第17話 気がする、を測る
放課後。
アルスたち五人は、再びティアの研究室にいた。
「先生、温度計」
アルスが入ってすぐに言う。
ティアが作業台から顔を上げた。
「挨拶より先にそれか」
「こんにちは」
「遅いわ」
シリウスが笑う。
「ずっと覚えてたんだな」
「気になってたから」
以前、学園の冷却箱へ手を入れた時。
奥と手前で温度が違う気がした。
ティアは実際に差があると言った。
ただし。
――手を入れて違う気がしただけでは証明にならん。
その言葉が残っている。
ティアは棚から細長い器具を五本取り出した。
「これじゃ」
アルスが受け取る。
透明な細い管の中に目盛りがある。
「五本?」
「一個で何か所も測ったら時間がかかるじゃろ」
「なるほど」
シリウスも一本持つ。
「これって普通の温度計?」
「普通じゃ」
「魔道具じゃないんだ」
「何でも魔道具にする必要はない」
ティアは当たり前のように答えた。
アルスの手が止まる。
「何でも魔道具にする必要はない」
「そうじゃ」
「そこ大事ですね」
「急に食いつくな」
ティアが呆れた顔をする。
「目的を達成できるなら、簡単な方を使えばよい。魔法を使うことが目的になったら本末転倒じゃ」
アルスは観測体へ記録する。
シリウスが横から覗いた。
「もう書いてる」
「忘れそうだから」
「忘れないだろ、それ」
「今はね」
五人は研究室を出て、以前見た冷却箱へ向かった。
売店の脇に設置された大型のもの。
食材や飲み物の一時保管に使われている。
アルスは扉を開ける。
冷気が流れてきた。
「どこに置く?」
レインが聞く。
「五か所かな」
アルスは内部を見る。
奥の上。
奥の下。
中央。
手前の上。
手前の下。
「でも一回だけじゃ分からないよね」
リリアが言った。
アルスが振り向く。
「そうだね」
「時間によっても変わるかもしれません」
アイリスも続ける。
「扉を開けた直後も温度が変わるんじゃないですか?」
アルスが少し笑う。
「増えた」
「何がですか?」
「測りたい条件」
シリウスが顔をしかめる。
「終わらないやつじゃない?」
「全部今日やる必要はないよ」
「よかった」
まずは同じ時間、同じ状態で場所だけ比較する。
五本の温度計を置く。
扉を閉める。
「どのくらい待つ?」
レインが聞く。
アルスは答えようとして止まった。
「……分からない」
全員でティアを見る。
少し離れたところで見ていたティアが腕を組む。
「なぜワシを見る」
「先生だから」
「自分で決めろ」
「じゃあ十分」
シリウスが即答した。
「根拠は?」
アイリスが聞く。
「ちょうどいい感じ」
「それを根拠とは言いません」
「じゃあ五分?」
「短くなってるじゃないですか」
アルスは少し考える。
「まず十分で見よう」
アイリスがアルスを見る。
「結局シリウスと同じです」
「うん」
「いいんですか?」
「最初から正しい時間が分からないなら、一回やってみればいい」
レインが頷く。
「短かったら次を長くする」
「そう」
ティアが少しだけ笑った。
十分。
待っている間、シリウスは売店で焼き菓子を買った。
「実験中だぞ」
レインが言う。
「待ってるだけだろ」
「自由だな」
「レインも食べる?」
「もらう」
「食べるんじゃん」
アイリスまで一つ受け取る。
「私も少しだけ」
「結局みんな食べるのか」
アルスも一つ取った。
リリアが笑う。
「研究というより休憩ですね」
十分後。
扉を開ける。
五人で温度計を確認する。
アルスが順番に読み上げる。
「奥上……七度」
レインが記録する。
「奥下、五度」
「中央、七度」
「手前上、九度」
「手前下、八度」
一瞬、全員が黙った。
シリウスが言う。
「本当に違う」
アルスは内部を見る。
一番冷たいのは奥の下。
一番温かいのは手前の上。
「冷却部ってどこ?」
アイリスが聞く。
アルスは箱の奥を見る。
「たぶん奥側」
「じゃあ近いところほど冷える?」
