第37話 最初に入れるもの
翌日の放課後。
研究室の机の上には、小さな発光魔道具が一つ置かれていた。
親指ほどの大きさ。
単純な構造。
小さな魔石から魔素を受け取り、一定の光を出す。
それだけの道具だった。
シリウスがすぐに聞く。
「これ入れるの?」
アルスが答える。
「候補」
「まだ候補?」
「先生が安全確認するって」
ティアが腕を組む。
「当たり前じゃ」
アイリスが発光魔道具を見る。
「壊れても危なくないものにしたんですね」
「うん」
リリアも確認する。
「熱もほとんど出ない?」
「長時間使っても少し温かくなるくらい」
レインが言う。
「戻ってきた時に、光ってるかどうかですぐ分かる」
アルスが頷く。
そこも大事だった。
入れる前。
点灯。
内部へ入れる。
入口を閉じる。
一定時間待つ。
再び開く。
取り出す。
もし戻れば。
点灯しているか。
魔石の消耗。
温度。
外形。
全部確認できる。
「今日はどのくらい入れる?」
シリウスが聞く。
アルスが答える。
「最初は全部入れない」
「え?」
「半分だけ」
シリウスが露骨に残念そうな顔をする。
「慎重すぎない?」
ティアがすぐに言う。
「物体は初めてじゃ」
「でも光魔法は何回も入れたじゃん」
「魔法と物は同じではない」
アルスも頷く。
光魔法は。
最悪、消えれば終わる。
でも物体は違う。
引っかかる。
壊れる。
戻らない。
入口そのものへ影響する可能性もある。
「まず境界を越えられるか」
アルスが言う。
「それだけ見る」
試作三号を起動する。
外周が光る。
中央に揺らぎ。
何度も見た円。
安定。
「形、正常」
リリア。
「魔素流、問題なし」
アイリス。
「全体異常なし」
レイン。
シリウスは発光魔道具を見る。
「光ってる」
アルスが笑う。
「それは見れば分かる」
「俺の仕事取るなよ」
ティアが言う。
「始めろ」
アルスは発光魔道具を専用の細い保持具で挟む。
手で持ったまま入れない。
もし異常が起きても。
すぐ離れられるようにする。
中央へ近づける。
十センチ。
五センチ。
一センチ。
変化なし。
先端が揺らぎへ触れる。
その瞬間。
発光魔道具の光が少し歪んだ。
「触れた」
レインが言う。
アルスは止める。
ティアも何も言わない。
数秒。
変化なし。
「もう少し」
アルスがゆっくり進める。
発光魔道具の先端。
四分の一。
中央へ入る。
光が弱く見える。
昨日の光魔法と似ている。
でも。
今回は物体そのもの。
「引っかかりある?」
ティアが聞く。
アルスが保持具を少し動かす。
「ない」
「重さは?」
「変わらない……たぶん」
「たぶんじゃなく」
アルスは保持具に付けた簡易荷重計を見る。
「ほぼ同じ」
アイリスが記録する。
「変化なし」
もう少し。
半分。
発光魔道具の半分が中央に入る。
見えている部分だけ光る。
いや。
光そのものは中でも出ているのかもしれない。
ただ。
見えない。
リリアが言う。
「境目で切れたように見えます」
「本体は?」
レインが聞く。
アルスが保持具を少し動かす。
「繋がってる」
「折れてない?」
「うん」
シリウスが言う。
「じゃあもう全部入れよう」
全員がシリウスを見る。
「何?」
アルスが少し笑う。
「僕も思った」
ティアが言う。
「なら一度戻せ」
「全部入れない?」
「半分まで入れられた。それをまず回収できるか確認せい」
「ああ」
確かに。
アルスはゆっくり引く。
四分の一。
先端。
完全に出る。
発光魔道具。
外見異常なし。
光もそのまま。
魔石も動作している。
「戻った」
シリウスが言う。
アイリスが測る。
「温度、入れる前とほぼ同じ」
リリア。
「傷も見えません」
レインが言う。
「じゃあ境界そのものは物体を壊してない」
アルスが頷く。
「少なくとも、この条件では」
ティアが少し笑った。
「その言い方ならよい」
二回目。
今度は。
完全に入れる。
アルス自身。
少し緊張する。
発光魔道具を中央へ。
四分の一。
半分。
四分の三。
最後。
保持具で掴んでいる部分だけ残る。
「行くよ」
シリウスが身を乗り出す。
アイリスが腕を引く。
「近づかないでください」
「見えないって」
「だからです」
アルスは少し押す。
発光魔道具が。
完全に中央へ入った。
消えた。
保持具の先には。
何もない。
研究室が静かになる。
「入った」
シリウスが小さく言う。
アルスも何も言わず。
保持具を引く。
空。
本当に。
物体が一つ。
外から見えなくなった。
「入口を閉じる?」
レインが聞く。
アルスがティアを見る。
ティアは少し考えた。
「まだじゃ」
「まず戻す?」
「そうじゃ」
アルスが頷く。
中央へ保持具をもう一度入れる。
でも。
ここで問題が出る。
「どこにある?」
シリウスが聞く。
「分からない」
