第49話 初めて触る人
扉が開いた。
ティアの後ろに立っていたのは、三十代くらいの女性だった。淡い茶色の髪を後ろでまとめ、学園職員用の濃紺の制服を着ている。手には数枚の書類を抱えていた。
「連れてきたぞ」
ティアが言う。
女性は研究室の中を見回し、アルスたち五人へ軽く頭を下げた。
「事務室のエマ・ローデンです。ティア先生に、試作魔道具の使用試験を頼まれました」
声は落ち着いている。ただ、机の中央に置かれた試作八号を見る目には、少し警戒が混じっていた。
シリウスが小声でアルスに言う。「普通に警戒してるな」
「初めて見るんだから普通だよ」
アルスは立ち上がった。
「お願いします。危険な試験ではありません。ただ、生き物は入れないでください。それと、異常音が鳴ったら触らず離れてください」
エマが試作八号を見る。
「操作方法は?」
「最初は説明しません」
「……なるほど」
少しだけ笑った。
「私が使い方を見つけられるかを見るんですね」
アルスが頷く。
「はい」
「壊しても?」
アルスが一瞬止まる。
ティアが先に答えた。
「普通に触っとる範囲なら構わん」
「先生、それは僕が直すことになるんですけど」
「試作品とはそういうものじゃ」
エマが笑った。
緊張が少し抜ける。
机の上には試作八号と、小型発光魔道具が一つだけ置かれている。説明書は裏返してある。
エマはすぐには触らなかった。
まず全体を見る。
側面。
上面。
三つの小さな表示灯。
中央の円形部分。
最後に、手前の窪み。
「ここだけ形が違いますね」
アルスは答えない。
エマは一度アルスを見る。
「本当に何も言わないんですね」
「はい」
「分かりました」
窪みに指を置く。
そのまま少量の魔素を流した。
反応なし。
エマは眉を少し動かし、もう少し流す。
外周が光り、中央に揺らぎが生まれた。
確認灯が点く。
エマの手が止まる。
「開いた……のかな」
アルスはまだ答えない。
エマは中央を見る。
次に発光魔道具を見る。
そして、もう一度中央。
「これを入れる?」
独り言のように言って、発光魔道具を持ち上げる。
慎重に中央へ近づける。
先端が触れる。
そのまま押す。
発光魔道具が消えた。
同時に一つ目の表示灯が点く。
エマが少し目を見開いた。
「なくなった」
シリウスが笑いそうになり、アイリスに肘で止められる。
エマは表示灯を見る。
「一つ点いた。入っている数?」
アルスの手が記録板の上で止まった。
何も教えていない。
それでも伝わった。
エマは試作八号を少し見回す。
「閉じるのは……」
窪みへもう一度触れる。
魔素を流す。
中央の揺らぎが消えた。
確認灯も消える。
ただし、収納数を示す一つ目の灯りは残った。
「これは残るんですね」
エマは少し考えた。
「中身がある表示かな」
アルスが記録する。
――初見使用者、収納数表示を自発的に認識。
エマはすぐに次の操作へ進まなかった。
「これ、取り出すにはもう一度開けばいいんですよね?」
そこでアルスが初めて答えた。
「そう思った理由を教えてもらえますか?」
「入れる時と同じ場所しか操作するところがないからです。それに、中身の表示が残っているなら、消えたわけではないと思いました」
レインが小さく言う。
「ちゃんと伝わってる」
エマが再び起動する。
入口が開く。
ただし。
そこで止まった。
「……どこから出すんです?」
研究室が静かになる。
アルスの顔が変わった。
そこだった。
自分たちは知っている。
固定点の場所。
内部の仕組み。
だから、中央へ手を近づければ取り出せるつもりになっていた。
でも。
初めて使う人には分からない。
エマは入口を見ながら言う。
「入れる場所は中央だと分かりました。でも、出す方法は見た目では分からないです」
シリウスが小声で言う。
「見つかったな」
アルスが頷く。
大きな欠点。
それも。
自分たちでは気付かなかった欠点。
「ここからは説明します」
アルスが言った。
「中央へ手を近づけて、取り出したい物を意識しながら魔素を少し流してください」
エマが驚く。
「物を選べるんですか?」
「今は三つまでです」
「それ、最初に知りたかったです」
