↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
23/227

第23話 古い論文

数日後。


アルスは放課後の研究室で、いつものように失敗作の記録を眺めていた。


ティアは少し離れた作業台で、魔法陣の一部を書き直している。


「先生」


「なんじゃ」


「この記録、古いものもあります?」


「あるぞ」


「どのくらい?」


ティアの手が止まる。


「物による」


「百年前とか?」


「ある」


アルスが顔を上げた。


「もっと古いのも?」


「研究室に残っとる範囲ならな」


「見たいです」


「何をじゃ」


「昔の人がどう考えてたのか」


ティアが少し笑う。


「今ある技術だけでは足りんか」


「足りるかどうかを判断するためにも、前を見たいです」


「言うようになったのう」


ティアは筆記具を置いた。


「ついてこい」


研究室の奥へ進む。


普段アルスたちが使っている場所よりさらに奥。


そこには背の高い棚が並び、紙の本だけでなく、記録板や薄い金属板も保存されていた。


「ここ、資料室?」


「そんなものじゃ」


「全部先生の?」


「ワシのもある。他の研究者のもある。もっと昔のものもある」


ティアが低い棚の前で止まる。


「勝手に触るなよ」


「はい」


「特に上の棚」


アルスが見上げる。


「なんで?」


「崩れる」


「物理的に?」


「物理的にじゃ」


アルスは少し離れた。


ティアが一冊の厚い資料を引き出す。


表紙はかなり傷んでいる。


「これ」


アルスが受け取る。


題名を見る。


――空間魔法における境界固定の基礎考察。


アルスの目が止まった。


「空間魔法?」


「そうじゃ」


「今も研究されてますよね」


「されとる」


「古い?」


「かなり」


アルスが慎重に開く。


文字の形式が今とは少し違う。


ただし読めないほどではない。


図もある。


円。


重なった線。


内側と外側を分けるような構造。


アルスはページをめくる。


「何をしてる研究ですか?」


「簡単に言えば、場所の境目をどう固定するかじゃな」


「場所の境目?」


「ここと、ここではない場所」


ティアが机の上を指す。


「空間魔法は、ただ距離を縮めたり伸ばしたりするだけではない」


「境界を作る?」


「そう考えた研究者もおった」


アルスは論文を見る。


前世の知識が少しだけ反応する。


空間。

境界。

内部と外部。


でも。


似た言葉を知っているだけだ。


この世界の空間魔法が同じ理屈で動くとは限らない。


「この人、成功したんですか?」


「一部はな」


「一部?」


「理論として残った部分と、再現できんかった部分がある」


「再現できない?」


「本人は動かせたらしい」


アルスが顔を上げる。


「らしい?」


「記録はある。じゃが同じものを作っても動かん」


アルスは黙った。


また再現性。


ティアが続ける。


「昔の研究には多い。感覚で補っとる部分が記録されておらん」


「本人の中では当たり前だった?」


「そうじゃろうな」


アルスは少し前に習った魔法陣を思い出す。


人間が無意識に行っている処理を外へ出す。


なら。


昔の研究者が無意識にやっていたことが記録されていなければ。


形だけ残しても動かない。


「コピーじゃ足りない」


アルスが言う。


ティアが少しだけ目を細める。


「そうじゃ」


「魔法陣をそのまま写しても、その人が中でやってたことまでは写らない」


「そこに気付かん奴は多い」


アルスは再び論文を見る。


図そのものより。


図の横に書かれた小さな注釈が気になった。


――境界は閉じるのではなく、保つ。


「先生」


「なんじゃ」


「これ、どういう意味ですか?」


ティアが覗き込む。


「そこか」


「閉じるんじゃない?」


「分からん」


「先生でも?」


「分からんから残っとる」


アルスは少し笑った。


「いいですね」


「何がじゃ」


「分からないまま残ってる」


ティアが笑う。


「普通は嫌がるところじゃろ」


「答えがあるかもしれないし、ないかもしれない」


「それで?」


