第71話 届く情報、届かない荷物
翌日の授業は、魔法でも剣でもなかった。
教室の前には大きな立体地図が浮かび、山脈、街道、村、森、河川が色分けされている。地図の端では、小さな観測映像がいくつも同時に流れていた。
山間部の天候。
街道の通行状況。
魔物の目撃情報。
救助拠点の備蓄量。
シリウスが椅子へ座りながら言う。
「今日、何するんだ?」
課題はすぐに表示された。
――五人班で、山間部に取り残された十名を救助する。
――現地まで二日。
――帰還まで最低二日。
――現地の状況は観測網から取得可能。
――ただし物資の現地調達は保証されない。
レインが立体地図を見る。
「救助計画か」
アイリスはすでに表示を操作していた。
「現地映像があります。昨日のものですね」
指先を動かすと、山道の立体記録が拡大される。崩れた斜面。細い道。壊れた橋。その上空には観測体から記録された映像まで残っている。
シリウスが言う。
「これだけ分かるなら簡単じゃない?」
アルスも最初はそう思った。
どこが崩れている。
どこを通れる。
現地に何人いる。
天候はどうなる。
近くに確認された魔物は何種類。
情報だけなら、かなり揃っている。
ところが、次の画面を開いたところで全員が止まった。
必要物資。
水。
食料。
薬。
寝具。
雨具。
予備の魔石。
救助用具。
負傷者を運ぶための器材。
さらに救助対象十人分の帰路の食料と水。
シリウスが言う。
「多くない?」
レインが苦笑する。
「十人増えるからね」
「向こうに食料ないの?」
アイリスが情報を確認する。
「備蓄はありますけど、何日分残っているか確定していません」
リリアが言う。
「怪我人がいるなら、食事の種類も選ぶ必要がありますね」
アルスは立体地図と物資一覧を交互に見る。
情報は届いている。
遠く離れた山の状態まで、今ここで見える。
でも。
水は画面から出てこない。
食料も。
薬も。
誰かが運ばなければならない。
「これ、五人で全部持つの?」
シリウスの声が少し低くなった。
レインが物資の重量を計算する。
「普通に持ったらかなり厳しい」
五人は分担を始めた。
レインとアルスが重い装備。
シリウスは偵察に必要な分だけ軽くする。
アイリスは予備魔石。
リリアは薬と救急用品。
それでも足りない。
荷物を増やせば歩行速度が落ちる。速度が落ちれば現地到着が遅れる。到着が遅れれば、持っていく食料も増える。
「増えるな」
アルスが言った。
シリウスが見る。
「何が?」
「荷物を増やすと時間が増えて、時間が増えるとまた荷物が増える」
レインも計算を見て気付く。
「本当だ」
近道を選べば荷物は減らせる。
でも、危険な地形を通ることになる。
安全な道を選べば遠い。
すると食料と水が増える。
アイリスが言う。
「情報が増えても、最後は物を運ぶ問題になるんですね」
その言葉に、アルスは少し引っかかった。
この世界では、遠くの出来事を見ることができる。
観測体が飛ぶ。
立体映像が届く。
情報が共有される。
王都にいても、遠い地域で何が起きているのかかなり分かる。
それでも、助けに行く人間は歩く。
食料も運ぶ。
薬も運ぶ。
道具も運ぶ。
情報と物では、進む速度が違う。
シリウスが急にアルスを見る。
「収納魔道具使えば?」
全員が止まった。
レインが笑う。
「やっぱりそうなるよね」
アルスは試算を書き直す。
試作一号一つでは足りない。
容量は小さい。
でも、薬や食料、予備魔石の一部を収納できるだけでも、携行重量は変わる。
さらに容量が増えれば。
水。
救助器材。
負傷者用の食料。
持てるものが増える。
「これが十個、二十個入るようになったら、かなり変わる」
アイリスが言う。
リリアも立体地図を見る。
「温かい食事も持っていけますね。怪我人にその場で作らなくてもいい」
シリウスが言う。
「帰りに人数増えても食料足りる」
レインは別の数字を見ていた。
「荷物が軽くなれば、到着も早くなる」
そこで全員が少し黙った。
収納魔道具で変わるのは。
持てる量だけではない。
移動時間。