「それだけなら奥上ももっと冷たくていい」
レインが言った。
アルスがレインを見る。
「確かに」
リリアが冷却箱の下を見る。
「冷たい空気って下へ行くんでしたっけ」
アルスの中に前世の知識が浮かぶ。
冷たい空気は密度が高くなり、下へ。
ただし。
「そういう傾向はあるはず」
「あるはず?」
リリアが聞く。
「前に読んだ知識では。でもこの箱でそうなってるかは別」
ティアの方を見る。
ティアは何も言わない。
アルスは続ける。
「冷却部の位置と、空気の動き。両方ありそう」
アイリスが聞く。
「じゃあ確定?」
「まだ」
シリウスが笑う。
「慎重になったな」
「ティア先生に何回も言われたから」
「成長じゃ」
遠くから声が飛んでくる。
アルスが振り向く。
「聞いてたんですか」
「近くにおるじゃろうが」
次は条件を変える。
一度扉を開けたままにしてから閉じる。
十分後。
もう一度測る。
全体的に温度が上がっていた。
特に手前側。
「扉を開ける影響、大きいね」
レインが言う。
アイリスが記録を見る。
「普段何度も開け閉めするなら、場所による差だけじゃないですね」
「使い方も条件になる」
アルスが答える。
リリアが言う。
「保存する物によって置く場所を変えた方がいいんでしょうか」
アルスが止まった。
「それだ」
リリアが驚く。
「え?」
「冷え方が違うなら、全部同じ場所として使う必要ない」
シリウスが箱を見る。
「よく冷やしたい物は奥の下?」
「今の結果だけならね」
アイリスが言う。
「でも冷えすぎたら困る物もあるでしょう」
「ある」
また条件が増える。
何を保存するか。
どの温度が適切か。
どこへ置くか。
どのくらい扉を開けるか。
アルスは記録を見ながら笑った。
「一個の箱だけで結構あるな」
ティアが近付いてくる。
「当たり前じゃ」
「作る時は全部考えるんですか?」
「必要なところはな」
「全部じゃない?」
「全部考えようとしたら完成せん」
アルスがティアを見る。
その答えは少し意外だった。
ティアは続ける。
「何を満たせば使えるのか決める。必要以上を求めれば、重くなる。高くなる。壊れやすくなる。完成も遅れる」
レインが言う。
「剣にも似てますね」
ティアが見る。
「どういう意味じゃ」
「全部に強い剣は作れないでしょう。軽さを取れば重さは失うし、長くすれば狭い場所では使いにくい」
「その通りじゃ」
アルスはレインを見る。
また違うところから同じ話へ繋がった。
アイリスも言う。
「魔法もそうです。威力を上げると制御が難しくなります」
リリアが続ける。
「回復も、一度に強く使えばいいとは限りません」
最後にシリウスが周囲を見る。
「俺も何か言った方がいい?」
全員が笑った。
「無理しなくていいよ」
アルスが言う。
「扱いひどくない?」
「シリウスは実際にやってみる担当でいいんじゃない?」
レインが言った。
シリウスが少し考える。
「それなら得意」
「ほら」
研究室へ戻る。
五人で結果を整理した。
最初の仮説。
冷却箱は場所によって温度が違う。
結果。
違った。
ただし、それだけでは終わらない。
扉の開閉。
冷却部の位置。
内部の空気。
保存する物。
使用頻度。
次の疑問が出てくる。
アルスは最後に記録した。
――「気がする」は、調べ始める理由にはなる。
少し考える。
もう一行。
――でも、答えにはならない。
ティアが後ろから画面を見る。
「ようやくそれらしくなったのう」
アルスが振り返る。
「最初は違った?」
「最初は何でも見て面白がっとっただけじゃ」
「今も面白いですよ」
「なら問題ない」
ティアは自分の作業台へ戻っていく。
アルスは記録を閉じた。
たった一つの冷却箱。
たった五本の温度計。
それでも、昨日まで「なんとなく違う」と思っていたものが、少しだけ形になった。
見る。
疑う。
測る。
比べる。
それでも分からなければ、また見る。
アルスには、その繰り返しが思っていた以上に楽しかった。




