第66話 帰るまでが実習
帰り道は、行きより静かだった。
疲れているからではない。三日間で、見る場所が増えたからだった。
シリウスは前を歩きながら、地面だけではなく木の枝や草の倒れ方も見ている。レインは道だけではなく、五人の間隔と後方を時々確認する。アイリスは杖を持つ手を楽にしながら、視界の開ける場所では少し遠くまで見る。リリアは全員の歩き方と呼吸を見る。
アルスも、周囲の魔素だけを追わなくなっていた。
行きには気付かなかった小さな変化が、帰りには少し見える。
「あそこ、昨日通った場所だ」
シリウスが言う。
レインが周囲を見る。
「本当だ。行きはもっと広く感じたけど」
「荷物が重かったからじゃない?」
アルスが言うと、シリウスが振り返る。
「それ絶対ある」
五人は笑った。
荷物の量は、ほとんど変わっていない。使った食料や水が減った分だけ少し軽い。それでも、三日前より歩きやすく感じる。
道を知っている。
休める場所を知っている。
自分たちがどのくらい歩けるかも、少し分かっている。
知らないものが減った分だけ、同じ道が違って見えた。
午前の途中で休憩を取る。
シリウスは自分から靴を脱いだ。
リリアが少し驚く。
「今日は言われる前ですね」
「また痛くなってから言われるの嫌だから」
「良いことです」
「褒められた」
踵は赤みが残っているが、悪化していない。
アルスも自分の腕の傷を見る。昨日の浅い傷はもうほとんど気にならない。
レインが水を飲みながら言う。
「昨日のオーク、追ってこなくて良かったね」
シリウスが答える。
「今日も出たらさすがに嫌だな」
「戦いたくない?」
「戦うのはいいけど、帰る日に増やしたくない」
「分かる」
アイリスが笑う。
「三日前なら、出会ったらどう戦うかを先に考えていた気がします」
リリアも頷く。
「今は、出会わない方がいいと思いますね」
アルスはそれを聞いて少し考えた。
強くなったか。
三日前より戦えるようになったか。
それは分からない。
でも、戦わずに済ませる価値は前より分かるようになった。
休憩を終え、また歩き始める。
昼前。
行きに足跡を見つけた場所へ近付いた。
シリウスが自然に速度を落とした。
全員も合わせる。
地面を見る。
昨日までの足跡は残っているが、新しい大きな跡はない。
アルスも周囲の魔素を見る。
強い反応なし。
鳥の声もある。
「普通そう」
アルスが言う。
シリウスがすぐ返す。
「“普通”は信用していい?」
「昨日よりは」
「微妙だな」
レインが笑う。
「絶対安全って意味じゃないでしょ」
「うん。今見える範囲で異常がないだけ」
シリウスが頷く。
「それなら分かる」
そのまま通過する。
誰も立ち止まって詳しく調べようとはしなかった。
昨日なら気になったかもしれない。
今日は。
帰る。
それが目的だった。
午後。
道が少し開ける。
森の密度が下がり、遠くに草地が見え始める。
シリウスが大きく息を吐いた。
「森終わった」
レインが言う。
「まだ帰ってないよ」
「分かってるけど、一区切り」
その感覚は全員同じだった。
視界が広がるだけで、肩の力が少し抜ける。
アルスは試作一号を確認する。
外装に大きな傷なし。
固定具問題なし。
表示正常。
予備薬。
予備魔石。
残りの水。
最後まで、必要な時だけ使った。
試作一号そのものに大きな不具合は出なかった。
ただ。
使って初めて見えた問題は多い。
容量。
薬の識別。
携帯者。
負傷時の荷物移動。
装着位置。
金具の音。
中に何を入れるか。
魔法陣だけ直せば完成する道具ではない。
それが、三日間でかなりはっきりした。
「アル、また考えてる?」
レインが聞く。
「うん」
「収納魔道具?」
「それも」
「それも?」
アルスは少し前を歩くシリウスを見る。
その後ろを歩くレイン。
自分。
アイリス。
リリア。
「五人のことも」
シリウスが聞きつける。
「俺たち?」
「うん」
「何?」
「まだ分からない」
「またそれか」
「分からないものは仕方ないでしょ」
シリウスが笑った。
夕方になる前に、王都の外縁が見えた。
行きには。
ここから先が外だった。
帰りには。
ここから先が戻ってきた場所になる。
道も。
建物も。
人の数も。
少しずつ増える。
荷車の音。
話し声。
