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第61話 夜を越える

石造りの中継地点へ着いた頃には、空の色がかなり落ちていた。


完全な砦ではない。


低い石壁と、雨風をしのぐための簡素な建物。

周囲には野営できる広場があり、実習へ参加している他の班も少しずつ到着している。


シリウスは広場へ入った瞬間、背負っていた鞄を下ろした。


「重かった」


レインも剣帯を少し緩める。


「最後の坂がきつかったね」


「坂より荷物」


「荷物より空腹じゃない?」


アルスが言うと、シリウスは即座に頷いた。


「それ」


アイリスが呆れた顔をする。


「まだ設営が先ですよ」


「飯の前に?」


「当然です」


「外は厳しい」


リリアが笑いながら、周囲を見る。


休憩場所へ着いたからといって、すぐ座って終わりではない。


寝る場所。


火を使う場所。


荷物を置く場所。


夜間に誰がどこを見るか。


暗くなる前に決める必要がある。


レインが地面を見る。


「こっちは少し傾いてる」


アルスもしゃがむ。


雨が降れば、水が流れそうな跡がある。


「寝るならもう少し上かな」


シリウスは周囲を一度回った。


「壁際は風は弱い。でも向こう側が見えにくい」


アイリスが言う。


「完全に壁へ寄せるのも良くなさそうですね」


リリアは足元の草を見る。


「この辺りなら地面も乾いています」


五人で少しずつ位置を変えながら、ようやく場所が決まる。


学園の訓練場なら。


決められた場所へ行けばいい。


外では。


場所を決めるところから始まる。


寝具を出す。


雨具を近くに置く。


武器はすぐ手が届く場所。


水。


発光魔道具。


簡単な調理道具。


必要なものだけを出して。


使わないものは鞄へ戻す。


アルスは腰の試作一号を見る。


表示は四つ点灯。


朝から変わらない。


「開ける?」


シリウスが横から聞く。


「待ってたでしょ」


「当然」


「そんなに?」


「朝から」


レインが笑う。


「ここまでずっと言ってたもんね」


アルスは三番目の表示へ触れる。


入口が開く。


内部の固定点を指定。


調理済みの食事を取り出す。


容器を受け取った瞬間。


シリウスの顔が変わった。


「温かい」


アイリスも触れる。


「本当に朝のままですね」


蓋を開ける。


湯気が出る。


匂いも。


研究室で確認した時と変わらない。


今日の朝。


学園で用意した煮込み料理。


それが。


一日歩いた後。


そのまま出てきた。


シリウスが言う。


「これだけで作った意味あるだろ」


アルスが笑う。


「まだ早いよ」


「いや、もう十分」


「研究としては十分じゃない」


「食べる側としては十分」


そこは。


確かに違う。


火を起こす。


水を温める。


保存食を柔らかくする。


普通なら。


そこから夕食になる。


今日は。


ほとんど何もしなくていい。


温かい料理を。


そのまま分ける。


レインが食べながら言う。


「時間だけじゃなくて、疲れ方も変わるね」


アイリスも頷く。


「調理しなくていい分、休む時間が増えます」


リリアが言う。


「夜の準備にも時間を使えますね」


アルスは匙を止めた。


そこだった。


温かい。


美味しい。


便利。


それだけではない。


外で過ごす時間そのものを変える。


作業を減らす。


火を使う時間を減らす。


休める。


警戒へ人を回せる。


シリウスが食べながら言う。


「火を使わなくてもいい場所もあるよな」


レインが見る。


「魔物が近くにいる時とか?」


「匂いとか煙を出したくない時」


アルスも考える。


火を使えない。


あるいは。


使わない方がいい場所。


そこでも。


温かい食事を取れる。


アイリスが言う。


「逆に、温かいものを入れなくてもいいんですよね」


「どういうこと?」


「昼に余った食事をそのまま入れて、夜に食べるとか」


リリアも続ける。


「調理する場所と、食べる場所を分けられますね」


また。


使い道が増える。


アルスは食べ終わってから記録板を取り出した。


シリウスが見る。


「今書くの?」


「忘れる前に」


「食後くらい休めばいいのに」


「これ書いたら」


短く。


――野営時、調理作業時間の短縮。

――火・煙・匂いを出せない状況での食事利用可能性。

――調理場所と食事場所を分離可能。


書いて。


閉じる。


「終わり」


