第6話 見えるもの、見えないもの
神殿は、アルスが思っていたよりも大きかった。
高い天井。磨かれた床。静かに響く足音。正面には淡い光を放つ紋章が浮かび、壁際にはいくつもの観測用装置が並んでいる。
十歳の節目に集まった子供たちは、それぞれ家族と一緒に順番を待っていた。
「人、多いね」
アルスが小声で言うと、隣にいたクラウスが肩をすくめた。
「当たり前だろ。この辺りの十歳が集まってるんだから」
「兄様の時もこんな感じだった?」
「似たようなものだったな。もっと緊張してたけど」
「今も少し緊張してる」
「やっと普通っぽいこと言ったな」
「失礼だな」
少し離れたところでエリシアが笑っている。
ソフィアはそんな二人を見ながら、アルスの襟元を軽く整えた。
「大丈夫。いつも通りでいいのよ」
「うん」
アルベルトは短く頷いただけだった。
やがて名前が呼ばれる。
「アークライト家、アルス・フォン・アークライト殿」
アルスは一歩前に出た。
中央の台の前には、白と金の装束をまとった男と、その隣に記録用の端末を持った女性が立っていた。
「来たか。アルス・フォン・アークライト」
穏やかな声だった。
「はい。よろしくお願いします」
「緊張する必要はない。ここは試験の場ではなく、観測の場だ」
その言い方に、アルスは少しだけ安心した。
隣の女性が台の上の装置を確認する。
「それでは始めます。右手をこちらへ」
言われた通り、アルスは手を置いた。
ひんやりとした感触。
次の瞬間、装置の内部で淡い光が走った。
手のひらから腕へ、腕から肩へ。
直接何かが流れ込んでくるわけではない。
けれど、自分の中の魔素へ何かが触れている感覚がある。
アルスは無意識に観察していた。
熱ではない。
圧力でもない。
引っ張られている感じとも違う。
ただ、反応している。
「そのままで」
女性が静かに言う。
光が少し強くなる。
数秒。
さらに数秒。
そして、装置の光がゆっくり落ち着いた。
女性が記録を確認する。
一瞬だけ、その目が細くなった。
アルスは気付いた。
「何か変でした?」
「いいえ」
女性はすぐに首を横に振った。
「少し強く、そして安定しています」
白と金の装束の男も記録を見る。
「制御の傾向も悪くない」
「それって良いの?」
アルスが聞くと、男は笑った。
「良い結果だ」
「どのくらい?」
「そこを気にするか」
「気になるから」
男は少し考える。
「同年代の中では、十分に高い部類だろう」
「一番ではない?」
その場にいた何人かが少し驚いた顔をした。
男は笑う。
「一番かどうかは分からない」
「測ってるのに?」
「測れている範囲が限られているからだ」
その答えに、アルスの興味が向いた。
「限られてる?」
「ああ。今この瞬間のお前の魔素状態、制御傾向、身体との馴染み。そういうものは見える」
男は装置へ視線を向ける。
「だが、これからどれだけ伸びるか。何を学ぶか。どんな失敗をするか。誰と出会うか。そこまでは見えない」
アルスはしばらく黙った。
それは、父が言っていたことと同じだった。
十歳の今が見えるだけ。
未来ではない。
「じゃあ、この結果で何か決まるわけじゃないんだ」
「その通り」
女性も頷いた。
「参考にはなります。でも、それ以上ではありません」
アルスはもう一度装置を見る。
数字や表示が並んでいる。
強い。
安定している。
制御傾向も良好。
悪い結果ではない。
むしろ、かなり良い。
でも、それで何かが終わった感じはしなかった。
「他には?」
女性が少し首を傾げる。
「他に?」
「もっと何か分かるの?」
「現時点で必要な観測はこれで十分です」
「そうなんだ」
少しだけ物足りない。
その顔に出たのか、男が笑った。
「もっと特別な何かが出ると思っていたか?」
アルスは正直に答えた。
「少し」
「残念だったな」
「残念ってほどじゃないけど」
「それでいい」
男は穏やかに言った。
「見えるものだけが、すべてではない」
アルスは顔を上げる。
「見えないものの方が多い?」
「そうだな」
男は頷いた。
「人の可能性の多くは、まだ見えないところにある」
その言葉は、妙に心に残った。
式が終わり、アルスは家族の元へ戻った。
「どうだった?」
真っ先にエリシアが聞いてくる。
「良かったみたい」
「みたいって何だよ」
クラウスが笑う。
「もっと喜べばいいだろ」
「嬉しいよ。でも、これからの方が大事なんでしょ?」
クラウスは少し黙った。
「まあ、それはそうだけど」
ソフィアが微笑む。
「アルスらしいわね」
アルベルトは結果を確認してから、静かに言った。
「悪くない」
「父様、それ褒めてる?」
「十分に」
「分かりにくいよ」
エリシアが吹き出す。
家族と一緒に神殿を出る。
外の光が少し眩しかった。
十歳の洗礼式。
結果は良好。
魔素の状態も、制御の傾向も安定していた。
それは確かだ。
でも。
アルスは歩きながら、自分の手を見る。
見えるものだけが、すべてではない。
その言葉を頭の中でもう一度繰り返した。
五歳の時、魔法を初めて使った。
十歳の今日、自分の現在が少し見えた。
次は何を見るのか。
まだ分からない。
だから面白い。
アルスは前を向いた。
十二歳まで、あと二年。
学園へ入るまでの時間は、まだ少し残っている。




