第27話 最初の書き直し
研究室の机の上に、新しい金属板が置かれていた。
何も描かれていない。
その隣には、古い空間魔法陣の写し。
アルスは二枚を交互に見る。
「これに書くんですよね」
「そうじゃ」
ティアが答える。
「古代術式をそのまま写すなよ」
「分かってます」
「本当か?」
「たぶん」
「分かっとらんではないか」
アルスは笑った。
今日やることは単純に見える。
古い魔法陣の中から、入口の縁を維持していると思われる部分だけを抜き出す。
そして。
今使われている魔法陣の書き方へ置き換える。
ただし、それが本当に同じ働きをするかは分からない。
「まず、何が分かってる?」
ティアが聞く。
アルスは記録板を見る。
「古代術式の外周には、今でも使われる入力と安定化に近い構造がある」
「うむ」
「中間には同じ形が何度か繰り返されてる」
「うむ」
「その一部が、入口の縁を保ってる可能性がある」
「可能性じゃ」
「はい」
ティアが頷く。
「では、何が分からん」
アルスは少し考える。
「その構造だけで動くか」
「それから?」
「古代の記号を今の記号に置き換えていいか」
「それから?」
「必要な部分を切り落としてないか」
「それから?」
アルスが止まる。
「……いっぱいありますね」
「ようやく分かったか」
ティアが笑う。
アルスも笑った。
全部を一度に解決しようとしない。
今確かめたいのは一つ。
入口らしき境界を、短時間でも安定させられるか。
それだけ。
「じゃあ、入力は今の方式」
アルスが言う。
ティアが頷く。
「魔石も今の規格を使う」
「はい」
「安全停止も入れろ」
「どこに?」
「自分で考えろ」
「そこは教えてくれないんですね」
「全部教えたらワシの研究になるじゃろ」
それもそうだった。
アルスは金属板へ線を引き始める。
入力。
流量調整。
安定。
ここまでは授業で習った。
問題はその先。
古代術式にあった、繰り返し構造。
形そのものを写すのではなく。
何をしていると思うのか。
それを今の記号へ変える。
「縁を固定する」
アルスが呟く。
円を一つ。
その周囲に四つの小さな制御点。
古代術式にあった四方向の構造を参考にする。
ティアは何も言わない。
ただ見ている。
「先生」
「なんじゃ」
「間違ってても止めない?」
「危険なら止める」
「危険じゃなければ?」
「失敗させる」
アルスは少し笑った。
「やっぱり」
「失敗して初めて分かることもある」
線を続ける。
最後に安全停止。
一定以上の魔素が流れた場合、全体を切る。
「これでどうです?」
ティアはすぐには答えなかった。
金属板を見る。
一周。
もう一周。
「動くかもしれん」
「成功?」
「まだ魔素すら流しとらんじゃろ」
「そうでした」
その時、扉が開いた。
レインたち四人が入ってくる。
「今日は試す日?」
シリウスが聞く。
アルスが頷いた。
「たぶん」
「たぶん?」
「動くか分からないから」
アイリスが机へ近づく。
「これが書き直したものですか?」
「うん」
「随分簡単になりましたね」
「古代の全部じゃなくて、一部分だけだから」
リリアが金属板を見る。
「これで収納できるんですか?」
「できない」
即答した。
シリウスが首を傾げる。
「じゃあ何が起きるの?」
アルスは少し考える。
「それを今から見る」
「相変わらずだな」
レインが笑う。
ティアが五人を見る。
「観測役を決めろ」
アルスが聞く。
「何を見る?」
「全部同じものを見るな」
最近の訓練と同じだ。
五人で相談する。
レインは全体。
アイリスは魔素の流れ。
リリアは魔法陣の変化。
シリウスは装置そのものの異常。
アルスは中心部。
「先生は?」
シリウスが聞く。
「危なくなったら止める」
「一番重要じゃん」
「当たり前じゃ」
金属板を耐熱台の上へ置く。
小さな魔石を接続。
全員が少し離れる。
アルスが深く息を吐く。
緊張している。
分かる。
「アル」
レインが言う。
「急がなくていいよ」
「うん」
アルスは魔石へ最低限の魔素を流す。
外周が光った。
「入力正常」
アイリスが言う。
次。
安定化部分。
薄い光が広がる。
リリアが見る。
「線は全部光っています」
シリウスも言う。
「焦げなし。音もなし」
アルスは中央を見る。
まだ何も起きない。
少しだけ流量を上げる。
その瞬間。
金属板の中央。
空気が揺れた。
ほんの少し。
熱気ではない。
水面のように見える。
アルスの呼吸が止まりかける。
「見えた?」