「調べられる」


ティアはしばらくアルスを見る。


「お主、本当にこういうのが好きじゃな」


「たぶん」


「たぶんではないじゃろ」


アルスも笑った。


論文を読み進める。


内容は難しい。


理解できない用語も多い。


今のアルスにはまだ早い部分もある。


それでも。


一つだけ分かった。


昔の人たちも、今の自分と同じように分からないものを見ていた。


考えて。


試して。


失敗して。


一部だけ残した。


「これ、持ち出せます?」


「駄目じゃ」


即答。


「研究室で読むなら?」


「それならよい」


「写しても?」


「必要なところだけならな」


アルスは頷く。


その時、研究室の扉が開いた。


「アル、まだいる?」


レインだった。


その後ろからシリウス、アイリス、リリアも入ってくる。


「やっぱりここか」


シリウスが言う。


「今日は訓練来ないの?」


「これ読んでた」


アルスが資料を少し持ち上げる。


アイリスが題名を見る。


「空間魔法?」


「うん」


リリアが隣から覗く。


「難しそうですね」


「難しい」


「分からない?」


シリウスが聞く。


「かなり」


「じゃあなんでそんな嬉しそうなの?」


アルスは少し考えた。


「分からないから?」


「俺には理解できない」


レインが笑う。


「それがアルなんだろ」


アイリスは論文の図を見る。


「これ、魔法陣ですか?」


「たぶん境界を固定するためのもの」


「何に使うんです?」


アルスが止まる。


「まだ分からない」


ティアが後ろから言う。


「昔はいろいろ試された」


五人が見る。


「転送、保管、隔離、結界。空間を扱う技術は昔から研究されとる」


「保管?」


アルスが聞き返す。


ティアは何気なく答える。


「物を別の空間へ置く研究じゃ」


アルスの目が止まった。


シリウスが気付く。


「あ」


レインもアルスを見る。


「食いついた」


リリアが笑う。


「分かりやすいですね」


アイリスまで少し笑った。


アルスは気にせずティアを見る。


「実物あります?」


「ある」


一瞬。


全員が黙った。


「あるんですか?」


「古代の遺物ならな」


「動く?」


ティアは首を振る。


「今のところ、まともには動かん」


アルスの視線が完全に変わった。


ティアはそれを見てすぐに言う。


「今日は見せんぞ」


「まだ何も言ってないです」


「顔が言っとる」


シリウスが笑う。


「また顔に出てる」


アルスは一度息を吐いた。


「じゃあ、いつ?」


「基礎をもう少し覚えてからじゃ」


「どのくらい?」


「急ぐな」


「逃げない?」


「前にも言ったじゃろ」


ティアが笑う。


「古代の遺物は、お主が来る前からずっとそこにある」


アルスは少しだけ納得した。


レインが言う。


「じゃあ今日は帰ろう」


「うん」


アルスは論文を閉じる。


ただし、気になった一文だけ記録に残した。


――境界は閉じるのではなく、保つ。


意味はまだ分からない。


それでいい。


分からないものを、分からないまま残す。


いつか必要になるかもしれない。


研究室を出る。


五人で廊下を歩く。


シリウスが言う。


「で、今度は空間?」


「今度って?」


「冷却箱の次」


「別に冷却箱終わってないよ」


「まだやるの?」


「条件変えたらまだ見られる」


アイリスが呆れる。


「増える一方ですね」


リリアが笑う。


「でも、全部つながるかもしれませんよ」


アルスがリリアを見る。


「どういう意味?」


「今は別々に見えても、後で同じところにつながるかもしれないという意味です」


アルスは少し考えた。


「それ、ありそう」


シリウスが肩をすくめる。


「また増えた」


レインが笑う。


アルスも笑った。


この時点では。


古い論文も。


壊れた魔道具も。


冷却箱も。


魔法陣の授業も。


全部、別々のものに見えていた。


けれど。


少しずつ。


その間に細い線が引かれ始めていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。