第44話 止まっていない時間
三日後。研究室の机には、二つのリンゴが並んでいた。
一つは研究室の棚に置いていたもの。もう一つは試作六号の内部へ入れていたもの。
シリウスが二つを見比べる。「もう分かるな」
アルスも頷く。「かなり違う」
外に置いていたリンゴは、少しだけ表面の張りが落ちている。色にもわずかな変化があった。内部に置いていた方は、入れた時とほとんど変わらない。
アイリスが記録を確認する。「重量も、内部の方はほとんど変化していません」
リリアが指で表面を軽く押す。「硬さもかなり残っていますね」
レインが外側のリンゴを見る。「三日なら、もっと差が小さいと思ってた」
「時間がかなり遅いからだと思う」
アルスは言ってから、すぐに付け足した。「可能性が高い、だけど」
ティアが少し笑った。「自分で直せるようになったか」
シリウスが内部側のリンゴを見る。「食べていい?」
「まだ」
「いつまで待つんだよ」
「もう少し測る」
「研究用のリンゴって大変だな」
アルスは二つのリンゴを詳しく記録する。重量、表面、色、硬さ。内部側には、少なくとも目立った劣化はない。
「これだけでも保存道具として使えるよね」レインが言う。
「使えると思う」
「じゃあ完成?」
シリウスがすぐ聞く。
アルスは試作六号を見る。「まだ古代の記録ほどじゃない」
「でも十分じゃない?」
「実用品としては、そうかもしれない」
ティアがそこで口を挟んだ。「二つを分けろ」
アルスが見る。
「何を?」
「研究上の完成と、使える道具としての完成じゃ」
アルスは少し考えた。
古代の保管遺物は、記録上では内部時間がほぼ止まっていた。今の試作六号は違う。時間は極端に遅いが、進んでいる。
研究として見れば、未完成。
でも、道具として見れば。
食料を数日、ほぼ変化させずに運べる。
それだけでも、普通の袋や箱とは比べものにならない。
「実用品を先に作ってもいい?」
アルスが聞く。
ティアが頷く。「研究を続けながらな」
アイリスが言う。「全部完成してから使い始める必要はないんですね」
「危険がなく、目的を満たすならの」
レインが試作六号を見る。「じゃあ今の問題は?」
アルスは記録を開いた。
大きい。
加工が難しい。
固定点は三つ。
魔素消費もまだ高い。
内部時間は完全停止ではない。
入口を開く操作も研究室向けで、誰でも簡単に使えるわけではない。
シリウスが言う。「結構あるな」
「あるね」
リリアが聞く。「最初に直すなら?」
アルスは少し考えた。
時間停止。
そこへ行きたい。
でも、実用品として考えるなら、その前にもっと大きな問題がある。
「使い方」
「使い方?」レインが聞く。
「今は僕たちが魔法陣を見ながら流量調整してる。これじゃ普通の人は使えない」
アイリスが頷く。「開くたびに研究者が必要になりますね」
シリウスが言う。「それは道具じゃないな」
「うん」
ティアが少しだけ笑った。
アルスは試作六号を見る。
これまでずっと、内部ばかり見てきた。
入るか。
残るか。
戻るか。
どこへ置かれるか。
時間はどう進むか。
でも道具にするなら。
使う人が何をするか。
そこも作らなければならない。
「先生、普通の収納魔道具にするなら、入口の開閉を一つの操作にできる?」
「できる形を考えろ」
「やっぱり自分で?」
「当たり前じゃ」
シリウスが笑う。「押したら開く、とかでいいじゃん」
アルスが見る。「押す?」
「魔素を流したら開く。もう一回やったら閉じる」
「それ、悪くない」
シリウスが驚く。「また採用?」
「使う人には分かりやすい」
アイリスも頷く。「細かい流量調整を毎回させるよりいいですね」
リリアが言う。「安全停止も自動にできると安心です」
レインが続ける。「開いてる時だけ魔素を使うなら、その方が消費も分かりやすい」
アルスは一気に記録する。
――起動操作を単純化。
――開口時のみ必要量を自動供給。
――安定範囲を超えた場合は自動停止。
――閉鎖操作も一つにまとめる。
「今まで手でやっていた部分を、魔法陣にやらせる?」
アルスがティアを見る。
「それが魔道具じゃ」
短い返事だった。
アルスは少し笑った。「最初からそこだった」
「遠回りしたか?」
「いや。中がどう動くか分からないと、自動化できなかった」
「なら遠回りではない」
その日の後半は、新しい試作の設計に使った。
試作七号。
内部構造は六号を基本にする。固定点三つ。入口と内部構造も維持。
追加するのは、起動制御。
使用者が魔素を流す。
一定量を超えたら入口を開く。
開口状態では必要な流量を自動維持。
もう一度操作すると閉じる。
異常が出れば強制停止。
「急に道具っぽくなったな」
シリウスが設計図を見る。
「今までも道具だったよ」
「研究装置っぽかった」
「それは分かる」
レインが言う。「これができたら、僕たちでもアルなしで使える?」
アルスの手が止まる。
それが大事だった。
「そうしたい」
アイリスが聞く。「魔法が得意じゃない人でも?」
「できれば」
リリアが言う。「それなら本当に広がりますね」
アルスは少し考え、条件を一つ追加する。
――高い魔素操作技術を要求しない。
ティアがそれを見る。「難しくなるぞ」
「分かってる」
「操作を簡単にするほど、道具側が複雑になる」
「うん」
また同じだった。
使う人を楽にするには。
作る側が難しくなる。
シリウスが言う。「俺は簡単な方がいい」
「使う側だからね」
「作る方はアルと先生に任せる」
ティアが睨む。「勝手に決めるな」
五人が笑う。
帰る前、アルスはもう一度リンゴを見る。
内部に三日。
ほとんど変わっていない。
まだ時間は止まっていない。
古代の完成品には届いていない。
でも。
今の技術でも。
すでに使えるものが見え始めていた。
アルスは記録の最後に書く。
――完全でなくても、目的を満たせば道具として使える。
その下に、もう一行。
――ただし、研究はそこで終わらない。
実用品と研究。
どちらか一つではない。
使えるものを作りながら。
もっと先を見る。
収納魔道具は、ようやくその段階へ入り始めていた。