シリウスが満足そうに頷く。


「よし」


夕食が終わる頃。


周囲はかなり暗くなっていた。


昼とは違う。


同じ場所なのに。


見える範囲が狭い。


離れた場所から。


他の班の声。


火の音。


誰かが歩く音。


風。


虫。


木の葉。


色々な音が混ざる。


アルスは。


夜の外にいるだけで。


昼より情報が減ると思っていた。


でも。


違った。


見えるものが減った分。


音が増えたように感じる。


シリウスも。


昼とは雰囲気が違った。


さっきまで食事の話ばかりしていたのに。


今は。


広場の外側を見ている。


レインが言う。


「夜の順番決めよう」


五人。


全員が同時に寝るわけにはいかない。


二人ずつ。


交代。


一人だけになる時間をできるだけ作らない。


リリアが予定を書いていく。


最初。


レインとアイリス。


次。


アルスとシリウス。


最後。


アルスとリリア。


アルスが見る。


「僕二回?」


レインが言う。


「中央役だから?」


「それ理由になってる?」


シリウスが笑う。


「昼間ずっと周り見てたし」


リリアは少し困った顔をした。


「無理なら変えましょう」


アルスは首を振る。


「大丈夫。ただ、次からはちゃんと均等にしよう」


「はい」


夜の警戒も。


やってみなければ分からない。


最初の組。


レインとアイリス。


アルスたちは寝具へ入る。


シリウスが横になった瞬間に言った。


「寝られるかな」


数分後。


寝ていた。


アルスは少し笑う。


目を閉じる。


地面。


硬い。


学園の寝台とは違う。


小さな音が。


気になる。


誰かが歩く。


風が吹く。


遠くで。


何か鳴く。


眠れそうで。


意識が戻る。


また。


目を閉じる。


どのくらい経ったか。


肩を軽く叩かれた。


「アル」


レインだった。


「交代」


アルスは起き上がる。


体が少し重い。


隣を見る。


シリウスはまだ寝ている。


「シリウス」


「……起きてる」


「寝てたよ」


「今起きた」


二人で外へ出る。


夜気。


冷たい。


アルスは試作一号を腰へ付け直す。


予備水を一つ出す。


シリウスと分けて飲む。


「これ便利だな」


「水?」


「予備がすぐ出るの」


「普通の鞄でも出るよ」


「奥に入ってたら面倒だろ」


それも。


小さな違いだった。


収納物には。


場所が決まっている。


探さなくていい。


何がどこにあるか。


分かっていれば。


暗闇でも。


取り出せる。


アルスは記録したくなった。


でも。


今は書かない。


夜の見張り。


それが仕事。


二人で。


少し離れて立つ。


シリウスが小声で言う。


「昼より見えない」


「うん」


「でも音は分かる」


「何かいる?」


「今は人」


少し離れた班。


寝返り。


誰かの咳。


火に薪が落ちる音。


それ以外。


森の方。


時々。


小さな音。


シリウスが首を傾ける。


アルスも。


魔素へ意識を向ける。


昼より。


静か。


人が動かない。


だから。


遠くの小さな変化が。


少し分かりやすい。


「左」


二人が同時に言った。


顔を見合わせる。


シリウスが笑う。


「いた?」


「何かは分からない」


「俺も」


森の端。


暗い。


見えない。


でも。


何かが。


少し移動した。


シリウスはすぐ。


そちらへ行こうとはしなかった。


昼なら。


確認へ出たかもしれない。


夜。


見えない。


班から離れる。


それ自体が。


危険。


「近付いてくる?」


アルスが聞く。


「今は横に動いてる」


アルスも。


魔素の揺れを見る。


確かに。


こっちではない。


遠ざかっている。


「ならそのまま」


「うん」


二人は。


動かなかった。


何かを見つけたら。


確かめる。


それが正しいとは限らない。


見つけても。


放っておく。


そういう判断もある。


しばらくして。


反応は消えた。


シリウスが小さく息を吐く。


「昼だったら見に行ってたな」


「僕も止めなかったかも」


「夜怖いな」


「うん」


素直だった。


さらに時間が過ぎる。


眠気。


立っているだけでも。


来る。


シリウスが何度か屈伸する。


「眠い」


「僕も」


「戦うよりきついかもしれない」


「何も起きないからね」


「それ」