光魔法なら。
術者との繋がりがあった。
感覚で位置が分かった。
でも。
発光魔道具は独立している。
何の繋がりもない。
「見えない」
アルスが言う。
アイリスが少し真剣になる。
「取り出せない?」
リリアも中央を見る。
「中の位置が分からないんですね」
ティアが言う。
「だから最初に紐を付けろと言ったんじゃ」
全員が止まる。
アルスがティアを見る。
「……言われてない」
ティアも止まった。
数秒。
シリウスが吹き出す。
レインも笑う。
アイリスまで顔を逸らす。
ティアが少しだけ咳払いした。
「今言った」
「遅いです」
アルスも笑ってしまった。
「どうする?」
「まず入口を維持せい」
ティアは別の器具を取り出す。
細い探査棒。
先端に魔素反応と接触を検知する仕組みが付いている。
「これで探す」
「あるんですね」
「研究室じゃからな」
シリウスが言う。
「なんでも出てくるな」
アルスが探査棒を受け取る。
中央へ。
ゆっくり。
真っ直ぐ。
何もない。
少し右。
反応なし。
左。
なし。
上。
下。
「内部、広い?」
レインが言う。
アルスも思う。
発光魔道具は小さい。
もし内部空間が。
見た目より大きいなら。
入った瞬間。
どこかへずれた可能性がある。
「押した方向に進んでる?」
アイリスが言う。
「分からない」
探査棒をもう少し深く入れる。
その時。
小さな反応音。
「当たった」
全員が見る。
アルスがゆっくり位置を探る。
少し右。
少し奥。
また反応。
「そこ?」
ティアが聞く。
「たぶん」
「保持具へ変えろ」
アルスが探査棒の位置を記録。
一度抜く。
保持具へ交換。
同じ角度。
同じ深さ。
慎重に入れる。
先端に。
わずかな感触。
「ある」
挟む。
ゆっくり引く。
中央の揺らぎから。
光が出た。
最初は点。
次に先端。
そして。
発光魔道具が丸ごと戻ってくる。
シリウスが声を上げる。
「出た!」
アルスはすぐ机へ置く。
ティアが止める。
「触るな」
温度測定。
異常なし。
外形。
異常なし。
光。
点灯継続。
魔石。
消耗。
「動いてる」
アイリスが言う。
リリアも確認する。
「傷もありません」
レインが笑う。
「最初の物体だね」
アルスは発光魔道具を見る。
入った。
見えなくなった。
そして。
戻った。
ほんの小さな魔道具。
それでも。
初めて。
物が中央の向こうへ行き。
こちらへ戻ってきた。
シリウスが言う。
「これ、成功だろ?」
アルスは少し考える。
「物体を入れて戻す、なら成功」
ティアが頷く。
「それでよい」
珍しく。
すぐに否定されなかった。
アルスは笑う。
でも。
問題も出た。
「中の位置が分からない」
レインが言う。
「そこ大きいね」
アイリスも。
「毎回探査棒で探すわけにはいきません」
リリアが続ける。
「複数入れたらもっと分からなくなります」
シリウスが言う。
「中で迷子になるのか」
アルスは記録する。
――物体の完全挿入および回収に成功。
――挿入物は独立動作を継続。
――回収後、外見・温度・動作に顕著な異常なし。
――ただし内部位置を外側から把握できない。
「次は紐?」
シリウスが聞く。
アルスが頷く。
「まずは」
ティアも言う。
「単純なものからやれ」
細い丈夫な紐。
一端を発光魔道具へ。
もう一端はこちら側へ。
それなら。
位置も分かる。
回収も簡単。
「でも」
アルスが止まる。
「入口を閉じられない」
レインが気付く。
「紐が通ってるから?」
「うん」
また問題。
物体を入れたまま。
入口を閉じる。
その時。
紐はどうなる。
切れるのか。
挟まるのか。
入口が閉じないのか。
シリウスが言う。
「試せばいいじゃん」
ティアが即答する。
「今日はやらん」
「もう分かってた」
全員が笑う。
アルスは発光魔道具を見る。
初めて。
収納という言葉が。
ただの想像ではなくなった。
物が消えた。
そして戻った。
ただし。
まだ。
中がどうなっているかは分からない。
位置も分からない。
入口を閉じたらどうなるかも分からない。
複数入れたら。
ぶつかるのか。
重なるのか。
落ちるのか。
止まるのか。
また疑問が増える。
でも。
今日は。
一つだけ。
はっきり言えることがある。
アルスは記録の最後に書いた。
――物体は通過できる。
少し短すぎる気がして。
その下に。
――そして、戻せる。
二行。
それだけ。
でも。
ここまで来るのに。
何日もかかった。
研究室を出る。
シリウスが嬉しそうに言う。
「次はパン入れよう」
アイリスが即答する。
「まだです」
「なんで!」
レインが笑う。
「まず紐だって」
リリアも笑っている。
アルスは四人の少し後ろを歩く。
まだ完成には遠い。
でも。
今日。
初めて。
収納魔道具研究の中へ。
本当に一つ。
物が入った。




