第74話 壊れた時に残るもの
最初に壊すのは、外装だった。
研究室の机には五固定点型の試験機が一つ置かれている。中には価値のない試験物だけを入れた。木片、石、空の金属容器、布、刻印を入れた小さな板。
シリウスが試験機を見る。
「今日は本当に壊すんだな」
「売るなら必要だから」
アルスが答えると、シリウスは少し距離を取った。
「離れた方がいい?」
「外装だけなら大丈夫だと思う」
ティアがすぐ言う。
「思う、で近付くな。測定位置まで下がれ」
全員が素直に下がった。
最初は革の外装だけを切る。
刃を入れる。
表面が裂ける。
固定具の一つを外す。
それでも術式板には触れない。
アルスが測定器を見る。
「内部反応、変化なし」
入口を開く。
普通に開く。
五つの試験物も全部取り出せた。
レインが言う。
「外側だけなら大丈夫そうだね」
「少なくとも、この程度なら」
次は魔石。
起動中に魔石を外す。
入口が閉じる。
表示も消える。
シリウスがすぐ聞く。
「中身は?」
「まだ分からない」
新しい魔石を付ける。
起動。
入口が戻る。
一番。
木片。
二番。
石。
三番。
金属容器。
全部ある。
五つ確認。
問題なし。
リリアが少し息を吐いた。
「魔石切れで中身が消えることはないんですね」
アルスは頷きながら記録する。
「今の試験では、ね」
そこは大事だった。
魔石は消耗品だ。
途中で切れることはあり得る。
そのたびに中身が失われるなら、道具として使えない。
ガルドも研究室に来ていた。今日は商会側の確認項目を持ってきたというより、故障試験そのものを見るためだった。
「これは説明しやすいですね」
ガルドが言う。
「魔石が切れても、中身は保持される。交換後に再び取り出せる」
アルスがすぐ返す。
「まだ一回です」
ガルドは笑った。
「では、一回目の結果として覚えておきます」
ティアも頷く。
「十回やれ」
シリウスが言う。
「十回?」
「商品にするんじゃろ」
「はい」
魔石を外す。
戻す。
中身確認。
また外す。
繰り返す。
十回。
全部正常。
二十回。
異常なし。
三十回目。
入口が開くまで少し遅れた。
アルスが止める。
「今、遅かった」
アイリスも測定記録を見る。
「前より起動時間が長いです」
魔石ではない。
接続部。
繰り返し交換したことで、固定具が少し緩んでいた。
シリウスが言う。
「魔石切れじゃなくて、交換しすぎで壊れるのか」
「壊れたというより、接触が悪くなった感じ」
ティアが接続部を見る。
「なら直す場所が分かったな」
魔石交換そのものは安全でも。
何度も交換する前提なら。
接続部も、それに耐える必要がある。
アルスは記録へ追加する。
――魔石交換反復により固定具緩み。
――交換部構造の補強必要。
次。
入口部分。
ここから。
少し危険になる。
試験物を再び入れる。
入口を閉じた状態で。
開閉に使う外側の制御部だけを壊す。
細い接続線を一つ切る。
表示。
消えない。
内部反応。
ある。
でも。
入口操作。
反応なし。
シリウスが言う。
「開かない」
アルスは何度か操作する。
やはり開かない。
リリアが聞く。
「中身は残っていますか?」
「反応だけなら残ってる」
でも。
見えない。
取り出せない。
ガルドが少し表情を変えた。
「これは困りますね」
「うん」
中身が消えるよりはいい。
でも。
薬が必要な時。
入口が壊れて開かない。
それなら。
あるのに使えない。
アルスは外側の制御線を修復する。
起動。
入口が開く。
五つ。
全部残っている。
レインが言う。
「修理すれば戻る」
「今の壊れ方なら」
ティアが言う。
「次は修理できん壊し方じゃ」
シリウスが本気で嫌そうな顔をする。
「先生、楽しんでない?」
「少しな」
「やっぱり」
今度は予備の試験機を使う。
五固定点型。
同じ試験物。
内部状態を測定したまま。
術式板の端。
収納空間を作る中心部から遠い場所を。
削る。
少し。
反応が揺れる。
入口は開かない。
内部反応は。
まだある。
もう少し削る。
反応。
さらに乱れる。
アルスが言う。
「止める?」
ティアが測定器を見る。
「まだじゃ」
もう一度。
小さく削る。
その瞬間。
測定器の針が大きく動いた。
アルスの背中が冷たくなる。
内部反応が。
急に弱くなった。
「待って」
全員が止まる。
入口は閉じたまま。
空間反応。
完全には消えていない。
でも。
さっきまでと違う。
不安定。
シリウスもふざけない。
「中、どうなってる?」
「分からない」
それしか言えない。
アルスは測定を続ける。
魔素を追加しない。
まず見る。
反応は揺れている。
少し強くなり。
弱くなる。
一定ではない。
アイリスが言う。
「時間停止の循環も乱れています」
「うん」
中にある物。
木片。
石。
容器。
今。
どうなっている。
分からない。
アルスは急に、昨日までとは違う感覚を持った。
今まで収納魔道具の中身は。
守られているものだった。
入れれば。
そこにある。
時間も止まる。
でも。
その空間自体が壊れた時。
何が起きるか。
誰も知らない。
ティアが言う。
「戻せるところまで直すぞ」
アルスが顔を上げる。
「壊し切らない?」
「壊し切る試験は後じゃ」
ティアは真剣だった。
「今は境界が崩れ始めた時、戻せるかを見る」
アルスもすぐ切り替える。
削った場所。
元の線。
接続。
正確に戻す。
一度では駄目。
反応が安定しない。
二度目。
線の深さを少し変える。
まだ駄目。
三度目。
空間反応。
戻る。
時間停止循環。
安定。
