第7話 十二歳へ
洗礼式が終わったからといって、アルスの生活が急に変わることはなかった。
結果は良好。
魔素の状態も、制御の傾向も安定している。
家族は喜んだし、アルス自身も悪い気はしなかった。
ただ、それで満足したわけでもなかった。
「結局、今の状態が分かっただけなんだよな」
部屋で記録を見ながら呟くと、浮遊観測体が答える。
『はい。洗礼式の結果は、観測時点の状態を示したものです』
「やっぱりそうだよね」
強い。
安定している。
制御しやすい。
それは結果として嬉しい。
でも、それだけで未来が決まるわけではない。
だからアルスは、洗礼式の結果を特別な称号のようには扱わなかった。
むしろ気になったのは、その後だった。
十歳を過ぎると、学ぶ内容が少しずつ増えた。
魔法だけではない。
社会制度。
契約。
歴史。
地理。
魔物。
冒険者。
商業。
種族ごとの文化。
前世の記憶があるから簡単、ということはなかった。
むしろ逆だった。
似ている言葉ほど危ない。
「これ、前世の常識で考えると違うな」
ある日、アルスは本を閉じた。
エリシアが横から覗き込む。
「何が?」
「契約」
「契約?」
「うん。昔知ってた仕組みと似てるけど、こっちは観測記録が前提に入ってる」
「当たり前じゃない?」
「僕には当たり前じゃなかったんだよ」
エリシアは少し不思議そうな顔をした。
「そういうところ、たまに変よね」
「自覚はある」
前世では口約束と書面が中心だった。
この世界では、本人認証や観測記録が日常に組み込まれている。
同じ「契約」でも前提が違う。
アルスはそういう違いを一つずつ拾っていった。
魔法も続けていた。
派手な技を増やすより、使い方の幅を広げる。
光を出す。
位置を変える。
複数に分ける。
明るさを調整する。
一定時間維持する。
ある日、クラウスが庭でそれを見て言った。
「お前、相変わらず地味だな」
「またそれ?」
「だって十二歳近くなって、まだ光だぞ」
「使いやすいから」
「火とか風とかやれよ」
「兄様がやればいいじゃん」
「俺はやってる」
「じゃあ問題ないね」
クラウスが一瞬黙る。
「そういう返しするようになったよな」
「成長したから」
「そこは否定できない」
二人で笑った。
身体も少しずつ変わった。
五歳の頃の小さな手は、もう完全に子供の手ではあるものの、以前よりずっと大きい。
体力もついた。
長く歩いても疲れにくくなり、魔法を使った後の消耗も少なくなった。
アルスは記録を見返して、それが単なる感覚ではないことを確認する。
「やっぱり成長してる」
『五歳時点と比較すると、魔法使用後の回復時間は短縮しています』
「どのくらい?」
『同条件での単純比較はできません。使用内容が異なるためです』
「そこはちゃんとしてるね」
『推測値を表示しますか?』
「いや、いい。比較できないなら比較しなくていい」
数字があると、つい正確に見える。
でも、条件が違えば意味も変わる。
そこは気をつけていた。
十一歳になる頃には、学園の話が家の中で増えた。
「制服、もう仕立て始めるって」
エリシアが言う。
「早くない?」
「早くないわよ。入学直前に慌てる方が大変でしょう?」
「まだ一年近くあるよ?」
「成長するから調整できるように作るの」
「なるほど」
「本当にこういうこと知らないのよね」
「知らないものは知らない」
アルスは素直に答えた。
学園。
十二歳から十五歳まで。
同年代が集まり、魔法だけでなく一般教養や実技、社会制度などを学ぶ場所。
アルスは少し楽しみにしていた。
家で学べないことがある。
自分と違う考え方をする人間もいる。
違う種族もいる。
違う育ち方をした人間もいる。
その環境自体に興味があった。
「友達できるかな」
ぽつりと言うと、マリーが笑った。
「そこ心配なんですか?」
「分からないから」
「坊ちゃまなら大丈夫ですよ」
「根拠は?」
「話しかければ普通に話しますし」
「普通かな」
「少なくとも、思ってるよりは普通です」
「それ褒めてる?」
「褒めてます」
たぶん、と最後に付け加えた。
十二歳の誕生日が近づく。
入学準備も整っていく。
教材。
制服。
必要な道具。
観測体の学園用設定。
アルスはその一つ一つを確認した。
前世で学校へ通った記憶はある。
でも、それは地球の学校だ。
ポテンシアの学園とは違う。
同じだと思わない方がいい。
それだけは、もう何度も学んでいた。
入学前夜。
アルスは机に置いた制服を眺めていた。
五歳で前世を思い出した。
十歳で洗礼式を受けた。
そして十二歳。
次は学園。
ここから先は、これまでより多くの人間と関わることになる。
家族だけではない。
教師。
同級生。
上級生。
違う種族。
違う価値観。
何が起きるかは分からない。
誰と仲良くなるかも分からない。
アルスは制服に手を触れた。
「ここからは、今までより面白そうだな」
浮遊観測体が静かに光る。
『明日の起床時刻を設定しますか?』
「お願い」
『設定しました』
「寝坊したら?」
『起こします』
「助かる」
アルスは笑って、ベッドへ向かった。
十二歳。
学園生活が始まる。
そして、その三年間が自分の人生を大きく変えることを。
今のアルスは、まだ知らなかった。