「見えてる」
レイン。
「中心だけ歪んでます」
リリア。
アイリスが言う。
「魔素が中央へ流れ込んでるわけじゃない」
アルスが聞く。
「どういう意味?」
「周囲を回ってます」
アルスは中央を見る。
確かに。
中心そのものは光っていない。
その周囲だけが淡く光る。
入口の縁。
もし仮説が正しければ。
「少し上げます」
ティアが言う。
「ゆっくりじゃ」
「はい」
流量を少し増やす。
揺らぎが大きくなる。
円形。
直径は手のひらより少し小さい。
シリウスが声を上げる。
「穴みたい」
「穴とは限らない」
アルスが答える。
「分かってるって」
その瞬間。
円の右側が歪んだ。
「右!」
シリウス。
アルスが魔素を下げる。
遅い。
揺らぎが一瞬大きく膨らむ。
安全停止が働いた。
全ての光が消えた。
研究室が静かになる。
誰もすぐには話さない。
金属板を見る。
焦げていない。
割れてもいない。
ただ。
魔石が少し熱くなっている。
ティアが先に動いた。
「触るな」
アルスの手が止まる。
「はい」
ティアが器具で魔石の温度を測る。
「許容範囲じゃ」
全員が少し息を吐く。
シリウスが言う。
「今の成功?」
アルスは答えない。
ティアも答えない。
レインがアルスを見る。
「どう思う?」
アルスは記録を見る。
入力は動いた。
外周も動いた。
中央に何らかの空間的な揺らぎが出た。
でも。
安定しなかった。
「分からない」
シリウスが笑う。
「そこ?」
「何を成功とするか決めてなかった」
ティアが少し笑う。
「そこに気付いたか」
アルスは考える。
今日の目的。
入口らしき境界を、短時間でも安定させられるか。
「じゃあ失敗」
全員が見る。
「揺らぎは出た。でも安定しなかった」
アイリスが言う。
「でも何も起きない失敗ではなかったですね」
「うん」
リリアも続ける。
「右側だけ先に崩れました」
レインが言う。
「そこに原因があるかもしれない」
アルスの目が金属板へ戻る。
右側。
四つある制御点の一つ。
「同じ形にしたつもりなんだけど」
ティアが言う。
「つもり、じゃな」
アルスが近くから見る。
右側の線。
ほんのわずかに太い。
「これ?」
「まだ分からん」
アルスは頷く。
原因候補。
線幅。
魔素配分。
素材。
配置。
古代術式の解釈そのもの。
いくらでもある。
でも。
一つだけ大きなことがある。
「先生」
「なんじゃ」
「今の揺らぎ、古代遺物でも出る?」
ティアは少し黙った。
「似とる」
アルスの表情が変わる。
「完全に同じ?」
「そこまでは言えん」
「でも似てる」
「そうじゃ」
アルスは笑った。
失敗した。
でも。
何も分からない失敗ではない。
古代の完成品をそのまま写したわけでもない。
自分たちが意味を推測し。
今の記号へ書き直し。
現代の魔石で。
似た現象を起こした。
「もう一回」
アルスが言う。
ティアが即答する。
「今日は終わりじゃ」
「まだ一回しか」
「一回目の記録も整理しとらん」
「……はい」
「同じ失敗を何も考えず繰り返すな」
以前、失敗作の箱で聞いた言葉だった。
アルスは諦めて椅子へ座る。
五人で記録を見る。
アイリスの観測。
魔素は中央へ直接流れていない。
リリアの観測。
最初は円形に近かった。
右側から形が崩れた。
シリウス。
異音なし。
焦げなし。
崩れる直前だけ右側の光が強くなった。
レイン。
流量を上げた直後に不安定化。
アルス。
中央に空間的な揺らぎ。
五人が別々に見ていたから。
一人では見落としていた情報が残った。
「これ」
アルスが言う。
「一人でやらなくてよかった」
シリウスが笑う。
「俺も役に立った?」
「かなり」
「珍しい」
「何が?」
「アルが素直に褒めた」
「いつも褒めてるよ」
「そうだっけ?」
アイリスが言う。
「シリウスが忘れているだけでしょう」
「ひどい」
リリアが笑う。
ティアは少し離れた場所から五人を見ていた。
「明日は?」
アルスが聞く。
「記録を比べる」
「その次は?」
「原因候補を一つずつ潰す」
「それでまた試す?」
「そうじゃ」
アルスは頷いた。
最初の試作。
収納はできなかった。
入口すら、本当にできていたのか分からない。
それでも。
古代の線をただ写したのではない。
意味を考え。
今の技術へ置き換え。
現象を一つ起こした。
ほんの小さな一歩。
けれど。
アルスにとっては。
古代の魔法陣が、初めて「読むもの」から「試せるもの」へ変わった日だった。




