第147話 いつもの仲間がいない時
その日の朝、アルスが男子寮の部屋を出ると、向かい側でレインも扉を閉めるところだった。
「おはよう」
「おはよう、アル」
少し待ってもシリウスが出てこない。二人で顔を見合わせ、レインが扉を叩いた。
「シリウス、起きてる?」
「起きてる!」
中から返事はある。
しばらくして扉が開き、髪を整えながらシリウスが出てきた。
「ちょっとだけ寝過ごした」
「昨日、談話室に残りすぎたんじゃない?」
「本読んでたんだよ」
「何の?」
「魔物図鑑」
「珍しいね」
「俺だって読むって」
三人で笑いながら男子寮を出た。
共有談話室の前では、いつも通りアイリスとリリアが待っている。誰も集合時間を決めていないのに、最近はほとんど同じ時刻に五人が揃うようになっていた。
午前の授業を終え、午後は戦闘実習だった。
訓練場へ着くと、いつものように班分けが始まる。しかし教師が読み上げた組み合わせを聞いて、シリウスが露骨に顔をしかめた。
「五人じゃないの?」
教師が答える。
「今日は普段一緒に組んでいる者をできるだけ離す」
アルスたち五人も全員別の班だった。
三人一組。
訓練内容は、森を模した障害物の多い訓練場で、魔物役の標的を探して指定地点まで移動するというものだった。戦闘そのものは難しくない。問題は、索敵、前衛、後衛、記録を三人だけで分担しなければならないことだった。
アルスの班には、剣を使う男子生徒と、風魔法を使う女子生徒が入った。
出発前、二人がアルスを見る。
「どうする?」
「まず役割を決めよう」
アルスは自然に答えた。
そこで、一瞬止まった。
普段ならレインが全体をまとめる。
シリウスが前へ出て地面や気配を見る。
アイリスとリリアは後方の安全を自然に確保する。
アルス自身は周囲を見ながら、必要な情報を渡せばよかった。
今日は違う。
「僕が前を見ます。剣は前衛。ただし僕より少し後ろ。風魔法は後方から周囲と上を見る。何か見つけたら全員に言う」
二人が頷く。
動き始める。
最初の障害は低い木立だった。
アルスは前を見る。
地面。
左右。
魔素。
その時、後ろの女子生徒が言った。
「右上、動いた」
アルスが見る。
木の枝に小さな標的。
見落としていた。
「ありがとう」
風魔法で標的を落とす。
普段ならシリウスが地面、アルスが広い範囲を見ることが多い。今日はアルス一人で両方をやろうとして、視線が下へ寄っていた。
進む。
次は狭い通路。
前方に二体の魔物役。
アルスは位置を見る。
「ここで戦わない。少し戻ろう」
剣士の生徒が驚く。
「倒せると思うけど」
「倒せる。でも後ろが動けない」
狭い場所では、後衛の風魔法が使いにくい。
少し戻る。
広い場所。
二体を誘う。
一体目を剣士が止め、アルスが横から動きを崩す。二体目は風魔法で進路を逸らした。
短い戦闘。
問題なく終わる。
剣士の生徒が言った。
「なるほど。場所を変えた方が楽なんだな」
「僕も最近覚えた」
中級ダンジョンで。
そう付け加えようとして、やめた。
今は授業。
説明として必要なのは経験の出所ではなく、なぜそうしたかだった。
一方、少し離れた区域ではレインも別の班を率いていた。
後で聞いた話では、最初から自然に指揮を取ったらしい。ただ、いつもの五人と違って指示が伝わる速度が遅く、一つずつ言葉にしなければ動きが揃わなかった。
シリウスはもっと苦労していた。
本人は前へ出て索敵するのが得意だが、班の二人がその動きに慣れていない。
「先に行きすぎるなって三回言われた」
実習後、本人がそう言っていた。
アイリスも同じだった。
いつもなら前衛が射線を自然に空ける。しかし別の班では、攻撃魔法を撃てる位置を自分から伝えなければならなかった。
リリアも、誰がどの程度の補助を必要としているかを判断するまで、普段より時間がかかったという。
全班が訓練を終えると、教師は生徒たちを集めた。
「今日は勝ち負けを見る訓練ではない。いつも同じ仲間と動いている者ほど、自分が何を仲間へ任せているか分からなくなる」
アルスは少し納得した。
任せる。
悪いことではない。
五人で役割を分担するから、全員が全部をやる必要はない。
ただし、自分が何を見ていないのかを知らないまま任せるのは違う。
教師が続ける。
「連携とは、言葉を使わなくてよくなることではない。長く組めば短い言葉で伝わるようになるだけだ。別の相手と組んだ時に伝えられないなら、自分でも理解できていない部分がある」
シリウスが珍しく真面目な顔で聞いていた。
実習が終わり、五人は中庭のいつもの場所に集まった。
最初にシリウスが言う。
「俺、普段かなり好き勝手やってたんだな」
アイリスが笑った。
「今気付いたのですか?」
「違うって。アルとレインが俺の動き見てるからできてたんだよ。他の班だと、どこまで行くか全部言わないと分からない」
レインも頷く。
「僕も同じだった。みんななら一言で動くところを、今日は順番まで説明した」
アイリスは少し考えてから言った。
「わたしは射線を空けてもらうことを当然だと思っていました」
「俺、結構空けてるぞ」
シリウスが言う。
「知っています。だから気付かなかったのです」
シリウスが少し嬉しそうな顔をした。
リリアも話す。
「わたくしも、皆さんの疲れ方をかなり覚えているようですわ。今日は誰に補助が必要なのか、最初は分かりませんでした」
アルスも自分のことを話した。
シリウスがいないと地面を見る時間が増える。
レインがいないと全体への指示まで考える必要がある。
アイリスとリリアがいなければ、後ろが安全だという前提を持てない。
「僕、思ったよりみんなに任せてた」
レインが笑う。
「お互い様だね」
五人で戦う。
それは五人分の能力を並べることではない。
一人が見なくていい場所を、別の誰かが見ている。
一人が考えなくていいことを、別の誰かが考えている。
だから余裕が生まれる。
中級ダンジョンで五人が長く動けた理由も、そこにあったのかもしれない。
その夜、アルスたちは共有談話室に集まった。
今日は地図ではなく、それぞれの実習記録を持っている。
シリウスが紙に書く。
「俺、先行する距離をちゃんと言う」
アイリスが続ける。
「わたしは攻撃前に射線を伝えます」
レインも書いた。
「指示を短くしすぎない」
リリアは少し考えてから、
「補助が必要か確認する」
アルスも一つだけ書いた。
――誰が何を見ているか確認する。
それ以上、細かい決まりは作らなかった。
五人の自然な動きを規則だらけにする必要はない。
ただ、何を互いに任せているのか知っていればいい。
夜も遅くなり、アイリスとリリアが女子寮へ戻る。
アルスたち三人も男子寮へ向かった。
廊下でシリウスが言う。
「明日はいつもの五人?」
レインが笑う。
「授業次第だね」
「五人が楽だわ」
アルスも頷いた。
「僕も」
自室へ戻り、アルスは机の上へ今日の記録を置いた。
一人でできることが増える。
それも成長。
でも。
誰かに任せられることが増える。
それも。
同じくらい大事なのかもしれない。
アルスは明日の教科書を用意し、灯りを消した。
廊下の向こうには、レインとシリウスの部屋がある。
女子寮側には、アイリスとリリアがいる。
離れていても。
明日になれば。
また自然に五人が揃う。
今では、それが一番いつもの形になっていた。