「ですよね」
アルスも笑った。
エマが操作する。
内部の固定点から発光魔道具が戻る。
一つ目の収納表示が消える。
エマは受け取った発光魔道具を見る。
「面白いですね」
アルスが聞く。
「使いにくかったところは?」
「取り出し方です。それ以外は、意外と分かりました」
「表示は?」
「三つあるので、三個まで入るのかなとは思いました。ただ、何が入っているかは分からないですね」
また。
全員が止まる。
アイリスが言う。
「確かに」
三つ入る。
それは分かる。
でも。
どこに何を入れたか。
使用者が覚えていなければならない。
シリウスが言う。
「俺、絶対忘れる」
「それは分かる」
アルスも即答した。
エマが少し笑う。
「同じような物を三つ入れたら、もっと分からなくなりそうですね」
レインが言う。
「表示だけじゃ足りない」
リリアも頷く。
「中身を区別できる方法が必要ですね」
アルスは記録板へ書き足す。
――初見使用者は起動、収納、閉鎖まで説明なしで実行。
――収納数表示の意味も推測可能。
――回収操作は外見のみでは判別できず。
――収納物の識別手段なし。
ティアがエマへ聞く。
「他に気になったことは?」
「重いですね」
全員が試作八号を見る。
誰もすぐには答えなかった。
エマは続ける。
「机の上で使うならいいですけど、持ち歩く物としては大きいです。冒険者向けなら、もっと小さくないと困ると思います」
アルスが笑った。
「それも課題です」
「あと」
「まだあります?」
「見た目が少し怖いです」
シリウスが吹き出した。
「怖い?」
「魔法陣が全部見えているでしょう。壊れそうで触りにくいです」
アルスは試作八号を見る。
研究者にとっては。
魔法陣が見えるのは便利だ。
どこが動いているか確認できる。
でも。
使う側にとっては。
剥き出しの内部構造。
エマが言う。
「普通の魔道具なら、使う人は中の魔法陣を見ませんよね」
ティアが笑った。
「その通りじゃ」
アルスは少し肩を落とす。
「外装も必要か」
「必要ですね。少なくとも私は、その方が安心して持てます」
研究室で作っている間には見えなかったものが。
短い時間で。
いくつも出た。
取り出し方。
中身の識別。
重さ。
大きさ。
外装。
魔法そのものとは。
ほとんど関係のない問題。
それでも。
道具としては重要だった。
「ありがとうございました」
アルスが言う。
エマは首を横に振った。
「こちらこそ。完成したら事務室でも使えそうですね」
「事務室?」
「書類を運ぶことが多いので。重い束を持たなくて済むなら便利です」
アルスが止まる。
食料。
水。
薬。
冒険者。
そこばかり考えていた。
でも。
収納する物は。
別に冒険道具でなくてもいい。
「書類」
アルスが記録する。
エマが少し笑った。
「今、それも研究対象になりました?」
「たぶん」
ティアがすぐ言う。
「用途を増やしすぎるな」
「はい」
全員が笑った。
エマが研究室を出た後。
シリウスが最初に言う。
「一人呼んだだけでいっぱい出たな」
「うん」
アルスは記録を見返す。
自分たち六人だけでは。
八号はかなり使いやすくなったと思っていた。
実際。
初見のエマでも。
開く。
入れる。
閉じる。
そこまではできた。
だから失敗ではない。
むしろ。
どこまで通じて。
どこから通じないか。
はっきりした。
レインが言う。
「次、取り出し方を分かりやすくする?」
「うん。それと中身の識別」
アイリスが言う。
「外装も」
リリア。
「小型化もですね」
シリウス。
「あと軽く」
アルスは笑った。
「一気に増えたな」
ティアが言う。
「それが外へ出すということじゃ」
アルスは試作八号を見る。
研究室の中では。
性能を見ていた。
外へ出そうとすると。
人を見ることになる。
どう触るか。
どこで迷うか。
何を怖がるか。
何に使いたいと思うか。
最後に記録へ一行足した。
――道具の問題は、使ってもらわないと見えないものがある。
試作八号は。
初めて研究室の外の人に使われた。
そして。
初めて。
研究者ではない人から。
「欲しい」と言われた。