疲労。
必要な休憩。
危険な場所にいる時間。
全部。
少しずつ変わる。
課題の後半では、各班が作った計画を比較した。
ある班は荷車を使う。
ある班は途中の拠点を経由する。
別の班は魔物の少ない長い道を選ぶ。
どれも成立する。
正解は一つではない。
アルスたちの案には、まだ研究中の収納魔道具を使う前提は正式には入れなかった。今ある試作一号を、社会で普通に使える道具として扱うことはできないからだ。
それでも。
課題が終わった後、アルスは立体地図をしばらく見ていた。
レインが横へ来る。
「研究室のこと考えてる?」
「うん」
「容量?」
「それも。でも、ちょっと違う」
アルスは遠くの山を示す。
「ここで何が起きてるか、僕たちはもう知れるんだよね」
「うん」
「でも、薬を届けるのは二日かかる」
レインも地図を見る。
「そうだね」
「変な感じ」
地球の記憶が戻った時。
アルスは、この世界の情報技術の高さに驚いた。
今では。
それが普通になっている。
映像が届く。
声が届く。
記録が届く。
でも。
物は届かない。
そこだけ。
世界の速度が違う。
放課後。
五人は研究室へ戻った。
ティアは六固定点型の試験機を調べていた。
アルスが入るなり言う。
「先生」
「なんじゃ」
「容量、もっと増やしたい」
ティアは顔も上げない。
「昨日から言っとる」
「昨日と理由が変わった」
そこでティアが顔を上げた。
「何が違う」
アルスは授業の救助課題を説明する。
遠隔情報。
現地までの距離。
物資。
荷物。
速度。
救助対象。
全部話し終えると、ティアは少しだけ黙った。
「ようやく自分の荷物以外を見たか」
アルスが首を傾げる。
「自分の?」
「野外実習では、お主ら五人が楽になる道具として見とったじゃろ」
「うん」
「今度は違う」
アルスも頷いた。
五人が便利になる。
そこから。
誰かへ何かを届ける。
そちらへ視点が変わった。
アイリスが言う。
「救助だけではないと思います。物を運ぶ仕事なら全部関係しますよね」
レインも続ける。
「冒険者も商人も騎士も」
リリアが言う。
「医療も」
シリウスが最後に言う。
「食料も」
アルスが笑う。
「そこは外さないんだね」
「大事だから」
ティアは試験機を机へ置いた。
「なら覚えとけ」
五人が見る。
「便利な魔道具を一つ作ったくらいで、世界中の荷物が急に軽くなるわけではない」
アルスは頷く。
作れる数。
材料。
魔石。
職人。
値段。
故障。
流通。
一つ作れた。
それと。
世界で使える。
その間には。
まだ大きな距離がある。
「まず作れ」
ティアが言う。
「次に同じものを作れるようにせい。その次に、他の者が作れるようにする。それからようやく数が増える」
シリウスが言う。
「長いな」
「世界を変えるならな」
アルスはその言葉に少し違和感を覚えた。
世界を変える。
自分が。
そんな気はしない。
だから、そのまま言った。
「世界を変えたいわけじゃないよ」
ティアが少し笑う。
「なら何がしたい」
アルスは考える。
今日の山。
届いている映像。
届かない薬。
「困ってる場所に、必要な物が届くのを少し早くしたい」
それが。
今一番近かった。
ティアは頷く。
「なら十分じゃ」
その日から、六固定点型の目的が少し変わった。
六個を七個にする。
七個を十個にする。
ただ数を増やすのではない。
同じ外装。
同じ程度の魔石消費。
同じ携帯性。
その条件をできるだけ崩さず。
もっと運べるようにする。
アルスは新しい研究項目の最初に書いた。
――収納容量拡張。
その下へ。
――目的:携行物資量を増やしても、移動負担を増やさない。
さらに少し考え、一行追加する。
――情報が届いた場所へ、物も今より早く届くようにする。
研究室の外では。
今日も遠くの街の映像が王都へ届いている。
音楽も。
試合も。
事故も。
天気も。
世界の情報は、すでに速い。
それに比べれば。
物はまだ遅い。
アルスが今触っている小さな空間魔法陣は。
その差を。
ほんの少しだけ縮めるものになるかもしれなかった。




