速い個体じゃ。別班が遠距離から観測して報告した」
シリウスが言う。
「一匹じゃないのか」
そこが大きかった。
昨日の個体だけなら。
特殊な一個体。
そう考えられた。
二体目がいる。
もし。
同じ異常なら。
話が変わる。
さらに通知が更新される。
ティアが読む。
「平原の一部を立入制限。学生実習は中止。冒険者にも該当区域への接近を控えるよう通知」
アイリスが言う。
「昨日いた場所もですか?」
「含まれとる」
昨日まで。
低危険区域。
普通の実習場所。
今日。
入れない。
アルスは少し不思議な感覚になる。
世界が。
一日で変わったわけではない。
昨日までも。
異常な個体は。
どこかにいた可能性がある。
ただ。
見つかった。
観測された。
情報が共有された。
だから。
社会側が動いた。
シリウスが言う。
「昨日俺たちが倒さなかったら、まだ分からなかった?」
レインが答える。
「別の誰かが見つけたかもしれない」
「でも昨日のは報告した」
「うん」
アルスは二人の会話を聞きながら、世界の情報網のことを思い出す。
情報は速い。
昨日の一戦。
今日の測定。
別地点の目撃。
それらが。
すぐ繋がる。
物は遅い。
でも。
危険の情報なら。
先に届く。
人が近付く前に止めることができる。
収納魔道具の時とは。
逆の側面だった。
ティアが魔石を容器へ戻す。
「これは学園だけで抱える話ではなくなったな」
アルスが聞く。
「どこに行くの?」
「魔物研究側にも回す。平原で回収された他の個体があれば比較する」
「この魔石は?」
「しばらくここにも記録を残す。現物は追加検査へ回る可能性がある」
アルスは少し残念に思った。
もっと見たい。
でも。
自分だけが見るより。
多くの記録と比べた方がいい。
それも分かる。
リリアが言う。
「また実習へ行くんでしょうか」
ティアが首を振る。
「制限されとる場所へ学生を入れる馬鹿がおるか」
シリウスが言う。
「ですよね」
「お主は少し行きたそうじゃな」
「ちょっとだけ」
アイリスが見る。
「行きませんよ」
「分かってるって」
五人は笑ったが。
昨日までのような軽さではなかった。
目の前の小さな魔石。
それ一つが。
今まで知らなかった何かへ繋がっている。
アルスは最後にもう一度、自分の記録を見る。
人の魔素に近い。
その一文。
何度見ても。
違和感が消えない。
人間が関係している。
そう決めるには早い。
自然な変化。
そう決めるにも。
材料が足りない。
だから。
今は。
ただ残す。
――通常のホーンラビットとは異なる。
――原因不明。
――追加個体との比較が必要。
その日の帰り。
シリウスが言った。
「オークの時は、見たらオークだったんだけどな」
アルスが見る。
「うん」
「今回は見た目が同じだから余計に嫌だ」
それは。
アルスも感じていた。
危険な魔物が。
危険な姿をしているなら。
分かりやすい。
でも。
いつも見ていたものが。
同じ姿のまま。
違うものになっている。
それは。
知らない魔物に出会うのとは。
少し違う怖さがあった。
ヴェルデ平原は。
一時的に閉じられた。
そして。
異常なホーンラビットの調査が。
正式に始まった。