アルスが入口を開く。
全員が少し身構える。
一番。
木片。
ある。
二番。
石。
ある。
三番。
容器。
ある。
四番。
布。
五番。
刻印板。
全部。
残っていた。
リリアが小さく息を吐いた。
シリウスも椅子へ座る。
「ちょっと怖かった」
レインが言う。
「僕も」
アルスは中身より。
測定記録を見る。
「一回、不安定になってた」
ティアが頷く。
「中身が無事だった。それだけで安全とは言えん」
アルスも同じだった。
今。
何も失わなかった。
でも。
それは。
この程度の破損だったからかもしれない。
もっと深く壊れたら。
どうなる。
ガルドが静かに言う。
「販売は、まだ先ですね」
アルスが見る。
少し前まで。
ガルドは量産の話をしていた。
小容量でも需要がある。
職人へ分業できる。
百台。
でも。
今日。
止まった。
「待てるんですか?」
アルスが聞く。
ガルドは少し不思議そうな顔をする。
「当然です」
「売れそうなのに」
「信用を失う方が高くつきます」
その言葉は。
ガルドらしかった。
「中へ大事な物を入れる道具でしょう?」
「はい」
「なら、売った後に『壊れると中身がどうなるか分かりません』では商売になりません」
シリウスが言う。
「正直に言って売れば?」
ガルドは笑った。
「それでも買う人はいるでしょうね」
「じゃあ」
「ですが、私は売りません」
シリウスが少し驚く。
ガルドは試験機を見る。
「分からない危険を、分かったふりをして渡したくないんです」
アルスは黙って聞いていた。
研究でも。
同じだった。
分からないことを。
分かったことにしない。
ガルドは商人。
アルスは研究する側。
やることは違う。
でも。
そこは似ている。
ティアが言う。
「次は完全破損じゃ」
シリウスが立ち上がる。
「まだやるの?」
「やらんと売れんぞ」
「俺が売るわけじゃないけど」
「使うんじゃろ」
「それは使う」
「なら見とけ」
翌日。
完全破損試験。
ただし。
中へ入れる物は。
さらに小さく。
壊れても問題のないものだけ。
実験場所も。
研究室ではなく。
防護区画へ移す。
距離を取る。
観測器を複数置く。
そして。
術式板の中核。
空間維持を担っている部分を。
外部から切断する。
アルスは手を止めた。
ティアが見る。
「怖いか」
「うん」
「なら正常じゃ」
アルスは一度息を吐く。
切断。
一瞬。
測定器の反応が跳ねた。
次の瞬間。
空間反応。
消失。
完全に。
なくなった。
誰も動かない。
入口も。
もう存在しない。
シリウスが小さな声で言う。
「中身は?」
アルスは答えられない。
観測する。
周囲。
床。
術式板。
魔素の乱れ。
少しある。
でも。
物は。
出てこない。
数分待つ。
何も起きない。
ティアが言う。
「修復するぞ」
完全に切れた線を戻す。
中核を復元。
魔石を接続。
起動。
反応。
ない。
二回目。
ない。
三回目。
空間反応。
戻らない。
アルスは試験機を見る。
初めて。
戻らない。
中身。
行方不明。
シリウスも黙っていた。
レインが言う。
「消えた?」
アルスは首を振る。
「分からない」
それだけ。
消えた。
とは言えない。
どこかに残っているのかもしれない。
別の空間にあるのかもしれない。
戻す方法がないだけかもしれない。
観測できない。
なら。
未確定。
ティアが言う。
「これが今の答えじゃ」
アルスが見る。
「完全に壊れたら」
「中身を回収できん」
「消えるとは言えない」
「そうじゃ」
ガルドはその結果をそのまま書き留める。
「なら、商品説明は決まりました」
アルスが聞く。
「どうするんですか?」
「収納中に術式中核が完全破損した場合、内容物を回収できない可能性がある」
少し厳しい言い方。
でも。
正しい。
「売れなくならない?」
シリウスが聞く。
ガルドは首を振る。
「普通の鞄でも燃えれば中身は失われます。壊れない道具などありません」
そして。
試験機を見る。
「大事なのは、どう壊れるかを知っていることです」
その言葉で。
アルスは少しだけ納得した。
完全安全。
そんなものを作る必要はない。
でも。
危険がどこにあるか。
どの壊れ方なら直せるか。
どこを越えると戻せないか。
そこは知らなければならない。
アルスは記録板へ書く。
――外装破損:内部保持に影響なし。
――魔石切れ:内部保持。交換後回収可能。
――外部制御部破損:内部保持。修復後回収可能。
――術式軽度損傷:空間不安定化。修復可能例あり。
――空間維持中核完全破損:内部反応消失。修復後も再接続できず。内容物回収不能。
最後。
少し考える。
――内容物が消滅したとは確認できない。
そこは。
絶対に飛ばさない。
分からないものは。
分からない。
ただ。
昨日より。
どこまでなら安全なのかは。
少し分かった。
ガルドが帰る前に、ティアへ言った。
「次は破損しにくくする方法ですね」
ティアが笑う。
「商人のくせに研究の先を読むようになったな」
「壊れたら困りますから」
アルスも試験機を見る。
空間中核。
ここだけは。
絶対に守る。
外装を厚くする。
位置を変える。
衝撃を逃がす。
壊れた時に先に別の部分が切れるようにする。
考えられることは多い。
容量を増やす研究は。
いったん止まっていない。
ただ。
その横に。
守るための研究が増えた。
大きくする。
軽くする。
たくさん作る。
そして。
壊れ方を知る。
収納魔道具は。
少しずつ。
研究室の中で動く不思議な道具から。
人が大事な物を預けられる道具へ。
近付いていた。