魔道具の光。
人の魔素。
森の中とは違う密度。
アルスはその違いを、行きよりはっきり感じた。
「うるさいな」
シリウスが言う。
アイリスが見る。
「王都が?」
「森から戻ると」
レインも頷く。
「僕も思った」
リリアが少し笑う。
「三日しか離れていませんけどね」
三日。
短い。
でも。
十分だった。
やがて学園の正門が見える。
シリウスが少しだけ速くなる。
「着いた」
レインがすぐ言う。
「まだ門の前」
「もういいだろ」
「最後まで」
「真面目だなあ」
五人は、そのままの速度で門をくぐった。
出発した朝と同じ場所。
でも。
戻ってきた五人は。
少しだけ違う。
まず装備を返す。
共有物を確認。
破損。
不足。
使用量。
怪我。
実習中の接触。
全部を報告する。
それが終わって。
ようやく。
五人は研究室へ向かった。
ティアは、いつものように机の前にいた。
「帰ったか」
シリウスが言う。
「ただいま」
ティアが見る。
「誰か死んだか」
「いきなりそこ?」
「全員おるならよい」
それだけ。
でも。
アルスは少し笑った。
机へ試作一号を置く。
ティアが手に取る。
外装。
帯。
金具。
表示。
一つずつ見る。
「壊れんかったか」
「大きな問題はなかった」
「小さい問題は?」
アルスは記録板を出す。
「いっぱいある」
「なら成功じゃ」
シリウスが首を傾げる。
「問題いっぱいなのに?」
ティアは試作一号を置く。
「外へ持っていって何も分からんかった方が失敗じゃ」
アルスも同じことを思っていた。
研究室で。
壊れない。
動く。
保存できる。
それだけなら。
もう確認した。
外へ出て。
初めて分かった。
道具が人と一緒に動く時。
別の問題が出る。
アルスは記録を一枚ずつ机へ広げる。
装着位置。
接触音。
携帯者の位置。
予備物資の考え方。
負傷者移動時の荷物収納。
薬品の識別。
容量不足。
調理済み食品。
夜間利用。
外装。
魔石消費。
ティアが一つずつ見る。
「多いの」
「うん」
「どれからやる」
アルスはすぐには答えなかった。
以前なら。
全部直したくなったかもしれない。
でも。
一つずつ。
何度も。
それをやってきた。
アルスは紙を分ける。
すぐ直せるもの。
外装金具の音。
薬袋の識別。
帯の位置。
次。
設計変更が必要なもの。
容量。
固定点数。
中身の管理。
さらに。
運用側の問題。
誰が持つか。
何を入れるか。
班でどう共有するか。
「まず、魔法陣を触らなくても直せるところ」
ティアが頷いた。
「次は?」
「その後に容量」
シリウスが言う。
「やっぱり増やす?」
「欲しいでしょ」
「欲しい」
「僕も」
アイリスが言う。
「五枠では、実際にはかなり選ぶ必要がありましたね」
リリアも続ける。
「選ぶこと自体は大切ですけど、緊急用の枠を空けると実質四つです」
レインが言う。
「だから、ただ数を増やせばいいのかも考えないとね」
アルスが頷く。
十個。
二十個。
たくさん。
増やすだけなら。
また別の問題が出る。
何がどこにあるか。
どう取り出すか。
間違えないか。
容量が増えるほど。
使う側の問題も増える。
ティアが言う。
「ようやく道具らしくなってきたの」
アルスが見る。
「今まで違った?」
「今までは、動く現象を作っとった」
試作一号。
アルスは机の上の小さな革の外装を見る。
入口を作った。
物を入れた。
時間を止めた。
五個入れた。
持ち歩いた。
そして。
外へ出た。
ここから。
使う人の道具になる。
その日の最後。
アルスは三日間の記録の一番下へ書いた。
――野外実地試験終了。
少し考える。
――収納機能、時間停止、携帯機能に重大な異常なし。
その下。
――実使用による改善項目、多数。
シリウスが覗く。
「本当に“多数”って書いた」
「実際多いから」
「雑じゃない?」
「後ろに全部書いてある」
「ならいいか」
最後の一行。
アルスは少しだけ迷った。
それから書く。
――研究室で完成したものを、外で完成させていく。
ティアが横から見る。
「まだ完成とは書くなよ」
アルスが笑う。
「書いてないよ」
「ならよい」
五人も笑った。
三日間の野外実習は終わった。
でも。
試作一号の実地試験は。
むしろ。
ここから始まる。




