第32話 扉の向こう
翌日の放課後。
研究室の机には、昨日の試作三号と、古代術式の中央部分を拡大した写しが並んでいた。
アルスは椅子に座り、しばらく二つを見比べている。
入口らしき構造。
そして、その先。
「昨日まで、ここしか見てなかった」
アルスが試作三号の外周を指す。
「入口の縁」
ティアが頷く。
「そうじゃ」
次に、古代術式の中央。
何本もの線が、その場所を避けるように配置されている。
「でも、収納するなら中が必要」
「当たり前じゃな」
「なのに中央には、魔素を直接流す線がほとんどない」
「そこが面倒じゃ」
アルスは少し笑う。
最近、ティアが面倒だと言うところほど面白い。
「先生は、ここが何をしてると思ってる?」
ティアはすぐには答えなかった。
「仮説はいくつかある」
「聞きたい」
「一つは、空間そのものを作っとる」
「うん」
「もう一つは、すでにある空間へ接続しとる」
アルスの目が少し動く。
「作るのと繋ぐのは違う」
「そうじゃ」
「他は?」
「内部という考え方自体が間違っとる可能性」
アルスが止まる。
「どういうこと?」
「物がどこかへ移動しとるのではなく、位置の扱いそのものを変えとる、と考えた研究者もおる」
「位置の扱い……」
前世の知識が少し反応する。
けれど。
似た言葉を知っているだけだ。
この世界の空間魔法が、その知識と同じとは限らない。
アルスはその連想を一度横へ置いた。
「どれが正しい?」
「分からん」
やっぱりだった。
アルスは笑う。
「じゃあ、どうやって調べる?」
「現象を見る」
ティアは試作三号を指した。
「昨日の入口様現象。あれが本当に何かへ繋がっとるなら」
「向こう側の反応を取れる?」
「可能性はある」
そこへ研究室の扉が開いた。
「今日は何?」
シリウス。
後ろからレイン、アイリス、リリアも入ってくる。
最近では、放課後に誰かが研究室へいることが当たり前になっていた。
アルスが答える。
「扉の向こうを見る」
シリウスが一瞬止まる。
「急に怖いこと言うな」
アイリスが古代術式を見る。
「中へ物を入れるんですか?」
「まだ」
「よかったです」
リリアも少し安心した顔をする。
レインが聞く。
「じゃあ何を見る?」
ティアが机の上に、小さな魔素感知器を置いた。
前に使った流量計とは違う。
丸い板の中央に針が一本。
「これを入口の前へ置く」
アルスが見る。
「魔素を見る?」
「正確には、周囲の魔素密度の変化を見る」
「入口の向こうから何か変化が出るか」
「そうじゃ」
シリウスが感知器を見る。
「向こうに何もなかったら?」
「何も出んかもしれん」
「じゃあ分からない?」
アルスが答える。
「反応がないことも結果だよ」
「最近、先生みたいになってきたな」
ティアが鼻を鳴らす。
「まだ百年以上早い」
準備を始める。
試作三号。
昨日と同じ魔石。
同じ流量。
同じ金属板。
今回は、その中央から少し離れた位置に感知器を置く。
一つではない。
前。
後ろ。
左右。
合計四つ。
レインが言う。
「外側の変化も見る?」
「うん」
アルスは頷く。
「もし中央だけ変わるなら、そこに何かあるかもしれない」
アイリスが言う。
「逆に全部同じなら、ただ周囲の魔素が乱れているだけかもしれませんね」
「そう」
観測役を決める。
アルスは中央。
レインは全体。
アイリスは前側の感知器。
リリアは後ろ。
シリウスは左右。
ティアは安全管理。
「始めます」
最低出力。
外周が光る。
昨日と同じ。
中央に小さな揺らぎ。
「前、変化なし」
アイリス。
「後ろもなし」
リリア。
「左右なし」
シリウス。
アルスは中央を見る。
まだ小さい。
流量を少し上げる。
揺らぎが広がる。
手のひらほど。
感知器の針。
動かない。
さらに少し。
昨日安定した範囲。
「前、変化なし」
「後ろも」
「左右も変わらない」
アルスは中央を見続ける。
見た目だけなら。
そこに何かある。
空気が歪んでいる。
でも。
周囲の魔素密度は変わっていない。
「先生」
「なんじゃ」
「これだけだと、向こう側がある証拠にはならない」
「そうじゃな」
「でも、ない証拠にもならない」
ティアが少し笑う。
「その言い方は嫌いではない」
アルスは少し考える。
周囲の魔素が変わらないなら。
別のものを見る必要がある。
「温度は?」
シリウスが言った。
全員が見る。
「何?」
シリウスが少し戸惑う。
「いや、穴が開いてるなら、向こうが冷たいとか暑いとかあるんじゃないの?」
アルスが止まる。
アイリスも中央を見る。
「それはありそうですね」
リリアが言う。
「空間が別なら、環境も違う可能性があります」
レインがシリウスを見る。
「いいところ見るね」
シリウスが少し得意そうになる。
「だろ?」
ティアが棚から温度計を出す。
「なら測れ」
シリウスが笑う。
「すぐ出てくるな」
「研究室じゃからの」
中央の揺らぎから少し離れた位置へ温度計を置く。
外側にも比較用。
しばらく待つ。
「外、二十二・一」
リリア。
「中央前、二十二・一」
アイリス。
変わらない。
さらに時間を置く。
二十二・一。
二十二・一。
「温度も変わらない」
アルスが言う。
