第60話 学園の外へ
出発の日。
まだ朝の空気が冷たいうちから、学園の正門前には野外実習へ向かう生徒たちが集まっていた。
普段の制服姿とは違う。
動きやすい服。
武器。
大きな鞄。
寝具。
水筒。
雨具。
班ごとにまとめた荷物もある。
シリウスは自分の鞄を背負った瞬間から、少し嫌そうな顔をしていた。
「昨日より重く感じる」
アルスが自分の荷物を確認しながら答える。
「中身同じでしょ」
「出発するって分かってるから重い」
「気持ちの問題?」
「たぶん」
レインは剣の位置を調整していた。
「歩いてるうちに、もっと重くなると思うよ」
「なんでそんなこと言うんだ」
「疲れるから」
「知りたくなかった」
アイリスが横で笑う。
リリアは五人分の薬の確認をしていた。
普段使う分は自分の鞄。
予備は。
アルスの腰に付いた収納魔道具・試作一号の中。
中身は昨日決めた通りだった。
一枠目。
予備の薬。
二枠目。
予備の水。
三枠目。
最初の夜に食べる調理済みの食事。
四枠目。
予備の魔石。
五枠目。
空き。
アルスは表示を確認する。
四つ点灯。
一つ空き。
問題なし。
「アル」
レインが呼ぶ。
「その位置で剣抜ける?」
アルスは腰を見る。
右側。
試作一号。
左側。
武器。
一度抜いてみる。
問題ない。
今度は姿勢を低くする。
少しだけ外装が腿へ当たる。
「昨日より上げたから大丈夫そう」
「走った時は?」
「それは外で見る」
シリウスが言う。
「もう研究始まってるじゃん」
「持って出た時点で始まってるよ」
「実習なのか研究なのか分からなくなってきた」
「両方」
五人は笑った。
やがて出発の合図が出る。
門が開く。
その先は。
何度も見た王都の道。
でも。
今日は違う。
遊びに行くわけでもない。
買い物でもない。
授業として。
自分たちの装備だけで。
この先を歩く。
シリウスが一歩先へ出た。
「行こうぜ」
レインも続く。
アイリス。
リリア。
アルス。
五人は学園の門を出た。
最初の一時間。
何も起きなかった。
王都周辺の道は整備されている。
人もいる。
荷車も通る。
五人は普通に歩く。
それでも。
訓練場とは違った。
地面が均一ではない。
少し傾いている。
小石。
轍。
水の跡。
歩くだけでも。
気にする場所が多い。
シリウスが先頭寄りを歩きながら振り返る。
「思ったより遅いな」
レインが言う。
「全員荷物持ってるからね」
「俺だけならもっと速い」
「班行動だから」
「分かってる」
シリウスは速度を落とす。
少しして。
今度はアルスが気付いた。
シリウスは。
ただ前を歩いているわけではない。
道の左右。
人の動き。
脇道。
地面。
かなり細かく見ている。
「何かある?」
アルスが聞く。
「何もない」
「じゃあなんでそんなに見てるの?」
「何もないのを確認してる」
アルスは少し笑った。
訓練の時。
シリウスは速い。
動く。
先に見つける。
そんな印象が強かった。
でも。
外では。
走ることより。
何もないことを確認する時間の方が長い。
レインも聞いていた。
「それ、疲れない?」
「走るよりは楽」
「目は?」
シリウスが少し考える。
「そっちは疲れるかも」
アルスは記録板を出しかけて。
やめた。
歩きながら書く必要はない。
覚えておけばいい。
少し進むと。
道が細くなった。
町の建物も減る。
畑。
草地。
低い木々。
遠くに。
森。
目的地は。
そのさらに向こう。
班の速度が。
自然に変わる。
シリウスが少し前。
レインが前寄り。
アルスが中央。
アイリスとリリアが後ろ寄り。
決めたわけではない。
でも。
訓練で何度も動いた形へ。
自然に寄っていった。
アイリスが言う。
「いつの間にか、いつもの位置ですね」
レインも気付く。
「本当だ」
シリウスが前から言う。
「俺ここが楽」
アルスも。
中央付近が見やすかった。
前。
後ろ。
左右。
それぞれ。
視界へ入る。
試作一号を自分が持つ意味も。
少し分かる。
誰かが必要とした時。
五人の中で。
比較的。
どこへでも動きやすい。
「今のところ、持つ人はアルスで良さそうですね」
リリアが言う。
「まだ一時間だけどね」
「それでもです」
また歩く。
二時間目。
最初に問題が出たのは。
収納魔道具ではなかった。
シリウスが立ち止まる。
「肩痛い」
レインが笑う。
「早いな」
「鞄の紐」
見ると。
片側だけ少しねじれている。
荷物を詰め直した時に。
帯が裏返ったらしい。
アイリスが呆れる。
「出発前に確認したでしょう?」
「したつもりだった」
「つもり」
リリアが直す。
それだけで。
かなり楽になったらしい。
シリウスが肩を回す。
「全然違う」
アルスが言う。
「魔道具より先に普通の鞄で問題出たね」
「それ言う必要ある?」
「ある」
小さな休憩。
水を飲む。
通常分。
まだ収納魔道具は使わない。
アルスは試作一号へ触れる。
外装。
異常なし。
帯。
異常なし。
表示。
四つ。
変化なし。
内部の魔石消費も。
予定範囲。
レインが覗く。
「問題ない?」
「今のところ」
「中の料理も?」
「時間止まってるなら」
シリウスがすぐ寄ってくる。
「確認する?」
「しない」
「一回くらい」
「夜まで開けない」
「厳しい」
また歩き始める。
昼前。
王都周辺の整備された道を外れた。
地面が変わる。
土。
草。
木の根。
道幅も狭い。
ここから。
五人の会話が減った。