何も起きない。


でも。


何も起きないことを。


確認し続ける。


それが。


想像以上に疲れる。


交代時間。


今度はリリアを起こす。


シリウスはすぐ寝具へ戻った。


「おやすみ」


「早い」


アルスはそのまま残る。


リリアが隣へ来る。


「眠くありませんか?」


「眠い」


「ですよね」


「リリアは?」


「起きたばかりなので、まだ」


少し。


静かな時間。


リリアは。


周囲を見るだけではなく。


時々。


アルスも見る。


「何?」


「顔色です」


「僕?」


「はい」


「見張りなのに?」


「アルスも見張るものの一つです」


アルスは笑った。


「それ何?」


「疲れて倒れたら困ります」


確かに。


二回続けて見張りへ入った。


自分では。


まだ動けると思う。


でも。


判断力まで同じか。


それは分からない。


リリアが言う。


「次から二回連続はやめた方がいいです」


「そうだね」


すぐ認めた。


実際にやれば。


分かる。


中央にいるから。


周囲を見られるから。


そんな理由だけで。


負担を偏らせるのは違う。


「昼も中央だったでしょう?」


「うん」


「夜まで多く見る必要はありません」


アルスは。


少し考える。


「リリアって、みんなの疲れ見るの得意だよね」


「そうでしょうか」


「僕が気付くより先に言う」


リリアは少し笑った。


「自分の疲れは見えにくいですから」


「リリア自身は?」


「……それは」


少し止まる。


アルスが笑う。


「同じじゃん」


リリアも笑った。


「そうですね」


夜。


静かな時間。


大きな出来事はない。


それでも。


昼にはしない話を。


少しだけする。


空が。


少しずつ変わる。


真っ黒だった端が。


薄くなる。


遠くから。


鳥の声。


夜が終わる。


リリアが言う。


「朝ですね」


アルスも頷く。


「何もなかった」


「良かったです」


その言葉が。


今日一番。


正しい気がした。


全員が起きる。


シリウスは。


起きた瞬間。


第一声。


「腹減った」


アイリスが呆れる。


「昨日あれだけ食べたでしょう」


「朝は別」


レインも起き上がりながら言う。


「眠れた?」


「めちゃくちゃ」


アルスが見る。


「僕たちが見張ってる間ずっとね」


「ありがとう」


「軽いなあ」


朝食。


今度は。


普通の保存食。


収納魔道具の中には。


予備だけ残す。


食べながら。


昨夜のことを共有する。


森の端に。


何かがいたこと。


近付いてこなかったこと。


追わなかったこと。


レインが頷く。


「それで良かったと思う」


アイリスも言う。


「夜に班から離れる方が危険です」


シリウスは少し得意そうだった。


「俺も成長した」


アルスが笑う。


「自分で言う?」


「言う」


片付け。


荷物。


寝具。


火。


残したものがないか。


全員で確認する。


昨日。


着いた時より。


少しだけ早い。


やったことがあるから。


動きが分かる。


アルスは。


最後に。


試作一号を確認する。


薬。


予備水。


予備魔石。


空き。


調理済み食事を使った分。


一枠。


さらに空いた。


空きは。


二つ。


シリウスが表示を見る。


「二個空いたな」


「うん」


「何か拾える」


「拾う前提なの?」


「外に来たんだから」


レインが言う。


「その前に今日の実習だね」


二日目。


昨日より。


森へ近付く。


索敵。


周辺観察。


そして。


状況によっては。


魔物への対応。


シリウスが前を見る。


「今日は歩くだけじゃなさそうだな」


アルスも。


同じ方向を見る。


朝の森。


昨日。


遠くから見ていた時より。


ずっと近い。


入口の木々の間。


その先。


何がいるかは。


まだ見えない。


でも。


五人は。


昨日より少しだけ。


外にいることへ慣れていた。


夜を越えた。


ただそれだけ。


でも。


学園の寝台で朝を迎えるのとは。


少し違う。


自分たちで見張り。


自分たちで休み。


全員で朝を迎えた。


五人は荷物を背負う。


試作一号も。


またアルスの腰へ戻る。


そして。


二日目の森へ向かって。


歩き始めた。

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