シリウスが肩を落とす。
「外れた」
「外れたかどうかもまだ分からないよ」
「なんで?」
「向こう側が同じ温度なら変わらない」
「それ言ったら何でもありじゃん」
アルスは少し笑う。
「だから一個ずつ減らす」
ティアが口を挟む。
「ただし、都合よく考えるな」
「はい」
反応がないことを。
仮説を守るために無視してはいけない。
アルスは記録へ書く。
――魔素密度変化なし。
――温度差なし。
――現時点で外部へ漏れる環境差は確認できず。
レインが中央を見る。
「じゃあ次は?」
アルスは少し考える。
「光?」
アイリスが聞く。
「光?」
「向こうが暗いとか明るいとか」
シリウスが言う。
「それもありそう」
ティアが言う。
「なら直接見るな」
全員が止まる。
「え?」
アルスが聞く。
「目を近づけるなと言っとる」
「ああ」
確かに。
何なのか分からない現象へ顔を近づける理由はない。
「観測体を使う?」
アルスが言う。
ティアが頷く。
「近くから映像を取るだけならな」
小型観測体を一つ。
中央の揺らぎから少し離れた位置へ動かす。
映像を共有する。
正面。
少し斜め。
横。
アルスが画面を見る。
正面から見ると。
円の内部だけが、わずかに暗い。
「これ」
アイリスも気付く。
「中央、暗くないですか?」
「少しだけ」
レインが答える。
横から見る。
ほとんど何も見えない。
正面へ戻る。
やはり。
少し暗い。
「光が減ってる?」
アルスが呟く。
ティアがすぐ言う。
「そう見えるだけかもしれん」
「測る?」
「当然じゃ」
光量計を用意する。
シリウスが笑う。
「今日は測るもの多いな」
「見るだけよりいい」
アルスが答える。
外側。
基準値を記録。
次に。
中央の揺らぎを挟んだ反対側から光を当てる。
光量計をこちら側へ。
「これなら」
アイリスが言う。
「光が通りにくくなってるか分かりますね」
「うん」
試す。
揺らぎなし。
基準値。
次。
揺らぎあり。
光量計の数値が少し下がる。
全員が静かになる。
「もう一回」
アルスが言う。
ティアが頷く。
停止。
再開。
同じ条件。
数値。
やはり少し低い。
「減ってる」
リリアが言う。
「ほんの少しですけど」
アイリスも記録する。
レインが聞く。
「光がどこかへ行ってる?」
アルスはすぐには答えない。
「分からない」
「反射?」
「見た感じ強い反射はない」
「吸収?」
「それも分からない」
ティアが言う。
「じゃが、何も起きとらんわけではなさそうじゃな」
アルスは中央を見る。
初めて。
入口様現象の内側に。
外側とは違う性質がある可能性が見えた。
「先生」
「なんじゃ」
「光が少し減るなら、もっと分かりやすいものを通してみる?」
ティアの目が細くなる。
「物はまだじゃ」
「物じゃなくて」
アルスは考える。
「光の種類を変える」
ティアが少し笑う。
「それならよい」
色の違う光。
強さの違う光。
角度。
距離。
また条件が増える。
シリウスが言う。
「今日は物入れないんだな」
「まだ」
「いつ入れるんだ?」
アルスが中央を見る。
「中があるって、もう少し分かってから」
レインが頷く。
「それがいいと思う」
リリアも。
「もし入れた物が戻らなかったら困りますから」
シリウスが何かを言いかける。
アイリスが先に止めた。
「食べ物を入れると言うつもりならやめてください」
「まだ何も言ってない」
「顔に出ています」
アルスが笑った。
「僕も言われてるやつだ」
「仲間が増えたな」
「嬉しくない」
ティアが机を軽く叩く。
「今日はここまでじゃ」
アルスが中央を見る。
「まだ安定してる」
「安定しとるうちに止めるのも実験じゃ」
「はい」
出力をゆっくり下げる。
揺らぎが小さくなる。
最後に消える。
感知器。
異常なし。
金属板。
異常なし。
魔石。
許容温度。
アルスは記録をまとめる。
――試作三号、再稼働。
――三分以上の入口様現象を再現。
――周辺魔素密度変化なし。
――明確な温度差なし。
――正面方向からの光量がわずかに低下。
――内部空間の存在は未確認。
最後の一行を書いて。
少し考える。
――ただし、中央部は周囲と完全に同じ状態ではない可能性。
ティアが読む。
「それでよい」
「次は光?」
「光じゃ」
「その後は?」
「先を見るな」
「気になる」
「知っとる」
研究室を出る。
五人で廊下を歩く。
シリウスが言う。
「あれ、本当に扉なのかな」
アルスが答える。
「まだ分からない」
「穴?」
「分からない」
「壁?」
「分からない」
「何なら分かるんだよ」
アルスは少し考える。
「昨日よりは、中央で何か起きてるって分かった」
「それだけ?」
「それだけ」
でも。
昨日まで。
中央はただの揺らぎだった。
今日は。
光の通り方が違う場所になった。
ほんの少し。
それだけでも。
見る対象が変わった。
アルスは歩きながら最後に一つだけ記録を追加する。
――扉かどうかはまだ分からない。
――けれど、向こう側を調べる方法は作れる。
記録を閉じる。
収納魔道具は。
まだ何も収納していない。
それでも。
入口の次に見るべきものが。
ようやく少しだけ見え始めていた。