誰かに言われたわけではない。
自然に。
見るものが増えたから。
シリウスが前方。
レインがその少し後ろ。
アルスは。
周囲の魔素も見る。
普段。
学園や王都の中では。
人。
魔道具。
建物。
色々な魔素が重なっている。
外は。
違う。
薄い。
広い。
だから。
小さな変化が分かりやすい。
風。
植物。
遠くの生き物。
正確に。
何がいるかまでは分からない。
でも。
何かが動いた。
その程度なら。
感じることがある。
アルスが足を止める。
レインも止まった。
「何かあった?」
「右」
全員の視線が向く。
低い草。
その向こう。
少しだけ。
揺れる。
シリウスが静かに前へ出る。
数秒。
見る。
戻る。
「小動物」
「何?」
「分からん。逃げた」
レインがアルスを見る。
「魔素で分かった?」
「何か動いたのだけ」
「種類は?」
「全然」
シリウスが言う。
「俺は動くまで分からなかった」
アルスも。
そこで理解する。
自分が感じるものと。
シリウスが見るもの。
同じではない。
どちらか一つで。
全部分かるわけでもない。
「両方あった方がいいね」
レインが言う。
「うん」
先へ進む。
昼。
休憩場所を決める。
見通し。
地面。
水場からの距離。
周囲に新しい足跡がないか。
シリウスとレインが先に見る。
アルスも魔素の違和感を確認。
アイリスは。
周囲へ魔法を使った痕跡がないか見る。
リリアは。
休める場所として問題がないか。
地面や植物を見る。
同じ場所を。
五人が。
別のものとして見ている。
「ここで良さそう」
レインが言う。
全員。
荷物を下ろす。
シリウスが座る。
「軽い」
「鞄下ろしたからね」
「ずっとこのままがいい」
「帰れなくなるよ」
昼食。
今日は普通の保存食。
収納魔道具の料理は。
夜。
シリウスは少し残念そうだった。
「昼でもいいのに」
アルスが答える。
「夜まで持ち歩いた時の確認もしたいから」
「研究者め」
「君も研究に参加してるよ」
「そうだった」
食べながら。
装備を見る。
一番使ったのは。
水。
次。
地図。
試作一号。
まだ一度も開いていない。
レインが言う。
「使わないまま持ってるのも試験になるんだね」
「うん」
アルスは試作一号を見る。
便利な道具だから。
何度も使う。
そう思っていた。
でも。
予備の薬。
予備の水。
予備の魔石。
本来。
使わない方がいいものも入っている。
必要になるまで。
安全に。
邪魔にならず。
持ち続ける。
それも役割だった。
午後。
さらに道は荒れる。
上り。
下り。
細い道。
時々。
木々の間を抜ける。
シリウスが先に止まる。
片手を上げる。
全員。
止まる。
今度は。
アルスには。
何も分からなかった。
シリウスが地面を指す。
「跡」
レインが近付く。
土に。
浅い凹み。
いくつか。
アルスも見る。
「何の?」
「分からない」
シリウスはしゃがむ。
「でも新しい」
アイリスが周囲を見る。
「一匹?」
「多分違う」
「どうして?」
「重なってる」
足跡らしきものが。
いくつも。
同じ方向へ伸びている。
リリアが聞く。
「進行方向と同じですか?」
シリウスが見る。
「途中までは」
アルスは。
周囲の魔素へ意識を向ける。
何か。
強いもの。
異常なもの。
今のところ。
感じない。
「避ける?」
アルスが聞く。
レインは地図を見る。
「道を変えるほどではないと思う。でも少し間隔を詰めよう」
全員が頷く。
誰が決めた。
という感じではなかった。
情報。
一つ。
判断。
一つ。
そのまま。
五人が動く。
歩き始める。
会話は。
さらに減った。
でも。
空気は重くない。
前を見るシリウス。
周囲と道を見るレイン。
魔素を見るアルス。
後方と遠距離を見るアイリス。
全員の状態を見るリリア。
学園で。
何度も練習した役割。
それが。
初めて。
本当に必要なものになっている。
夕方近く。
遠くに。
石造りの建物が見えた。
今日の目的地。
野外実習の中継地点。
まだ距離はある。
シリウスが大きく息を吐いた。
「見えた」
レインも少し表情を緩める。
「思ったより疲れたね」
アイリスが言う。
「まだ着いていませんよ」
「今くらい喜ばせて」
昨日までなら。
そのまま。
足を速めていたかもしれない。
でも。
今日は。
誰も急がなかった。
見えたからこそ。
最後まで。
同じ速度。
同じ隊列。
周囲を見る。
アルスは歩きながら。
腰の試作一号へ触れる。
朝から。
ずっとそこにある。
邪魔にはならなかった。
壊れてもいない。
中身も。
おそらく。
朝のまま。
でも。
今日一日で。
収納魔道具より。
ずっと多くのことを見た。
荷物の重さ。
歩く速度。
目の疲れ。
地面。
足跡。
隊列。
誰が何を見るか。
そして。
一人で全部を見ることはできない。
目的地へ近付くにつれて。
石造りの建物が。
少しずつ大きくなる。
シリウスが前を向いたまま言った。
「腹減った」
アルスが笑う。
「そこはずっと変わらないね」
「今日は温かい飯あるんだろ?」
「ある」
「なら頑張れる」
レインが言う。
「単純だなあ」
「大事だぞ」
その言葉には。
今日は。
誰も反対しなかった。
二泊三日の野外実習。
一日目は。
まだ終わっていない。
戦闘もない。
大きな事件もない。
ただ。
学園の外を歩いただけ。
それでも。
五人にとっては。
訓練場とは全く違う一日になっていた。




